第45話 眠り姫
表の世界で光輝とトリーシヤ対黒龍の激戦が繰り広げられていた頃、華月は異空間にいた。人によっては、その世界を『この世の裏側』や『夢の世界』と呼ぶかもしれない。
「ここ、は……」
華月は
何の気配もなく、華月は自分が死んだかと思った。ヴェイジアの儀式が成功し、自分の意識は死んだのだ、と。
「わたし、まだ……まだ伝えられてない。白田くんに、わたしの気持ち」
呟きは、簡単に華月の心の深い所を
目を閉じて浮かぶのは、傷だらけになりながらも抱き締めてくれた光輝の姿だ。触れて、温かさを感じてどれほど安堵したことか。
「――会いたい」
一筋の涙と共に零れ落ちた一言は、何よりも華月の気持ちを雄弁に語っていた。
――ならば、今再び答えよ。
「だ、れ?」
空間を揺らすような低い声。聞き覚えのある圧迫感のある声に、華月は問いかける。すると相手は、わずかに笑ったらしい。
――誰、とは挨拶だな。……我は黒龍。お前にもう一度だけ答える
「質問? ――あっ」
黒龍による問。華月が答えられていないものが、1つだけある。
黒龍を受け入れ『器』となることを拒んだ華月に、黒龍はこう問うたのだ。
──それが、魔界から我が力を消すことになってもか?
華月が器であることを拒否するということは、黒龍を宿すことの出来る人物がいなくなることを意味する。つまり、誰が魔王となろうと黒龍の力を借りることは出来なくなるのだ。
魔王と黒龍が結び付くことで統一が成されていた魔界において、何度も言うようだが力の欠如は致命的なもの。それを破棄する意味を、黒龍は華月に尋ねていた。
「わたし、は」
震える喉から、言葉が漏れる。黒龍は華月の答えを待つつもりなのか、一言も発しない。それが反対に、華月を追い詰める。
「わたしは、魔王の娘で、同時に日本に住む普通の女子高生で……世界を変える選択に対する責任を全て負えるかと言われれば、自信なんてありません」
だけど、と気丈に顔を上げる。見詰めるのは、何もいない暗い空間。その先に、神秘的な黒龍の瞳があると信じて。
「だけど、わたしには大切なものがたくさん出来て、全部を護りたい。例え今は敵対していても、いつかは一緒に笑い合えるって信じたいから」
華月が思うのは、母を同じくする兄姉たちだ。
アズール、ヴェリシア、イレイスト、エンディーヴァ、そしてオランジェリー。個性豊かな彼らは、純粋な魔族だ。人間と魔族のハーフである華月とは、生い立ちも考え方も生き方も違う。
簡単には分かり合えるはずもない。それでも「いつか」を信じたかった。
「魔界のことは、正直わたしにはわからない。ただ攫われて、閉じ込められていただけだから。どんな人たちが住んでいて、どんな生き物が暮らしているのか見当もつかない。だから、知りたいです。昔、魔王が――お母さんがそうしたように」
華月の母・魔王は天界との戦争に敗れた後、勇者であった光輝の父に案内されて日本を訪れたことがある。一度目で思うところがあったのか、彼女はもう一度日本を訪れ、そこで華月の父・明と出逢うことになるのだ。
魔王は明の作ったシュークリームが大好物で、彼と想いを通わせて華月を産んだ。魔王がどんな女性なのかは父から聞いていないが、華月の父は決して彼女と結ばれたことを後悔していない。
しかし、これは華月の独白に近い。黒龍の欲している回答ではない。
現実世界は今、どうなっているのだろうか。戻りたいと逸る気持ちと共に、自分はもう死んでいるのだから知ることは出来ないという諦めの気持ちが混じり合う。
華月は深呼吸し、黒龍の問に答えた。
「わたしは……やっぱり『器』になることは出来ません。ヴェリシアの言いなりとなって、魔界も
――それは、白田光輝と共にいたいというあれか?
「――っ、はい」
顔を真っ赤にして、華月ははにかんだ。何よりもその表情が、彼女の気持ちを明瞭に示す。
黒龍は無言で華月の言葉を受け止めると、小さく息をついた。
――ならば、我も我の思うようにしよう。それがどんな選択であれ、お前に責任はない。良いな、華月。
「……はい」
華月が頷くと、黒龍が微笑んだ気がした。その意味を図りかね、華月は目を瞬かせる。しかし今尋ねても、黒龍は決して答えてはくれない。
やがて暗闇が徐々に明るい光を宿し始め、華月はハッと顔を上げた。頭上に光る珠のようなものが下りて来て、点滅している。
「あれは……」
やがて目の前に下りて来たそれを、華月は覗き込んだ。白い珠の中に何か見えた。じっと見つめていると、映像が鮮明になっていく。
「白田くん!? トリーシヤくんも!」
映っていたのは、黒龍と激しい戦闘を繰り広げる光輝とトリーシヤの姿だった。
華月は珠に向かって手を伸ばし、閃く白い光に呑み込まれた。
――眠り姫よ、目覚める時間だ。
黒龍の笑いを含んだ声が、聞こえた気がした。
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