最後の戦い

第44話 蠢き試すモノ

 ヴェイジアの声に応えるように、華月の中で何かがうごめく。吐き気を感じる気がして、華月は腹部と口元を押さえた。


「華月?」

「白田くん、

「何か……?」

「助けて……怖い」


 膝をついた光輝にしがみつき、華月が震える。自分が自分でなくなるような未知の感覚に、華月は助けを求めることしか出来ない。


 光輝は華月の背中に腕をまわし、耳元で「大丈夫だ」と言い含める。それでもかぶりを振り離すまいとする華月を抱き締め、ヴェイジアを睨みつけた。


「ヴェイジア、貴様何をした?」

「何をした、ですって? そんなの簡単な話よぉ。……カヅキの中に取り込まれた黒龍の力を呼んだの。そして、お前たちを殺せと命じるのよ」

「……っ」

「何だと」


 華月の肩が震え、光輝の顔が険しくなる。トリーシヤは警戒の色を濃くし、エンディーヴァは震えながらもロウに支えられて顔を上げた。


「姉上。あなたはこんなことをして……本当に魔王になることが出来るとお思いなのですか?」

「甘いこと言っていても、吐き気がするだけよぉ。エンディーヴァ、あなたは黙って魔法の研究を続けていなさい。外のことはワタシに任せて」

「……姉上」


 弟の揺れる瞳を見ても、ヴェイジアは眉一つ動かさない。そのまま視線を外すと、痙攣するように震える華月に向かって手を開いた。


「さあ、ワタシと黒龍の最初の仕事よぉ。ワタシの邪魔をする者を……皆殺しに」

「……や、いや」

「お前が拒否しようと、ワタシに逆らうことは出来ないわぁ」

「嫌……」

「華月……自分を見失うな。お前はここにいるんだ。俺と、俺たちと一緒に帰るぞ」


 ヴェイジアの絶望を促す言葉をかき消すように、光輝の言葉が華月の中へと溶け込んでいく。冷たくなりかけていた心に、温かなものが染み込む。

 ぎゅっと光輝にすがる手に力を籠めた華月は、自分の中で暴れ回るモノへの拒絶を声にした。


「あ、あぁ……ああぁぁぁあぁぁぁぁっ!」


 言葉にならない華月の叫びが、空間に響き渡る。壁を震わせ、床が揺れ、そして天井を覆う結界にひびが入った。


 ──ピシッ……ガコッ


「何!? ──きゃあっ」


 初めて動揺を口にしたヴェイジアの周りを囲うように、天井から崩落した結界の一部が突き刺さる。ヴェイジアは己の風の魔法で全て吹き飛ばそうと試みるが、びくともしない。

 透明な壁に阻まれ、ヴェイジアはそれを内側から叩く。しかし当然のようにひびも凹みも生じることはなく、ヴェイジアは自分で創り出したはずの結界に閉じ込められた。

 歯噛みしたヴェイジアは、こちらを見詰めるエンディーヴァに向かって叫ぶ。


「くっ……。エンディーヴァ、ワタシをここから出しなさい!」

「無理だよ、姉上。あなたは、黒龍の逆鱗に触れたんだ」

「何を言っているの? あなたは……悔しいけれどエンディーヴァは、ワタシたち魔王の子どもたちの中で最も魔力が強いのよ? ワタシはあなたが魔王を継ぐのが恐ろしくて……」

「だとしても姉上に出来ることも、ボクに出来ることも、もうないんだ」


 諦めの笑みを浮かべるエンディーヴァの背後で、華月を中心とした黒い暴風が吹き荒れていた。それは竜巻となり、華月を取り込んで光輝を弾き飛ばした。


「光輝!」

「ぐっ……かはっ。ごめん、トリーシヤ」

「無理するなと言ったはずだ、ばか野郎」


 床に叩きつけられた光輝は、トリーシヤに助け起こされる。飛ばされ叩きつけられた時に背中を強打したが、それが引き金となったのか、喉を鉄の味がせり上がった。

 我慢出来ずに手のひらに吐き出したそれは、赤色をした液体だった。あまりにも鮮烈で、光輝の思考は反して冷静になる。


「……内臓でも傷付いたかな」

「悠長なこと言ってんじゃねぇぞ、光輝」


 顔をしかめたトリーシヤが、光輝が立ち上がるのを手助けする。

 口元を袖で拭い、光輝は自分の胸に触れた。そして「ごめんな」と呟く。


(俺の体、もう少しだけもってくれ)


 光輝は立ち上がると、上を見上げた。トリーシヤとエンディーヴァが彼の隣に立ち、同じものを見る。

 風に巻かれ、黒髪を翻す華月が浮いている。苦しげに目を閉じ、彼女の体には黒いオーラのようなものが取り巻いていた。

 そして華月を囲うように存在するのは、巨大な黒龍。今や天井を突き破り、城の一部を崩壊させてとぐろを巻いていた。


 ──愚かな者たちよ。


 頭に直接響く声に、光輝たちはその声の主が目の前の黒龍であることを知る。

 爛々らんらんと輝く黒曜石の瞳が光輝たちを見下ろし、大きな牙の生えた口を開けた。


 ──我は黒龍。この魔界を統べる魔王に、長年力を貸し与えてきた。しかし……次代に期待は持てぬようだな。


 残念だ、と言わんばかりに首を横に振り、黒龍はヴェイジアに氷のような眼光を向けた。その恐ろしさに、ヴェイジアは「ひっ」と声にならない悲鳴を上げる。


 ──お前の母は、優れた統治者だ。民を我が子同然と慈しみ、民も王を愛した。しかし、子には恵まれなんだか。


「母は、優れた統治者だったのかもしれない。けれどワタシにしてみれば、生温なまぬるく感じた。ワタシの方が、優れた統治を行えると信じていた」


 ──だが、それは思い上がりというものだ。


 ヴェイジアの言葉を断じ、黒龍の目は再び光輝に注がれる。


 ──どうする、勇者を継ぐ者よ。その怪我では充分に動けまい。……この娘を諦めてここを去るというのなら、止めはしない。


「華月はどうなる?」


 ──我が器として、この魔界に君臨させる。安心しろ、御前立ちからこの娘の記憶は全て消してやろう。


「……冗談じゃねぇ。華月を置いてここから逃げる? 連れて帰るって約束したんだよ!」


 喉の痛みなど、体の痛みなど、華月を失うことに比べれば月とすっぽんだ。光輝は立ち上がると、黒龍に向かって勇者の剣の切っ先を向けた。


「黒龍だろうが神だろうが、おれには関係ない。……倒して、みんなで帰る。それだけだ」


 ──良かろう。その決意の程を見せてみよ!


 黒龍が咆哮し、巨大な体をくねらせる。空気を震わせ、鋭い目が光輝を捉えた。

 華月の体は透明な膜に覆われ、空中にたたずんでいる。彼女の意識はないのか、目はしっかりと閉じられたままだ。


 顔をしかめ、光輝はいつでも飛び出せるよう体勢を整える。

 光輝の隣で、天使の翼を広げたトリーシヤが笑った。


「オレのことも、忘れんなよ?」

「忘れるもんか。……エンディーヴァ、魔王とヴェイジアを頼む!」

「任せて!」

「ガウッ」


 エンディーヴァの地の魔法で、魔王とヴェイジアの周りが岩で囲まれる。魔王の子どもたちの中で最強の魔力保持を恐れられるだけはあり、強固な岩壁は黒龍の風に吹かれてもびくともしない。


 魔王とヴェイジアの一旦の安全を確保し、光輝はトリーシヤと頷き合った。これが最後の戦いだと肌で感じる。

 2人は同時に地を蹴る。光輝は地上から、トリーシヤは空中から黒龍に襲い掛かった。

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