第43話 大いなるものの問い

 ヴェイジアの手のひらの冷たさが、華月に伝わる。ひんやりというよりも氷のような冷たさを感じ、華月は身を震わせた。


「何をするの……?」

「これから、儀式を執り行う。これが終わればお前は『器』となり、魔王はその役割をワタシに明け渡す」


 震える華月に高圧的で品のある笑みを見せ、ヴェイジアは目を閉じた。


「──黒龍様、我が名はヴェイジア。魔王の力と黒龍の力を受け継ぎし者」


 ヴェイジアの言葉に反応し、魔王の傍にいた巨大な黒龍が音にならない唸り声を上げる。それはヴェイジアには聞こえないが、華月は耳を塞ぎたい程鮮明に聞こえた。

 涙目になる華月を見ることなく、ヴェイジアは黒龍に向かって呼び掛け続ける。


「この者に、黒龍の力を降ろしたまえ。この者、現魔王の子にして、黒龍の力を継ぐ者。器とし、我に力を貸し与えたまえ」

「あ……あぁ……」


 華月は悲鳴を上げたかった。しかし悲鳴は喉を塞がれたように声が出ず、音にならない。

 ヴェイジアの手のひらは変わらずに華月の視界を塞ぐように広げられ、そこから何か波動のようなものを感じる。それが華月の動きを阻害していた。


 ──グルル


 ヴェイジアの詠唱は続いているが、最早華月の耳には入ってこない。その代わり、巨大な黒龍の唸り声が頭に響いた。

 巨大黒龍と華月の間にヴェイジアがいたはずだが、華月が気付いた時には彼女の姿はなかった。更に風景が一変し、夜空の中を思わせる場所に立っている。華月は驚き、慌てて周りを見回した。


 ──恐れることはない。わたしは、御前の心に直接語りかけている。

「あなたは、黒龍?」

 ──その通りだ、我が分身を宿す娘よ。


 低く落ち着いた声が響く。その声の主が目の前にいる巨大な黒龍だと知った時、華月は胸が苦しくなるのを感じた。

 胸が痛いのは、華月が何処で生きたいかわかったからだ。決して、黒龍を宿す者として魔界にいたいわけではない。


「わたしは……あなたの器になる意思はありません。わたしは、みんなのところに帰りたい」

 ──我が力を手にすれば、分身以上の力を手に入れることが出来る。全て思いどおりになり……お前ならば、いずれはあの高慢な女をも従えることが出来るだろう。


 黒龍の言う『高慢な女』とは、ヴェイジアのことだ。彼女の思い通りに操られる未来しか見えていなかった華月は、目を瞬かせる。


「わたしは、あなたの力をただ使う存在になるのだと聞いていました。ですが、違うというのですか?」

 ──最初はそうだろう。我が力は強大で、ただの魔族や人間に御し切れるものではない。しかし魔王の娘であり、更に我が分身を操るお前ならば、かせなど簡単に外せるはずだ。

「枷を外せる……」

 ──どうだ。


 心惹かれるだろう、と黒龍が笑った気がした。

 しかし華月は、小さく首を横に振る。


「わたしは魔界を統べる力も、強大な魔力も要りません。……ただの『華月』として、白田くん……いえ、の傍にいたいんです」

 ──それが、魔界から我が力を消すことになってもか?

「……」


 黒龍の問は重い。

 魔界に住む全ての存在は、魔王が黒龍の力を持つが故に従っていたに等しい。魔王からその強大な魔力が失われた時、魔界は混沌の渦に呑み込まれるだろう。

 流石に魔界に囚われて1日も経っていない華月には、黒龍の力を失った後の魔界を想像することは難しい。しかし魔王が力を持つことで魔界を統治していたことは知っているため、ある程度の想像力を発揮することは出来た。

 だからこそ華月は答えに窮したのだが、改めて口を開く前に現実へと無理矢理引き戻された。


「さあ、この者を呑み込め、黒龍よ!」

 ──


 ヴェイジアと黒龍の言葉が重なり、華月は自分の体の異変に気が付いた。内側から引き裂かれるように胸がきしみ、華月は声にならない悲鳴を上げた。

 自分ではない『何か』が無理矢理入ってくるような感覚。得体の知れないものへの恐怖に駆られ、華月は胸元の服を握り締めながら涙を流した。


「……、……っ」

「素晴らしいわぁ。黒龍の力がカヅキに入っていく……。そして、ワタシも力がみなぎってくる」


 父違いの妹が苦しんでいるのを見下ろし、ヴェイジアは恍惚とした笑みを浮かべた。彼女にとって華月は『器』でしかなく、利用すべきものでしかない。

 ヴェイジアは両手を広げると、魔王であった女を見上げた。


「母上、見ていますか? あなたの娘ヴェイジアが、あなたの偉大なる役割と力を受け継ぐのを。……安心して、永久の眠りにお沈み下さいませ」


 ぐらり。

 ヴェイジアの言葉に応じたわけではないはずだが、魔王の体が傾く。そのまま地面に垂直に落ち、体が潰れるかと思われた。

 しかし──


「ガウッ」

「お前は……っ、エンディーヴァの!」


 怒りに染まったヴェイジアの前に現れたのは、エンディーヴァの眷属である狼のロウだった。

 ロウは魔王を背中で受け止め、ひらりと着地した。床に魔王をそっと下ろすと、何かに向かって元気よく吠える。


「バウッ」

「よくやったね、ロウ。偉いぞ」


 ロウに呼ばれて物陰から現れたのは、エンディーヴァだ。彼はロウの頭をわしゃわしゃと撫で、誰かに向かって手招きする。

 すると誰かが待ちきれないとばかりに駆け出し、華月の両肩を掴んだ。


「華月ッ!」

「黒崎さん、無事かい?」

「白田、くん……。赤葉く、ん?」

「あー、この姿は見せたことなかったね」


 トリーシヤを見て赤葉友也と認識したものの、華月は確証が持てない。その様子を察し、トリーシヤは一旦友也の姿に戻った。


「黙っててごめん。オレは天界の住民である、天使のトリーシヤ。光輝と一緒にきみを迎えに来たんだ」

「トリーシヤ……」

「そう。これから宜しく」


 友也は微笑むと、すぐにトリーシヤの姿に戻った。


 光輝は華月に目立った怪我がないことを見て取り、大きなため息をつく。そして、自然に華月を抱き締めていた。


「本当に、無事で、よかった……」

「白田くん……傷だらけだよ。それに声も」

「ちょっとな」


 華月の心配そうな表情を見て苦笑し、光輝は彼女を解放した。そして剣を握り立ち上がると、ヴェイジアに向き合う。


「ヴェイジア、お前の企みは終わりだ」

「終わり? 何を言っているのかしらぁ」


 ふふふ。ヴェイジアは微笑むと、優雅な仕草で座り込む華月を指差した。


「カヅキは既に『器』として黒龍を受け入れた。だから……もう後戻りなど出来ないのよ」


 ヴェイジアの腕を眷属の蛇が這う。2匹の蛇は互いに絡まり合い、やがて1本の杖に形を変えた。

 その杖を手にし、ヴェイジアは凄絶に微笑む。


「さあ──絶望にうち震えなさい」

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