第33話 強引な誘い
案の定、歌子には物凄く心配をかけたようだ。華月が借り物競争のために入場ゲートに行くと、すぐに駆け寄って何処に行っていたのかと問い質した。
「応援席にいるって言ってたのにいないし! 井原さんたちに連れ去られたって話もあったから、本当に心配したんだよ?」
「うん。心配してくれてありがとう、歌子。でも、大丈夫だよ」
「……本当に?」
「本当に。歌子のお蔭で、言いたいことは言えたから」
ありがとね。華月が笑って言うと、歌子は嬉しそうにした後でニヤリと笑った。
「わたしだけじゃないでしょ? あの人の言葉も、お蔭の内に入るんじゃないかなぁ」
「……歌子のいじわる」
顔を赤くして呟く華月に、歌子は「おや?」と思った。今までの華月なら、ここでこんなことは言わなかった。それだけでなく、恥ずかしがって顔を背けることもなかったのだ。
(これは……もう少しなのかな?)
親友の心境の変化を微笑ましく思いながら、歌子は華月の背中を押した。もうそろそろ、借り物競争が始まる時間だ。
「さ、今は競技に集中しよ?」
「うん。頑張ろうね、歌子」
「勿論!」
2人が気合いを入れた時、タイミング良く競技開始のアナウンスが流れた。
☾☾☾
場所は変わり、とある城にて。
昼間でも薄暗く日の光など届かないその世界は、天界と表裏を成す存在だ。互いを牽制し合いながら均衡を保ってきているが、以前一度だけそれが破られたことがある。
激しかった時代の歴史書を読みふけっていたヴェイジアのもとに、弟が一人訪ねて来た。
「姉上」
「あらぁ、イレイスト? どうしたの、何か変更点や不都合なことがあったのぉ?」
「いいえ。姉上に計画の確認をと思いまして」
「わかったわぁ。少し待っててね」
分厚い歴史書を本棚に戻し、ヴェイジアは机の上に黒い水晶玉を置いた。クッションの上に置かれた水晶玉は、占い師が持っていそうなものだ。
ヴェイジアがそれに手をかざすと、仄かに光を放つ。その光の中に、徐々に明瞭な映像が映し出された。映像の中に見えたのは、借り物競争で歌子の手を引いて走る華月の姿だった。
華月の持つお題の紙には『親友』と書かれている。ちなみに歌子のものには『包帯』と書かれていて、彼女はそれを救護所から借りていた。
「楽しそうねぇ……。今だけだから、楽しませてあげないとね?」
くすくすと上品に微笑むと、ヴェイジアは水晶玉の上を撫でるように手を動かす。すると場面が切り換わり、映像の中に取り巻きと共にいる井原桃の姿が映った。
ヴェイジアは、隣で水晶玉を見ていたイレイストに軽く手招きする。
「イレイスト。この
「承知しました、姉上」
一礼したイレイストが去り、ヴェイジアは一人で水晶玉の映像を切り換える。映ったのは、バスケットボールの試合を応援する華月の姿だ。彼女の視線の先には、勇者の息子・光輝の姿がある。
ヴェイジアの唇が弧を描き、細い指先がを撫でていく。
「『黒龍』の力を受け継ぎ、魔王の血を引く娘、カヅキ。まさかお母様が人間と情を交わすとは思いもしなかったけれど、これは魔族であるワタシたちにとっては
困ったものだわ。ヴェイジアはわざとらしく肩を竦めると、水晶玉の映像を消した。
☾☾☾
閉会宣言がなされ、体育祭は無事に終わりを告げた。バスケットボールの試合において、光輝たちは決勝戦で3年生のクラスに負けたものの、準優勝という好成績を残した。
「おめでとう、白田くん」
「うんうん、おめでとう。バスケ、みんなかっこよかったよ!」
「だよな。いやぁ、久し振りにこっちも熱くなっちゃったぜ」
「それに、リレーも。白田くん、途中から何人も抜いてたし」
華月の祝福を皮切りに、歌子と友也が代わる代わる光輝を褒めそやす。光輝は「あまり褒めないでくれ」と苦笑いを浮かべていたが、やはり達成感は感じているようだ。
リレーは午後の最終種目だった。アンカーの前走者を務めた光輝は、最後の走者が走りやすいようにと一気に5人を抜いて、学年1位に貢献していた。
歌子と友也が会話に夢中になっている隙に、華月は隣を歩く光輝を見上げて呟くように言う。もし聞こえなくても、それはそれでいいやと思っていた。
「ほんとに、かっこよかった」
「……ああ。ありがとう」
「うん」
華月に褒められにやけそうな表情を引き締めたくて、光輝は口元を手で覆う。そうしなければ、熱を持った顔がばれてしまうから。
しかし華月もまた、自分の発言に照れて光輝の顔をまともに見られない。
お互いに照れて無言になってしまったが、その分を歌子と友也が補ってくれた。
教室で着替えて鞄を持ち、華月たちは帰宅しようとした。しかし、そんな彼らを呼び止める者がいる。
「黒崎さん」
「井原、さん?」
華月が呼ばれて振り返ると、教室の外から井原が手招きしていた。何かと思い駆け寄ると、井原はそっと顔を寄せてきた。
「ちょっと来てくれる? ……ヴェイジア様が呼んでる」
「!?」
ハッとした華月が井原の顔を見ると、彼女の目はぼんやりと焦点を結んでいなかった。どうして井原がヴェイジアを知っているのか、それを問う前に、井原が華月の腕を力任せに引っ張った。
「来なさい」
「い、痛いっ」
「……黒崎? ──お前、黒崎を離せ!」
「白田く……」
悲鳴を上げる華月の異変に気付き、光輝が駆け寄ろうとする。しかし彼の手が届く前に、井原は華月を巻き添えにその場から煙のように姿を消した。
空を切った自分の手を見詰め、光輝は歯を食い縛る。消える直前の、華月の恐怖した顔が目に焼き付いた。
「華月……」
「嘘でしょ、華月」
「おい、しっかりしろ。北園さん!」
光輝の背後で、歌子が座り込むのが音でわかった。彼女を支える友也の声がする。
叫び出しそうな自分を抑え込み、光輝はゆっくりと教室を出て取り残された華月の鞄を拾い上げた。体操服と空の弁当箱、そして水筒くらいしか入っていない鞄は、こちらの無力感を煽るように軽かった。
自分と華月の鞄を机の上に置くと、光輝は教室を出て行こうとした。その背に、友也が声をかける。
「白田?」
「……先生のところに行ってくる。先生なら、ヴェイジアの居場所の見当くらいはつくだろ」
「そうだな。こっちは任せろ」
「白田くん、華月をお願い……!」
「わかってる」
友也と歌子の言葉を受け、光輝は誰もいない廊下を駆け出した。
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