第11話 よろしくね

 光輝の過去を知った翌日。朝、華月が鏡で自分の顔を見ると白目部分が充血していた。昨夜帰宅した後も、ベッドの上で何度も涙を流していたことが影響したのだろう。


「どうしよ……これじゃ、心配させちゃう。顔洗って、落ち着くかな」


 冷たい水と温かい湯で交互に顔を洗い、華月は顔の赤みを取ろうとした。聞きかじった情報だけではどうにもならなかったが、少し気持ちを落ち着けることは出来た。

 華月は着替えを済ませ、父の待つ居間へと向かう。行くと、温かなコーンスープのにおいが鼻をかすめる。


「おはよう、華月。よく眠れたかい?」

「おはよう、お父さん。まあ、ちゃんと寝たよ」

「……そうか。今朝はホットサンドにしてみたんだ。食べればきっと、元気になれるよ。野菜とベーコンが入ってる」

「ありがとう。頂きます」


 華月が少し俯き加減で話すため、明は心配しているようだ。しかしそれを口には出さず、温かな湯気が立ち昇るホットサンドを差し出すにとどめた。

 父の気遣いに感謝しつつ、華月はスープを飲み干しホットサンドもきれいに食べた。そしてプレーンヨーグルトを食べると、歯を磨いて学校へ向かう。


「おはよう、黒崎」

「……っ。おはよう、白田くん」


 偶然靴箱で光輝と出会い、華月は心臓がドクンと脈打つのを自覚した。顔が赤くなっていないことを願いながら、口角を上げる。


「昨日は、ちゃんと帰れたみたいだな。目が赤いけど、だいじょう……」

「だ、大丈夫だよ! 昨日も言ったでしょ。話してくれてありがとうって」

「それは、そうなんだが」


 何処か納得のいかない顔で渋る光輝に「先に行くね」と微笑み、華月は教室へ向かうために階段を上った。光輝がそれ以上何かを言うことはなかったが、華月は後ろを振り返ることが出来なかった。顔を合わせるのすらも、何となく恥ずかしく感じる。

 そのまま何事もなく、無事に昼休みを知らせるチャイムが鳴った。


「……じゃあ、白田くんは勇者の血を引いてるってこと?」

「そう。だからわたしの正体がわかったし、剣と盾を受け継いだんだって」

「へえ……。勇者も魔王もお話の中の存在だと思ってたけど、そうじゃないんだね」


 昼休み。今日は屋上ではなく、二階にある渡り廊下の端でお弁当を広げた。華月の話を相づちを打ちながら聞いていた歌子は、ふと廊下を歩く光輝を見付けて目を瞬かせた。渡り廊下は屋根もなく、廊下の様子が窓を通じて見えるのだ。


「……白田くんのご両親は亡くなって、おじいさんおばあさんと暮らしてるか。華月もそうだけど、わたしに出来ることがあったら何でも言ってね? 何も出来ないかもしれないけど、華月にも笑顔でいて欲しいから。朝、目が赤かったから心配してたんだよ?」

「ありがとう、歌子」


 歌子には、光輝がどんな経緯で両親を喪ったのかは話していない。「小さい頃にご両親は亡くなったんだって」という抽象的な言い方をした。それでも歌子が掘り下げて来ないのは、華月が今にも泣きそうな顔で話していたからである。

 昼になってもまだ、華月は何処か辛そうな顔をしていた。その直接の原因は歌子にはわからない。しかし、確実に光輝に関係することだということはわかっていた。

 歌子は家から持って来た弁当箱に入っている卵焼きを箸で掴むと、ひょいっと華月の弁当箱に入れる。目を丸くする華月に、歌子は「あげる」と言って笑った。


「うちのお母さんの卵焼き、甘くておいしいから」

「ありがと。……うん、本当だね。おいしいよ」

「よかった」


 確かに、ほのかに甘くてふわふわな卵焼きだ。中にカニかまぼこが入っている。

 華月は歌子の気遣いに感謝して、午後の授業も頑張ろうと気合を入れた。


 ☾☾☾


 放課後、華月は靴箱で光輝を見付けた。彼は弓道部の練習に行こうとする歌子に呼び止められ、何かを話している様子だ。


(何、話してるんだろう?)


 華月が近付くことも出来ずに少し離れた場所で立ち尽くしていると、話が終わったのか歌子が光輝の背中をバシッと叩いた。びっくりして目を丸くする光輝を置いて、歌子は弓道場へ向かって走って行った。


「何なんだよ、全く」

「……あの、白田くん?」

「黒崎か。どうかしたのか?」

「あ、いや……」


 まさか「歌子と何を話していたの?」などと、盗み見を自らばらすようなことを訊くことは出来ない。華月は言いあぐねた結果、別のことを口にした。


「歌子に話した、白田くんのこと。許してくれてありがとう」

「別に、良いよ。……だからか」

「何が?」

「北園が出会い頭に『聞いたから! わたしに出来ることがあったら、何でも言ってね』なんて言って背中叩いて行くから、何事かと思ったんだ」

「ああ……そういうことなんだ」


 ほっとした華月は、そんな自分に驚く。どうして、光輝と歌子の話した内容を聞いてほっとしたのかわからずに。

 そんな華月を訝しみ、光輝は首を傾げた。


「黒崎?」

「な、何でもないよ。そ、それを伝えたかっただけだから。また、明日ね」

「ああ。また明日」


 スニーカーを履き、ぱたぱたと出て行く華月を見送る光輝。彼女の姿が見えなくなってから、ふと歌子に言われた言葉を思い出した。


(何なんだよ。『華月のこと、よろしくね』なんて)


 昨日のこともまだ受け止め切れていないのに、何をよろしくと言うのか。わずかに速まる己の鼓動を無視することにして、光輝は深呼吸して校舎を出た。

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