第12話 魔族アズール

「何か、顔あっつい」


 頬に手のひらをあてながら、華月はバス停で帰るためのバスを待っていた。いつもこの時間は同じ高校の学生や近所の奥様等の乗客が列を作るのだが、今日に限っては誰もいない。

 これならば、座って帰ることが出来るかもしれない。そんな期待を持ち、バスの到着を待つ。

 しかし、時刻表に書かれた時間を過ぎても一向にバスが来ない。それどころか、往来する車も自転車も歩行者もいない。


「何、これ……」


 急に不安に駆られ、華月は周囲を見渡す。誰か一人でもいれば、と願いながら。

 その願いが通じたのか、高校とは反対側の角を曲がって歩く青年が一人いた。鴉の濡羽色をした髪と目を持っている。


「よかった、誰もいないのかって思っ……」

「見付けた」

「え……ぐっ!?」


 500メートル以上離れていたはずの青年との距離が、一瞬にしてゼロになった。それに華月が驚く間もなく、青年は彼女の首を絞め上げる。体宙に浮き、華月は平静を失った。


「う……ぐっ」

「ようやく、見付けた。我が眷族にして……欠落品。

「―――ッ!?」


 首を絞められることによる物理的な苦痛。そして、容赦ない言葉による痛みが華月に襲い掛かる。

 それでも歯を食い縛り、華月は滲む視界を目一杯睨みつける。


「な、んで……わた、名ま、を?」

「何故、お前の名を知っているのかだと? ……当然だろう、妹なのだからな」

「いも……っ」


 妹。目の前の彼は確かに華月を妹だと言った。その意味を理解するまで脳が追い付かず、酸素が足りない。

 華月は意識が朦朧とする中で、青年の「死ね」という言葉を聞いた。


(ああ、死ぬ、のかな。ごめん、お父さん、歌子。みつ……)

「華月!」

「ちっ」


 ひらり、と青年が何かを躱す。突然苦しみから解き放たれた華月は、地面にぶつかるように座り込んで肺に入って来る空気にむせた。

 そんな彼女の背を、優しくさする者がいた。何度も咳を繰り返した果てに涙目となった華月が見上げると、そこにいたのは靴箱で別れたはずの光輝だった。

 光輝の手には、勇者だった父から受け継いだ剣と盾がある。


「怪我はないか、黒崎!?」

「う、ん。ごほっ……ありがと、白田くん」

「よかった、間に合った」


 ほっと胸を撫で下ろした様子の光輝に、華月は思わず尋ねかけた。どうしてさっき『華月』と名を呼んだのか、と。

 しかし華月が言葉を発するよりも早く、あの青年が口を開く。


「いやあ、驚いた。この亜空間にはオレとカヅキ以外が入るのを許可した覚えもないのだけどな。……どうして、お前は入れた?」

「知るか。ただ俺は、黒崎の声を聞いた気がしただけだ」

「声、ね」


 ちらりと華月を見た青年は、剣を向けられ楽しげに笑った。


「オレに剣を向ける奴を見るなんて、何年……いや、何百年ぶりだ? しかも、なんてな」

「貴様が?」


 光輝の気配の中に、隠し切れない怒りと憎しみが混じる。その強さに、華月は身を震わせた。

 青年は歌うように「そうだ」と応じると、左の手のひらを上に向けて開く。手のひらの上に、黒い塊が生まれる。それは青白い炎を発しながら成長していく。


「オレの名はアズール。魔王第一子にして、炎の申し子」


 アズールは名乗ると同時に手のひらの塊を握り潰した。弾けた炎が散り、彼の漆黒の瞳を輝かせる。握り潰されたモノは形を変え、深淵のような黒い長剣となった。

 光輝は急展開について行けず震える華月の頭を撫で、そっと「大丈夫だ」と笑う。


「俺が、必ず守るから」

「白田くん……ごめん」

「何で謝るんだよ」


 困ったような笑みを浮かべて、光輝は剣を手に立ち上がった。盾は華月に預ける。それで身を守れ、という意味を含んでいる。

 華月を背に守り、光輝はアズールと向き合う。彼の表情に、先程まで華月に向けられていた優しいものはない。あるのは、険しい表情だけだ。


「勇者の息子、お前が相手してくれんのか?」

「俺の名は光輝だ。白田光輝。……魔王の地球侵攻を押し留めた、勇者白田望の息子だ!」

「笑止!」


 光輝とアズールは同時に地を蹴り、一気に互いの死地へと身を躍らせた。

 先に仕掛けたのはアズールだ。漆黒の切っ先を、迷いなく光輝の心臓へと突き出す。しかし光輝もそれを紙一重で躱し、剣で弾いて蹴りを放つ。

 アズールは光輝の蹴りを躱さずに腕を交差させて防御すると、一息で何かを呟いた。


「―――Ж§ΓΦΣл」

「えっ」


 人間には理解出来ない言葉の羅列に、光輝の動きが一瞬止まる。アズールはその隙を突き、青白い炎の塊を光輝目掛けて撃って来た。


「がっ」

「白田くん!」


 真面に魔法を喰らい、光輝は塀に叩きつけられる。みしっと嫌な音がして、石のブロックが崩れて光輝に向かって落ちていく。

 恐怖を忘れて咄嗟に手を伸ばした華月の中で、何かがカチッと音をたてた。それが何かを判断する暇もなく、華月の伸ばした手のひらから黒い光が飛び出した。

 それは龍の形へと変わり、ブロック全てを咆哮で弾き飛ばす。


「白田くん、大丈夫!?」

「あ、ああ。だけど黒崎、お前」

「信じられない」


 怪我はないかと抱き付かんばかりに身を乗り出す華月を押し留め、光輝は今起こった現象を驚きを持って受け止めていた。それ以上に、アズールの反応は顕著だ。

 ブルブルと体を震わせ、明らかな嫉妬と憤怒をたぎらせて華月を指差す。


「どうして、どうしてお前などがを使える!?」

「魔王と、同じ……?」


 華月は戸惑い、自分の手のひらを見詰めることしか出来なかった。


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