第10話 涙と熱

「大丈夫か?」

「それ、あなたが言うの?」


 日が暮れ、夜闇に空が染まる。

 警備員に急かされ、華月と光輝は学校を出た。2人が校門を出た後に門は閉められ、静寂が訪れる。

 しかし、完全な静けさは訪れない。高校近くにあるバス停を通り過ぎ、最寄りの駅まで歩く。丁度良いバスがなかったからだ。その間、華月はずっと光輝に狼狽えられていた。

 告白された衝撃的な光輝の過去に、華月は涙が止まらなくなったのだ。

 幼い少年が、両親の遺体を目前にする。その驚きと悲しみ、怒りは如何ほどのものだっただろうか。想像することも出来ず、華月は道すがら光輝の片袖を握って歩いていた。


「ごめん、ね。わたしが泣いてたら、誤解される」

「いや、俺の方こそごめん。……女の子にはダメージ強過ぎたな」

「聞くって言ったのは私だから……ぐずっ……辛いこと思い出させてごめん。辛かったし怖かったよね……」


 駅の中にあるベンチに腰掛け、華月はハンカチで何とか涙を拭った。見ていられなくなった光輝は、近くの自動販売機に立ち寄ってオレンジジュースを一本買った。

 それを華月に手渡し、光輝は彼女の隣に腰掛ける。

 駅の構内は、仕事や学校帰りの人々で溢れている。誰もが電車目掛けて一直線であり、こちらを気にする人などいない。

 華月は光輝に見詰められるのが恥ずかしくなり、自分は大丈夫だとアピールするために話題を逸らした。相変わらず引きつった声しか出せないが、口を開かなくては泣くだけの面倒臭い女になってしまいそうで怖い。


「あはは、止まらないね。……っ、そういえば、白田くんって剣の扱いうまいよね。すぐに斬りかかって来たし、本当はしょっちゅう使ってたんでしょ?」

「何を言い出すかと思えば……。別に俺は、まだあの剣を使いこなせているわけじゃない。父さんの血を継いでいるから剣も盾も使うのを許してくれているだけで。……本当は、ずっと不安だ。それに、中庭の件は本当にすまなかったと思ってる。――そんなことより、大丈夫か。咳き込んでるぞ」

「う、うん。……だ、だいじょうぶだいじょうぶ。あは、は」


 涙を吸って重くなったハンカチを鞄に仕舞い、華月は深呼吸を繰り返す。そうすることでしゃくりあげを止めようとするのだが、うまくいかない。胸に手をあて、服を握り締める。

 隣で心配そうに見詰めて背中をさすってくれる光輝に、華月は泣き腫らした笑みを向けた。


「ごめん、止まんないや。泣き終わったら帰るから、白田くんは先に帰っ……」

「放っとけるわけあるかよ」

「しろ……っ」


 ぶっきらぼうな物言いが耳を掠め、華月の体は何か温かいものに包まれた。何が起こったかわからず呆然とする華月は、驚いて涙が止まっていた。

 華月は、光輝に抱き締められていたのだ。一挙に顔に熱が集まり、真っ赤に染まる。その熱は体中に伝播し、体中から発熱しているような錯覚に襲われた。何か喋らなければと気が急いで、華月はあわあわととりあえず声を発する。


「あ、あのっ」

「……涙、止まったか?」

「う、うん……」

「なら、良い」


 そっと華月から離れ、光輝はそっぽを向く。急に温度が離れてしまい、華月は思わず熱を持った頬に手をあてた。


(今の、何!? え……えっ)


「落ち着いたなら、帰るぞ。ホームまでは送る」

「あ……うん、ありがと」


 一切華月の顔を見ることなく、光輝はリュックを背負う。華月も慌てて鞄を背負うと、早足で歩く光輝の後を追った。

 真っ赤な顔で、胸の鼓動を抑えられない華月は気付かない。光輝もまた、顔を赤くして暴走する胸の奥を持て余していたことに。


「ふうん、見付けた」


 ホームで電車を待つ華月と光輝を見詰める目が一対。火のような燃える赤の瞳を持つその人影は、電線の上に立っていた。


 ☾☾☾


 電車に乗る華月を見送り、光輝はベンチの腰を下ろす。顔に手をあて、切れそうな電灯を仰ぎ見た。そして「何なんだよ」と呟く。


(まさか、泣かれるなんて思わなかったな。あんな顔、させるつもりなんてなかったのに)


 泣き腫らす華月の面差しが、光輝の瞼の裏に残る。「辛いこと思い出させてごめん。辛かったし怖かったよね……」と華月が言った時、光輝は驚いた。

 些細なことかもしれないが、自分が苦しい思いをしているのにかかわらず、華月は光輝を気に掛けた。正しくは、両親を喪った直後の幼い光輝を。


 殺人現場は、騒ぎを聞きつけた近所の人が呼んだ警察によって現場検証された。見ず知らずの男たちが往来する中、幼い光輝は竦む体を叱咤されて祖父と共にパトカーの中で待機していた。後で事情聴取をしたいという警察に協力するためだ。

 その後、警察署では主に祖父が話をした。

 光輝が両親の死を理解したのは、葬式が済んでからだ。家を出て祖父母に引き取られる日、自宅だった家を見上げて初めて涙が溢れた。

 たった独りになったのだ、と初めて気が付いた。

 その時の光輝を、華月は抱き締めてくれた気がした。だからか、泣き止まない華月を無意識に抱き締めていた。


「……っ」


 きっとそうだ、と思い込む。自分は華月に幼い自分を重ねたのだと。本当はそうではないと何処かで気付きながらも、想いに蓋をする。

 光輝はベンチから立ち上がり、階段を上って行く。別の乗り場に移動し、電車に乗らなければならないからだ。


「くそっ。……静まれ、心臓」


 頬の赤みが引かないまま、光輝は電車に揺られ目を閉じた。

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