第9話 光輝の過去

 光輝の父・白田しろたのぞむは、ごく普通の会社員だった。子どもの頃はマンガに出て来るヒーローに憧れ、大人になるに従って、それはファンタジーの中の出来事だと知るくらいには常識的な人物だった。

 しかし、社会人となって1年後。目の前で黒いモノに人が殺された。


「何だ、あの黒いの……。それにこの人、日本人じゃない?」


 まして、アメリカ人でも中国人でもない。何処の国の人間でもあり得ない。染めたわけではない青い地毛の男の遺体を前に、望は我が目を疑った。

 黒いモノも殺された被害者もこの地球上の生き物ではないと気付いた時、望の体は地球から消えていた。


「それから『魔界』というものがあると『天界』で聞いて、お父さんは神様の命令で勇者となった。勇者として地球を狙う魔王と戦えと命じられてね。天界のルシュリアという女性に稽古をつけてもらって、魔界に乗り込んだんだ」

「おとうさんは、まおうにかったの?」

「そう。勝ったというか、地球侵略を諦めさせたんだ。互いに殺し合いはしたくなかったし、魔王は日本に興味を持ったみたいだったしね」

「すごいね!」


 観光案内もしたんだよ。望はよく、笑いながら自身の話をしてくれた。

 光輝は父の話を目を輝かせて聞き、母のまいはその様子を微笑ましく見守っていた。まいは望の話を完全には信じてはいないようだったが、光輝は信じた。幼い頃から父の話を聞いて育ち、ファンタジーなマンガやアニメ、特撮ものを好んでいたからだ。


「ねえおとうさん。このはなし、ようちえんでもしていい? おとうさんがゆうしゃでこのせかいをまもってくれたんだってこと、みんなにしってほしいんだ!」

「……光輝」


 幼稚園に通うようになり、光輝は自分の父が特別な存在だということに気付く。他の友だちの誰一人、親が魔王と戦ったことのある人などいなかった。

 時折話す友だちの親の話の中に、そのような心躍るものはない。だから光輝は、純粋に自分の父を自慢したかった。

 しかし、望は顔を曇らせる。息子を手招き、その小さな体を抱き締めた。


「駄目だよ、光輝。絶対に、お友だちにお父さんが勇者だったことを話してはいけない。誰一人として」

「どうして?」

「……光輝を守るためだ。それに」


 望は息子を離すと、優しい笑みを浮かべた。


「魔王は、しばらく地球に手を出さない。魔族が襲ってくると不安にさせても、みんな可哀そうだろう? だから、光輝の胸に仕舞っておいてくれないかな」

「……わかった。ないしょだね」


 内緒という言葉が、光輝と父を強く結び付ける気がした。だから光輝は、父との約束を守ることを決意する。

 しかし父が何故「光輝を守るためだ」と言ったのか、その意味はしばらくわからなかったが。

 無邪気に微笑む光輝を切なげに見詰め、望は再び息子を抱き締めた。「ごめん」と小さく呟いたが、秘密を持った楽しさで心躍っていた光輝には聞こえていない。


 望の言う通り、彼が勇者を引退してしばらくは魔族の脅威などないにも等しかった。しかし、それは突然やって来た。


「……お父さん、お母さん?」

「光輝、見てはいけない」


 10年前、光輝は両親を同時に喪った。

 来年は小学生だねと喜んでランドセルを一緒に買いに行った両親は、光輝が幼稚園から帰って来ると死んでいた。母はキッチンで、父は木刀を持って居間で。


 なかなか親が迎えに来ないために幼稚園で待ちぼうけていた光輝を心配し、先生が祖父母に連絡を取ってくれた。祖母が迎えに来て、息子夫婦と連絡が取れないとぼやいた。

 その時はまだ、悲劇など知らず。光輝は祖母と帰れることで安堵していた。

 一度祖父母の家を経由し、仕事から帰っていた祖父の車で送ってもらった。車の中では光輝の好きなアニメの音楽をかけてくれて、光輝は上機嫌だった。

 だから玄関に立ち血のにおいを嗅いだ時、祖父の顔色が青く変わった時、光輝は棒立ちになっていた。

 玄関の鍵は閉まっていて、祖父は光輝の鞄から鍵を取り出した。ここに居ろと言われ、光輝は玄関に立っていた。

 その後すぐ、祖父の悲鳴が響く。びくっと体を震わせ、光輝は祖父の言葉を破って家に駆け込んだ。


「望、まいさん……っ」

「おじい、ちゃん?」


 震える祖父の背中越しに、光輝は見た。祖父に手を握られても反応しない父と、息絶えて血の海の中に横たわる母を。


「お父さん、お母さん」

「光輝っ」


 むせ返るような血のにおいの中、光輝は気を失う。その間際、父の言葉が蘇った。

 ――光輝を守るためだ、と。


「その後、俺は祖父母に育てられたんだ」

「……っ、そんな」


 夕闇の近付く頃、教室に華月の嗚咽が響いていた。

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