2
大規模な戦闘が行われたのは山脈の手前に開けている荒野だった。国境付近に位置しているためにそうなったのだろう。自国は防衛の立場だった。偵察メインの別動隊であったレイの小隊も緊急招集されたが、結果的にそれでは遅かった。十人にも満たない小隊が辿り着いた頃にはほとんど負けが決まっていた。
阿鼻叫喚だった。防衛のため自陣に設置された地雷を逃げ惑いながら踏む味方が大勢いた。ばちん、とどこか間抜けな音のあと、主に足を弾けさせて倒れる姿を、何人分も見た。転がった足は痙攣を繰り返した後に沈黙し、粘ついた血液で大地を濡らした。足を失いながらもまだ生きている人間に、敵国は容赦がなかった。見逃して欲しいとの懇願は悉く受け入れられず、頭を撃たれて死んだ。後頭部で爆発した散弾はピンク色の脳を外へと撒き散らした。戦車同士の撃ち合いも、ほとんどこちらが負けていた。戦争を仕掛けるために訓練していた軍隊なのだとは、俺にもレイにもわかった。射撃の精度が寄せ集めに等しい自国とはまるで違っていた。砲弾が直撃し、燃え盛る戦車から躍り出た人間は正確に射撃され、戦車の足元に倒れた。炎にやがて包まれ、硝煙や土煙に混じって場違いなほど芳しい、肉の焼ける香りが過ぎった。レイの隣にいた隊員は嘔吐した。嫌だ、畜生、ああ神様、おおよそそのような連なることのない単語を矢継ぎ早に呟いてから、泥状の胃液を再び吐いて嗚咽を漏らし始めた。
小隊は岩陰に隠れつつ、呆然と戦況を見つめるほか、手立てはなかった。一人殺すたび、敵国の人間から歓声が上がったが、挽歌にもならない雄叫びにレイは震えた。俺もハッとした。黴臭いが穏やかな自宅を思い出し、一人でレイの帰還を待つ父親を思い浮かべた。続けて、これが母さんだよと、レイに写真を見せてもらった母の顔を思い出した。レイだけでも無事に帰さなければならない。そう思った。レイ、逃げるぞ。故郷に帰って今度こそ、俺とお前で山間の森を駆けよう、なあ。
俺の独白じみた言葉に、レイは反応したようだった。俺を縋るように抱きながら振り返り、小隊に逃げようと告げた。半数は賛成して、半数は拒否した。拒否した半数はレイの制止を振り切って飛び出し、すぐさま撃たれた。続けて数人が一気に飛び出したが同じ末路を辿り、だが最後に飛び出した、隊の
「レイさん、行ってください」
男はレイに賛成した筈だったが、背負ったリュックの肩掛けを強く握り締め、咆哮しながら躍り出た。当然撃たれたが、膝をつかなかった。手を広げて数人からの射撃を全て引き受けた。血飛沫が花びらのように煙たい宙を舞っていた。
後ろに背負ったリュックには爆弾が詰めてあったと、知っていた。だからレイに逃げろと伝えた。レイが瞬間的に走り出すと、連射され続けて直立していた男はぐるんとワルツを踊るように反転し、リュックを下に倒れ込んだ。正しく起爆しブラックアウトする瞬間に、男は微笑んだようだった。
激しい爆発音があり、風圧も直ぐに追い付いた。そこから他の隊員がどうなったのかはわからない。俺は青褪めているレイに指示を飛ばすので必死だった。人間の気配が薄い方向、暗澹たる戦場から逃げ出すための最適なルート、身を潜めるための複雑なエリア……がむしゃらに走ったレイは、やがて山脈の麓に位置する深い森へと辿り着いた。
追手の姿などはなかった。レイは息を潜めるようにしながら、音を立てないよう慎重に歩いた。獣道や隘路となっている踏みならされた方向には向かわず、ただただ、黒々とした闇が舌を伸ばす方向へ、アーレントおれは怖いよと、俺を抱きしめうわ言のように繰り返し、進んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます