第7話 わたしのだいすきなひと



 それからしばらく私たちの間には距離ができた。お互いどう振る舞うべきか迷っていた。


 せっかく仲良くなれたのに、ちょっとだけ後戻り。とは言っても杏奈あんなは以前みたいにツンツンした態度を取ったりはしなくなったけれど。


 薄く家族という役割を身に纏って何とか日々を凌いでいた。


 私はお弁当用に玉子焼きを作る。それは当然、杏奈が好物にしているだし巻き玉子だ。


 気持ちは不明瞭なままだからって、杏奈をつっぱねたり拒否するなんて私にはできないし、取り敢えず今は姉として頑張るしかない。


 お弁当に入らなかった分を皿に乗せてテーブルに運ぶ。


「杏奈ちゃん、余ったから食べていいよ」


「ありがとう」


 今日は母も義父も朝早くに家を出てしまったので、二人きりだ。普通なら気まずいけど、姉っぽくしていれば何とかなる。そこは杏奈も変わらないようだった。


「ねぇ、花音かのん


「ん?」


「今日なんだ。写真の展示」


「あっ、そういえばそうだっけ。中央ロビーに展示されるんだよね。確か」


「うん。⋯⋯見に来る?」


「ちゃんと行くよ。朝から見られるんだよね?」


「そう。昨日部活の時にみんなで展示したから」


「登校した時に一緒に見に行きたいな」


 杏奈は頷いて玉子焼きを食べ始めた。


 どの写真になったか予想がつかないので楽しみだ。うろこ雲が浮かぶ空の写真を杏奈はスマホの壁紙にしていた。あれを特に気にって入るようだったし、杏奈の使うカレンダーは空模様の写真入り。だから空の写真から選ばれそうだなとぼんやり思う。


(私の写真だったらいいのに)


 なんて当たり前みたいに考えてしまったことにはっとする。


(いくら杏奈ちゃんが好きって言ってくれたからって、私自惚れすぎ)


「どうかした?」


 不審そうに杏奈が箸を止めた。


「ううん、何でもないよ。玉子焼き美味しい?」


「美味しいよ。花音が作るものは全部」


「⋯⋯っ!! ⋯⋯⋯ありがと」


 杏奈の不意打ちにくらくらしながら私も朝食を食べ始めた。


 学校への登校ももちろん杏奈と一緒だ。二人揃って、自転車で向かう。気づけばそれが朝の普通になっていた。


 家を出てから四つめの信号が赤になったので、私たちは停まる。そこへ左側の狭い道路から黒いマウンテンバイクが現れる。そこに乗ってるのはたきくんだ。


吉田よしだ、おはよー」


「おはよー。今日は一人?」


「そう。あいつ風邪引いたらしくて今日は休むってさ」


「そうなんだ。大丈夫なのかな」


「後でラインしてみたら? 多分暇してんじゃないかな」 


 会話をしていると何故か杏奈がずいずいと私と滝くんの間に自転車ごと割り込んだ。杏奈はまなじりをきっと上げて私と滝くんを見る。


「杏奈ちゃん?」


「花音、こいつはやめた方がいい」


「どういうこと?」


「花音が傷つくのが嫌だから黙ってたけど、こいつ女いるから。あんた花音と付き合っていながら他の女と手繋いでデートしてたの見てるんだからね!」


 杏奈はすっかり怒りで興奮している。


 でも私たちはそんな杏奈にぽかんとするしかない。杏奈の話には現実とちぐはぐになっている部分がある。


「浮気性の男なんかに花音を任せられると思ってるの!? 絶対許さない! この男、この間あの自然公園で違う女と手繋いで歩いてたの見たもん。間違いないんだから!」


「ちょっと落ち着いて杏奈ちゃん! 私と滝くんが付き合ってるってどこで聞いたの、そんな話。私と滝くんは確かに中学の頃から仲は良かったけど、ただの友だちだから!」


「そうそう。俺らただのダチなんだけど」


 杏奈は私と滝くんを交互に見ながら、意味が分からなそうにしている。


「滝くんには綾美っていう歴とした彼女もいるし」


 うんうんと滝くんも大きく頷く。


「⋯⋯だって、前に花音のバイト先にもこっそり会いに来てた」


 言われて、私も滝くんが綾美の誕生日プレゼントの相談にしに来た日のことを思い出す。あの日は杏奈が迎えに来てくれたっけ。泣いたみたいに目を赤くして。


(私が滝くんといたから泣いたとか?)


 急にあの日の謎が解けたような気がする。


 私はバイト先で滝くんに会ったいきさつを話した。杏奈は自分が思っていた事実と違うことを知ってか、さっきの剣幕もなくなりきょとんとしている。


「まぁ、何か勘違いしてるけど俺と吉田はそういう関係じゃないから。遅刻するからそろそろ学校行こうぜ。まだ話したいことがあるなら学校で聞くし」


「ってことなんだけど、杏奈ちゃん大丈夫かな?」


「⋯⋯⋯うん」


 空気が抜けて一気にぺちゃんこになった風船のように、杏奈は小さくなっている。


 諸々のことは学校に着いてからにしよう。


 私たちは再び学校に行くために走り出した。


 駐輪場で改めて一通り杏奈の勘違いを正して、杏奈は滝くんにも怒鳴ったことを謝り、何とか丸く収まった。


 私は滝くんの彼女ではないこと。滝くんが自然公園で一緒にいたのが本当の彼女であること。バイト先に滝くんが一人で私に会いに来たのは彼女へのプレゼントの相談だったこと。


 杏奈は少し戸惑っていたけど、取り敢えず納得してくれたようだった。


 私と杏奈は写真が展示してあるロビーに向かうため、昇降口から渡り廊下を進む。


「花音、ごめんね。嫌な思いさせちゃって」


「さっきのこと? 滝くんも怒ってなかったし、私も気にしてないから大丈夫だよ。誰にでも勘違いくらいあるもの。まさか滝くんの彼女と思われてたのは意外だったけどね」


「だって花音可愛いし、仲良さそうな男の人もあの人ぐらいだったから、彼氏なんだと思ってた」


(可愛い。可愛いか⋯。そんな風に思っててくれてたんだ)


 てっきり何の取り柄もないダサくてだめな姉だと思われてる気がしてたから、私は嬉しかった。


 ロビーに到着すると、パネルにいくつもの写真が並んでいるのが目に入る。私たちの他にも数人見に来ている生徒がいた。


「⋯⋯私の撮った写真、一番右端にあるから、左の方から見て」


 杏奈に手を引っ張られてパネルの左端まで行く。


一番見たい写真はトリというわけだ。


 写真部が撮った作品は人によって被写体は様々だった。道端に落ちている空き缶に、鯉が泳ぐ池。ピンク色のコスモスに、犬を散歩させるおじいさん。ベビーカーで眠る赤ちゃんに、青空を突く東京タワー。


 見ているものはみんな違う。それぞれが魅力を感じたものを撮っているからだ。


 とうとう私はパネルの最後に来た。


 一番下に貼られた写真。


 タイトルは『わたしのだいすきなひと』。 


 バラを前に恥ずかしそうに笑う私の姿がそこにはあった。


「杏奈ちゃん⋯⋯」


「それが一番よく撮れたからそれにした。いい写真でしょ」


 誇らしげに杏奈は微笑んだ。


「もう、勝手に私の写真にして⋯⋯」


「怒ってる?」


「怒ってると思う?」


 知らぬ間に私の頬を涙がつたっていた。


 杏奈にとって大好きなのは私。


 心がふわっと優しい幸福感で満たされて、こんなに嬉しいことはなかった。


「花音、泣かないで」


「うん。ごめん」


 周りに人もいるので、私は慌てて制服の袖で涙を拭う。


「こっち来て!」


 私は杏奈に連れ去られるがままに校舎を駆け抜けて、外階段に出た。三階まで登ったところで、ようやく足を止める。


「ここ、よくサボる時に来てるんだ」


 杏奈はいたずらっ子のように笑う。


「サボったことあるの!? だめじゃない、ちゃんと授業に出ないと」


「そんな『お姉ちゃん』みたいなこと言わないで」


「私は杏奈ちゃんのお姉ちゃんなんだから仕方ないでしょ」 


「私はお姉ちゃんなんていなくてもいい。でも花音は必要。花音はいなきゃだめ」


 屁理屈を言われてしまう。姉が必要ないのはちょっと複雑ではあるけれど、私自身はいないとだめだと言う。何て可愛いのだろう。うっかり口元がにやけそうになった。 


「杏奈ちゃんはお姉ちゃんはいらないんだね。どうしたらいいの?」


「⋯⋯それは」


 杏奈は私の指に手を絡めながら頬を染めてそっぽを向く。


「花音はいなきゃだめって言ったよ。私が欲しいのは花音だもん」


 こちらへ身を乗り出した杏奈に押されて階段の壁が背中に当たる。


「花音、私じゃ、だめ?」


 杏奈の潤んだ瞳に私が映る。


 私たちは血は繫がってなくても姉妹で、家族で。杏奈のことは大好き。私にとってももう失くすことができない存在。だけど、この気持ちは⋯⋯。


 ふいに杏奈の顔が近づいたかと思うと、唇に何か触れる。それは一瞬だけ柔らかく私の唇に感触を残していった。


 杏奈からのキスだった。


 意味を悟った途端に胸がドキドキしてくる。


「花音、私ね、ずっと好きだったの。花音がバイトしてる本屋さんよく買いに行ってて。そこでいつも花音のこと見かけるうちに、気づいたら姿を探すようになってた。最初は漫画や文房具が目当てだったのに、私は気づいたら花音のこと探してた。まだパパとお義母さんが結婚する前」


「家族になる前から?」


「そう。だからお義母さんの隣りに花音がいた時はすごくびっくりした。それと同時にすごく辛かった。姉妹になったら、余計に好きになっちゃいけないって。だからいっぱい花音にいじわるしちゃった。本当は好きなのに」


 杏奈が私を避けてたのも、冷たくあしらうのも全部裏返しだったわけだ。


 きっと私が心の底から杏奈を嫌いになったり、拒否する気にならなかったのも、本気で嫌いだったわけじゃないと、無意識に感じていたからかもしれない。


「花音の傍にいてもいいよね? ⋯⋯好きでいたら迷惑、かな?」


「私が杏奈ちゃんにだめなんて言えるわけないよ。迷惑だなんて思わないから、そんな寂しそうな顔しないで。だって私だって杏奈ちゃんが大好きなんだから。でもまだ私の杏奈ちゃんへの好きって気持ちが妹だからなのか、もっと違う好きなのかは正直よく分からないの。答えはもう少しだけ待ってて。どっちにしても私が杏奈ちゃん好きなのは絶対変わらないから」


「うん。待ってる。ううん、花音に好きって言わせてみせる」


 強気な笑顔を見せる杏奈。これがまた一生忘れられないようないい笑顔なんだから困る。


「それは手強いね」


 姉妹で好きになってもいいのか、とか。


 女同士なのに、とか。


 そんなことが頭をよぎるけど、どんな関係や事実があったって、私の中の好きという気持ちが消えてしまうわけではない。


 これから時間を重ねていけば、もっと知らない杏奈を知るだろう。そして、私はまた彼女に対しての愛おしさを増やしていく。それだけははっきりしている。


 杏奈が私を抱きよせる。


 澄んだ青空を見上げながら、今はもう少しだけこうしていようと思う。


 私の中の気持ちに名前がつくまで。










 

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好きの矢印 砂鳥はと子 @sunadori_hatoko

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