第6話 この気持ちの名前は



 お風呂から上がり部屋に戻ると、ベッドに杏奈あんなが腰掛けていた。手には私のタブレットを持っている。


「写真、送っておいたから」


「ありがとう、杏奈ちゃん。一緒に見よう」


 今日公園で撮った写真が見たいからと杏奈にお願いして、私のタブレットに入れておいてもらったのだ。


 早速私はタブレットを開いて、写真を表示する。うろこ雲が並ぶ青空、子供たちが駆け回る芝生の広場、少し変わった形のモニュメントに、水辺で戯れる小鳥たち。そして赤や黄色の色とりどりのバラ。


 今日見た景色が形になっている。


 しかし私を撮った写真はなかった。まだ杏奈も見せるのは恥ずかしいのかもしれない。私も二人で見るのはちょっと気恥ずかしい。


「展示にはどの写真出すか決めた?」


「もう決まったよ」


「いっぱい撮ったのにもう決まったなんて、その写真すごくよく撮れたってことだよね」


「まぁね。上手く撮れたと思う」


「それは楽しみだなぁ。どれか教えてほしいけど、発表までは内緒だよね?」


「うん。まだ内緒。展示されたら、見に来て欲しいかも」


「もちろん、杏奈ちゃんが撮った写真だもん。見に行くよ」


 私はしっかりと杏奈の手を取った。


 途端に杏奈が真っ赤になるものだから、私まで赤くなる。つい体が動いてしまったのだから、仕方ない。


 この程度で照れるようでは、完全な姉妹になるまでの道程はまだまだ遠い。


「そうだ、杏奈ちゃん。今日のお昼に話そうと思ってて忘れたんだけど」


「何?」


「青いバラの花言葉について話したでしょ。杏奈ちゃんが『不可能』だから縁起が悪いって。でもね青いバラには後から新しく花言葉が増えたんだよ。何だと思う?」


「⋯⋯うーん、『有り得ない』とか。『無理』とか?」


 自分で言ってて悲しくなったのか、杏奈はしゅんとなってしまった。


「正解は『夢が叶う』『奇跡』。昔は青いバラは存在しなかったけど、青いバラが誕生して奇跡が起こって、夢が叶ったから、言葉が増えたんだって。確かに世の中には不可能なことってあるけど、きっと全部が不可能なわけじゃないと思うの」


「⋯⋯不可能じゃない」


「うん。何でもかんでも上手くはいかなくても、叶うことだってあるよ。私は杏奈ちゃんの夢や願いが叶ったらいいなって思ってる」


「本当にそう思う?」


「当たり前じゃない。私は杏奈ちゃんが大好きなんだから」


 と言い終わるやいなや、突然視界がぐるりと変わった。遠くに見える生成り色の壁。いや、天井。そしてそれを遮るように私を見下ろす杏奈。私は杏奈に押し倒されていた。


「ど、どうしたの杏奈ちゃん?」


 真剣な眼差しが痛いほどに私に降り注ぐ。だけど、けして視線を逸らせない。逸してはいけないように思えて、私は矢に射抜かれたみたいに、ただ杏奈の目を見つめ返した。


「⋯⋯私。⋯⋯⋯私も花音かのんが好き」


 その言葉が私の耳の中で、頭の中でこだまする。花音。花音。花音。初めて私の名前を呼んでくれた。


「杏奈ちゃん⋯⋯⋯」


 私はずっと名前を呼んでほしかった。だけど、拒否されるかもしれないとなかなか伝えられなかった。でもいつかは、遠いいつかは呼んでくれるって信じてた。


「私、花音のことが好きだった。パパが再婚する前から、花音のこと見てた。多分一生、好きなんて言えないと思ってたけど。だから彼氏がいるって知った時はショックだったし、彼氏がいるなら負けないようにしようって」


「⋯⋯ちょっと待って杏奈ちゃん」


 今の状況が飲み込めない。私は杏奈ちゃんが好き。血が繫がってなくても可愛い妹だもの。でも杏奈はなぜか『彼氏』に負けたくないと言う。


 まず私には彼氏なんていないし、そもそも彼氏が引き合いに出される『好き』とは、もしかして杏奈の『好き』は恋の好き? 杏奈が赤くなって恥ずかしそうにしながらも、私を見ている。その瞳は今まで見た中で一番優しくて、一番切ない。


 何だか私たちはずっと赤くなりっぱなしだ。


「私、花音が好きだよ。お義母さんの連れ子が花音だって分かった時は好きにならないように、もう嫌われてしまおうって思ってたのに。花音はいつだって優しいから、本気で嫌いになれなくて⋯⋯」 


 ぽろりと杏奈の瞳から涙がこぼれる。


「⋯⋯花音、嫌いになれないよ。だから私のことも嫌いにならないで。私これからは花音のこと大切にするし、おばさんになってもおばあちゃんになっても、花音が一番大好きだから⋯⋯!」


 杏奈は私に抱きつくと声を押し殺して泣いてしまった。私の首筋に温かな杏奈の涙が流れてゆく。


「杏奈ちゃん⋯⋯」


 私は小さく震える杏奈の頭を静かに撫でた。私の腕にいる愛おしくて可愛い存在。


 だけど私の杏奈への『好き』は妹だからで。そのはずで。でも心の奥で燃えているこの気持ちは本当に家族への『好き』なのか。私にはまだ分からない。

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