第5話 花言葉は⋯



 杏奈あんなとの日常は、これまでのぎくしゃくした関係が嘘だったかのように、順調に進んでいた。


 私も日に日に杏奈への愛おしさが増えてゆく。


 だけど時折、杏奈は寂しそうな顔をすることがあった。ほんの一瞬、憂いを見せる。


 それは私に解決できることなのか、私には無理なのかは分からない。


 でも杏奈が何かに悩んで困っているなら手助けしたい。


 日曜日の今日は、朝から杏奈と市内にある大きな自然公園に行くことになっていた。


 写真部に所属する杏奈が、年に四回ある校内展示の写真を撮るためだ。この写真は風景でも、花でも、人でも何を撮ってもよく、杏奈は題材を探すために公園に行くのだと言う。そこに付いて来て欲しいと頼まれたら、姉として頷かないわけにいかない。


 私はお昼に食べられるようにサンドイッチと杏奈が好きなだし巻き玉子をお弁当箱に詰めた。


「⋯⋯準備できた?」 


 杏奈がキッチンを覗きに来る。


「できたよ。今支度するからもう少し待ってて。お弁当リュックにしまっておいて」


「うん」


 杏奈がお弁当をしまっているのを横目で見ながら、私は自分部屋に入る。


 そして昨日、頭を悩ませて二時間かけて決めた洋服に着替えた。もし杏奈ちゃんに服装がダサいなんて思われたらショックなので、随分と服選びには迷ってしまった。


(何かこれって今からデートに行くみたい)


 自分で自分の考えに恥ずかしくなってきた。鏡の向こうの私が赤くなっている。よく考えたら休日に一緒に二人で出かけるのは初めてだし、ちょっとくらい浮かれても仕方ないよね。


 私は杏奈ちゃんにとっていいお姉ちゃんにならなくては。気合を入れて支度を終えた私は杏奈と二人、自然公園へと赴いた。


 外は見事な秋晴れで、青く澄んだ高い空に、少しずつ色づき始めた木々の黄色や赤がよく映える。


 公園は日曜日だけあって、遊びに来ている人たちがたくさんいた。園内には遊具やアスレチックもあるし、小さなバラ園に噴水に、芝生の広場。水辺だってある。


「杏奈ちゃん、どこから行こうか。何か撮るものは決めてるの?」


「まだ、決めてない」


「取り敢えず、バラ園に行ってみる? ちょうど今が見頃みたいだし」


「そうする」


 私たちは公園の入口にある案内板で場所を確認して、バラ園のある所まで歩いて行く。道すがら、杏奈は街灯や落ち葉、花壇の縁を歩く鳩など目についたものを撮影する。


「どう? いい写真撮れてる?」


「まだ練習というか、手慣らしみたいなものだから」 


 そう言いつつも杏奈は撮った写真をいくつか見せてくれた。


 バラ園にたどり着くと、満開の花が目に飛び込んで来た。赤にピンク、黄色に白、紫。秋の陽光の下で咲き乱れている。


「すごいね、杏奈ちゃん。たくさん咲いてるよ」


「うん。いっぱい写真撮れそう」


 早速杏奈は深い赤色のまるで女王のようなバラにピントを合わせる。真剣な横顔に私は思わず息を飲む。初めて見る杏奈の表情。知らなかった一面を見られて嬉しい。


 私は杏奈の邪魔をしないように少し離れたところからバラを見て周った。


 気づくとバラ園の端まで来ている。振り返ると杏奈はピンク色のバラの前で角度を変えながら何枚も写真を撮っていた。また移動して次は白いバラと向き合う。バラとバラの間を行き来する様はまるで蝶々だ。


 微笑ましく杏奈を見ていたらふいに目が合う。写真を撮り終えたらしい杏奈はパタパタとこちらまで走って来た。


「ちょっと来て」


 腕を引っ張られるまま付いて行く。バラ園の中程まで戻った。


「ねぇ、バラと撮ってもいい?」


「私を?」


「そう。別に嫌ならいいんだけど」


「杏奈ちゃんが私を撮りたいって思ってくれるならいいよ。どこで撮るの?」


「⋯⋯好きなバラ、ある?」


「好きなバラか⋯⋯」


 私は辺りを見回した。ここは本当に植えられているバラの種類も多くて、形も色も豊富に取り揃っている。


「あのバラがいいかな」


 今度は私が杏奈の手を引いて、あるバラの前に立った。それは青バラと呼ばれる品種だった。白いバラにほんのりラベンダー色を染み込ませたような、どこか神秘的なバラ。


「これ、好きなの?」


「青バラって珍しいでしょ。ここでも咲いている数は少ないし。何かこう、印象に残るんだよね」


「ふーん」


 杏奈は不満そうにに眉根をよせる。


「青いバラ、杏奈ちゃんは好きじゃない?」


「あんまり。だって青バラって言っても、どう見ても紫だし」


「確かにそれはそうだけど⋯⋯」


 残念ながらまだこの世に紫陽花やネモフィラのような真っ青なバラは存在しない。


「青いバラの花言葉って『不可能』なんでしょ。⋯⋯縁起悪い。不可能って分かってても期待したくなることだってあるのに」


 杏奈は不機嫌そうにバラを睨む。その声音は怒っているのに、杏奈は涙を流さずに泣いているように見えてしまった。


 そんな姿は見ていて辛い。


 きっと杏奈には杏奈の悩みや夢があって、それは『不可能』なことなのかもしれない。昨日今日仲良くなった私が簡単に触れられるものではないけれど。


「それじゃ、あっちのバラと撮ってほしいんだどいい?」


 私は明るく輝く赤いバラの所まで杏奈を誘導する。


「青いバラじゃなくていいの? 何となく私が嫌いなだけだし⋯⋯」 


「嫌いなものは撮っても楽しくないでしょ。ねぇ、杏奈ちゃんは赤いバラの花言葉は知ってるよね?」


「⋯⋯愛情」 


「そう。当たり。私は杏奈ちゃんが大好きだから。とても大切な人だから。今の私の気持ち的には赤いバラの方が合ってるかなって」


 何となく視線を感じて顔を上げ、ここにいるのは私たちだけじゃないことを思い出す。誰かに聞かれたかもしれないと思うと、面映おもはゆい。どうか杏奈以外には聞こえていませんように。


「⋯⋯バ、バカじゃないの。変なこと言って。本当⋯⋯、変なんだから⋯⋯」


 杏奈も横に咲く赤バラに負けじと真っ赤になっている。やっぱり恥ずかしいことを口にしてしまった。


「時間なくなるから、撮るね」


 杏奈に促されて、私はバラの向こう側の通路に立つ。私の目の前に赤いバラが並ぶ。 


「撮ったよ」


「そっちに戻るね。ちゃんと撮れた?」


「⋯⋯秘密」


 杏奈は写真を見せてはくれなかったけど、私も今は恥ずかしいので、いつか他の機会に見せてもらおう。


 それから私たちは広い公園の中をぐるぐる歩き周った。杏奈はいくつもいくつも写真を撮る。私はそんな杏奈をただ眺めていた。それでも不思議と心は満たされている。


 十二時を少し過ぎたので、大きな噴水前に並ぶ藤棚の下のベンチで、私たちは昼食を摂ることにした。


 二人の間にお弁当を広げる。


「飲み物持って来るの忘れちゃったね」


 私は水筒を準備しようとしてたのに、すっかり失念していた。


「私、自販機で何か買って来る。何飲む?」


 杏奈がリュックから財布を取り出して立ちがる。


「ミルクティーかココアがいいかな。なかったらカフェオレで」


「分かった。行って来る」 


「ありがとう、お願いね」


 私は駆ける杏奈の後ろ姿が見えなくなるまで、背中を見つめていた。


 待つ間はやることがなくて、何となくスマホをいじる。杏奈が先程、青いバラの花言葉は『不可能』だと言っていたことを思い起こす。


 花言葉というのは必ずしも一つではないはずだ。私は青いバラの花言葉をスマホで調べてみる。杏奈が言うように『不可能』という言葉が並ぶ。それと同時に『夢が叶う』『奇跡』という文字も見つける。


 調べてみると青いバラというのは元々は自然界に存在しなかったため長い間、花言葉は『不可能』だったらしい。けれど青いバラが誕生したことで、その花言葉が変わったようだ。


 杏奈にこれを伝えたら、彼女の中の何か不可能なものへの希望になったりしないだろうか。


 飲み物を買って来た杏奈が戻って来る。


「ミルクティーあったよ」


「ありがとう、杏奈ちゃん」


 私たちはお昼のサンドイッチを頬張る。


 どのタイミングでさっきの話をしようかと思案していると、杏奈が体勢をこちらに向けた。何だろうと見ていると、杏奈は小さくなったハムサンドを口に放り込み、りんごジュースで流し込んだ。


「ねぇ」


 どこか怒りがこもった声で杏奈は私に話しかける。何か怒らせるようなことをしてしまっただろうか、と不安が渦巻いた。


 思い返しても、そんなことはないような気がする。


「⋯⋯なぁに、杏奈ちゃん」


「男って浮気するから良くないと思う」


「えっ、浮気!?」


 全くもって唐突な言葉が出てきて、私はむせてしまった。慌ててミルクティーを飲む。


「どうしたの、急に」


「男って浮気性でしょ。彼女がいても平気で他の女と二人きりになる」


「まぁ、そういう男の人もいるけど」


 脈絡のない話に私は付いていけない。何故杏奈はこんな話をするか。どこから何がどう繫がってこの話に到っているのか皆目見当もつかなかった。


「私、そんなの許せない。私の方が絶対に大切にできるし」


「何の話?」


「ともかく、男を信用したらだめ。特に今の男は」


「う、うん」


 杏奈は随分と怒っている様子。内の中にしんしんと怒りを宿している。しかし、どうして今なのか。


「前に見かけた時からチャラいと思ってた、あいつ。次に見かけたらぶん殴ってやるんだから」


「杏奈ちゃ〜ん、物騒なことしちゃだめだよ」


 どうも杏奈は男の人に怒っている、それも特定の人に。けれど私にはそれが誰か分からないし、このお昼時にその話をするのも謎でしかない。


「私は浮気なんてしない」


 決意を込めるように杏奈は真っ直ぐな眼差しで私を見る。


「それはいいことだと思うよ」


「本当にしないんだから。私は」


 杏奈は私の手に手を重ねてぎゅっと握りしめる。


「大丈夫だよ、杏奈ちゃん」


 私は取り敢えず空いてる方の手で杏奈の手を撫でて落ち着かせる。


 杏奈との距離は減ってきているけど、まだ未知の部分もたくさんあるのだと実感した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る