外伝『文始天皇御記』(二)
【文始四十年八月二十日条】
興宮が嬉しそうにしていたので、何かいいことがあったのかと聞いてみると、実仁親王のところの秋子女王と、大人になったら結婚しようと約束してきたのだという。朕にも覚えがある。子供同士の約束だからどうせ叶わないだろうが、このくらいすんなりと皇太子妃が決まればよいのに、と思ったりした。
――――――――――――――――――――
【文始四十二年四月八日条 皇太子初等科入学】
興宮と秋子女王、初等科の入学式。まことにめでたい。同じく父母として臨席した白河宮と同妃も、いつになく嬉しそうだった。この年頃というのは総じて女子のほうが大人びて見えるもので、実際には半年くらい年下であるというのに秋子女王のほうがしっかりしていて、並ばせて一緒に記念撮影をした時にはまるで姉のように見えた。
秋に五十歳になる朕は、やはり若い人たちが多い中でやや肩身が狭かったが、若い頃から白髪が多く「白髪の宮」などとあだ名されていた白河宮が同じ空間にいてくれたおかげで、いくらか気が楽だった。そういえば少し前、髪を黒く染める気はないのかと聞いたことがあったが、
「娘というものはそのうち父親を嫌うようになるそうです。だから私は秋子に祖父のように思われたいのです」
と返されて、朕もいずれ静宮に嫌われてしまうのだろうかと不安に思ったけれども、幸いにしてそういう様子はまだ感じられない。
――――――――――――――――――――
【文始四十四年七月六日条 皇太后崩御】
朝、皇太后にわかに崩御。正直、日記などは書く気にならないけれども、この悲しみを紛らせるために、あえて筆を執る。
お
――――――――――――――――――――
【文始四十八年三月十八日条 皇太子初等科卒業】
興宮が卒業式を終えた後、皇太后崩御の時よりもひどく悲しげであった。聞けば、中等科からは秋子女王と学び舎が別になるのが辛いのだと言った。夜、実仁親王が拝謁に来たので、その話をしてやったが、秋子女王も同じだそうだ。
聞くところによると、二人は休憩時間中、ほとんど常に一緒にいたということだ。かつて二人が結婚を誓ったと聞いた時には、幼い子供同士のことだからと本気にしなかったが、もしかすると本当にそうなるのかもしれない。
――――――――――――――――――――
【文始四十九年五月二十三日条】
夜、興宮に有栖川御流の指南。まだ始めてからそれほど経っていないが、そもそも興宮の字はひどい。出来はともかく、即興で和歌を詠む才能だけは辛うじてあるようだが、基本的に皇室の古めかしい伝統文化にはあまり関心が持てぬらしい。いずれは公文書に署名すべき立場になるわけだけれども、それでも書道の類を修めさせることはもはや諦めたほうがよいのかもしれない……。
静宮は同じ習い始めの頃でもまだましだったが、いまだに落第点である。そもそも比較対象が興宮では話にならない。興宮が幸いにして皇統を未来に繋ぐことができたとしても、朕か皇后が目の黒いうちに皇孫に教え込むことができなければ、有栖川御流はもうおしまいだ。
――――――――――――――――――――
【同年八月三日条】
きょうも秋子女王が参内。興宮が先日、
「有栖川流を後世に伝えたいのでしたら、秋子女王にも伝授すれば宜しいではないですか」
と言ったからその通りにしてみたわけだが、秋子女王は呑み込みが早い。有栖川御流の次代の継承者は決まったも同然である。これで朕がこの世からいなくなっても、秋子女王から皇孫に伝授してもらえるだろう。間違いなくそうなるように今から拝み倒しておこうか。
――――――――――――――――――――
【文始五十年九月三十日条】
秋子女王が参内。よせばよいのに皇后が、
「二人とも、幼い頃に結婚の約束を交わしたのを覚えていますか」
などと興宮と秋子女王に尋ねたのだが、意外なことに二人とも平然としていた。気まずそうにするどころか、
「もしも二十五歳になってもお互いに特定のお相手がいないようでしたら、あのお約束の通りに致しませんか。私めのほうはその心配はないと思いますけれども」
「皇統を絶やさないためだ、不本意だがその時には皇太子の務めとして秋子くらいの女で妥協してやるか」
などと冗談のように言い合っていた。
夕方、
「真剣な交際です」
とだけ言ってきた。それを聞いた朕は、昭和天皇のあの有名な振る舞いを特に意識したわけでもないのだが、
「あ、そう」
としか返すことができなかった。白河宮のほうでどう思うかはともかく、朕としては男女交際をするのは構わないが、あくまでも節度ある付き合いを望む。それにしても、いつからそういう関係になったのだろうか。
――――――――――――――――――――
【同年十二月二十五日条】
クリスマス。相手は秋子女王であろう、興宮がリビングで長電話をしていた。あの日以来、興宮は想いを隠そうとしなくなった。もうじき六十歳になる朕も、いまだに皇后を恋しく思う心が冷めやらないのだから、あれの年頃では無理もないことだろう。しかし、白河宮は娘があれと交際していることを知っているのだろうか。
――――――――――――――――――――
【文始五十一年一月二日条
きょうは、静宮が成人してから初の一般参賀。若い内親王が登場したのはいつ以来か知れないほどだったので、国民はここ数年間の一般参賀では最も熱狂していたように思う。もちろん親としては嬉しく思うけれども、愛する皇后の注目度が下がってしまったことが少し悲しくもある。
――――――――――――――――――――
【同年同月十八日条】
夜、白河宮が参内。この機会にそれとなく秋子女王の様子について尋ねる。宮曰く、
「最近はよく遅くまで電話をしている声が自室から漏れ聞こえてきますが、相手が誰なのかは教えてくれないので、父親としては不安でたまりません。こんなことだったらまだ携帯電話など与えるのではありませんでした。学校での成績はすこぶる良好なので、無理に取り上げるわけには参りませんし、弱り果てています」
深く気にしていなかったが、そういえば白河宮は元々多かった白髪が近頃さらに増えたようだった。こういうことは当人たちから報告があるのを待つのが本当はよいのだろうが、このままでは宮があまりにも哀れなので、知らせてやった。
「大切な一人娘ですから、並大抵の男にはやれませんけれども、皇太子殿下がお相手ならばまだ諦めがつきます」
などと言っていた。
――――――――――――――――――――
【文始五十二年十月二十五日条】
還暦だから、宮中ではいろいろとお祝いをしてもらった。しかし、同時に四十二歳になった皇后はまだ三十代前半に見えるほど若々しいというのに、朕ばかりが老いていくことが辛い。年ごとに白髪が増え、頬のしわが深くなっている気がするが、きっと気のせいではないだろう。朕がますます老いていっても、美しいままの愛しい皇后は、朕のことを愛する心まで変えずにいてくれるだろうか。
――――――――――――――――――――
【同年同月二十六日条】
私はいついつまでもお上のことをお慕い申し上げます。普通に考えれば私のほうが二十年ほど長生きするのでしょうが、もしも許されることならば、乃木希典のようにお上に殉じたいと前々から思っているくらい深く愛しています。二人の子供もすっかり手が掛からなくなりましたし、お上がおいでにならない世界なんて、生きていても仕方がございませんもの。
殉死は絶対にならん。絶対に天寿を全うするように! 勅命である、これに背けば平将門などと並ぶ逆賊であるぞ。興宮以降、どれだけがんばっても三人目はできなかったが、二度とそんなことを言わないように、今からでももう一人作ろうか。
――――――――――――――――――――
【文始五十四年十月二十五日条】
天皇誕生日。お祝いの中身はこれまでとあまり代わり映えしないが、何と言っても、六月に十八の成年を迎えたばかりの興宮が、いや、もう成人したのだから称号で呼ぶのはよそうか。皇太子聡仁親王が一般参賀に加わるようになったことが嬉しくてたまらなかった。およそ十年ぶりに懐妊した皇后がまた流産してしまったばかりでしばらく気持ちが沈んでいたが、久しぶりに晴れ晴れとした心地だった。
よくよく考えてみれば、東宮が早く子を儲けてくれれば、今さら朕が三人目の子を持とうとしなくてもよいのだった。その時はきっとそう遠いことではないだろう。気が早い話かもしれないが、孫がある程度大きくなったら、東宮に譲位しよう。朕はその時、七十五歳くらいだろうか。
――――――――――――――――――――
【同年十一月二十八日条 秋子女王成人】
秋子女王、成年の挨拶のために参内。これで皇室に未成年の者はまた一人もなし。夜、東宮が、
「これでようやく、お互いに結婚できる年齢になったね」
などと嬉しそうに電話をしていた。相手はもはや聞かずともわかる。もう携帯電話があるのだから、そんな話は自室でやったらよかろうに。
東宮のことを「春宮」ともいうが、そうなると春宮妃秋子女王ということになるのか。女王の印は「
――――――――――――――――――――
【文始五十五年一月八日条】
正月の間は宮中行事がとにかく慌ただしく、しばらく日記をつけるのを忘れていた。
今年の正月で最も印象的だったのは、一般参賀だ。年末に成年を迎えた秋子女王も今回から加わったから、数年前とは打って変わって若者の姿が三人となって、雰囲気が一気に華やいだように思われる。
後で映像を見てみると、同い年の二人は、目を合わせることこそなかったけれども、しばしば互いを見ていた。もしかすると、目ざとい国民の中には、ただならぬ仲であると気づいた者もいたのではないか。
――――――――――――――――――――
【同年二月三日条】
東宮が、もう成人したのだから独立したいと申し出てきた。あれの考えは見え透いている。赤坂にある旧東宮御所に引っ越せば、白河宮家とはご近所さんということになるわけだから、秋子女王と少しでも近くにいられると思ったのであろう。
宮家の跡継ぎに恵まれない実仁親王はかつて、できれば男として生まれてほしかったなどと言っていたが、朕としては女でよかったと思う。世間には皇族のお妃なんてまっぴらごめんだという女ばかりであるから、もしも秋子女王が男だったならば、東宮ともども伴侶を見つけられないままだったかもしれない。
――――――――――――――――――――
【同年八月二十日条】
実仁親王、誕生日につき参内あり。東宮御所から白河宮邸への往来があまりに足繫ければ、ほとんど平安時代の
「私や妃が在邸の時ですらあのご様子なのですから、私ども夫婦が公務などで不在の間には何をなさっているやら。ご婚儀を待たずにコウノトリが来てしまうようなことになっても知りませぬぞ」
などと脅迫に近いことまで言っていた。
本当かどうかは知らないが、鶴のつがいというものは、どちらかが死して骨になっても、その骨に近づく者に対して威嚇するほどに絆が深いと聞く。周の霊王の太子
――――――――――――――――――――
【文始五十六年二月六日条 皇太子と秋子女王の婚約内定】
東宮が秋子女王を連れて、とうとう結婚したいと申し出てきた。これを認めた後、宮家の生まれであるからか、秋子女王は皇統を保つことに強いこだわりがあるようで、
「もしも私が子を生めない身体でしたら、ためらわずに離縁をなさってくださいね。魅力的な殿下でしたら、後添えはすぐに見つかるでしょう。私は宮家に戻って、一介の皇族として殿下をお支えいたします」
などと言い出した。東宮がそれに対して、
「皇太子としては失格かもしれないが、秋子を捨てなければならないくらいなら皇統を絶やしてもいい」
と言って、朕の目の前だというのに秋子女王を熱く抱擁し始めたから、目のやり場に困った。これほどまでに仲睦まじい二人が、子に恵まれないということはないであろう。今にして思えば、秋子女王の「秋」という文字は、皇后の宮殿を意味する「
実仁親王には嗣子たる王がないので、白河宮家はこのままでは廃絶を免れ得ないが、いずれ二人の間に生まれてくる親王の一人に同じ宮号を賜って再興させればよいだろう。江戸時代の世襲親王家は、子孫が絶えた際には適当な皇子をして継がせしめたものだった。もしも二人が大勢の男子に恵まれたなら、伏見宮、桂宮、有栖川宮、閑院宮の名跡を蘇らせるのもよいかもしれない。来年の話をすると鬼が笑うなどというが、どうしても朝家の明るい未来図を思い描かずにはいられない。
「契りたる子らの
――――――――――――――――――――
【文始六十二年十月二十五日条】
今日で七十歳。いろいろとお祝いをしてもらったのはありがたいが、婚礼から五年以上が経っても東宮のところにまだ子がないので、気が晴れない。あれだけ睦まじい夫婦にどうして子が生まれないのか、不思議でならない。どうやら熙子内親王は結婚する気がまるでないらしいし、孫が見られるのはいつになるやら。
――――――――――――――――――――
【文始六十七年八月二十日条】
妊娠していた秋子女王が、またしても流産とのこと。残念至極。婚礼から早くも十年が経つが、いまだ子は得られず。同族での結婚であるとはいえ、はとこであるから血縁的にはそれほど問題はないはずなのだが、いったい何がいけないのだろうか……。
――――――――――――――――――――
【文始六十九年二月十八日条 白河宮実仁親王薨去】
白河宮実仁親王、けさ療養の甲斐なく薨去。五歳差だから、朕もあと五年ほどの命か。あの広い殿邸に一人きりとなってしまった白河宮妃の心中を思うと胸が痛む。皇太子が傍らにいるからまだましではあろうが、秋子女王もさぞや寂しかろう。一般的に娘は父親を嫌うものらしいが、あそこは父と娘というよりも、白河宮が目指していたように祖父と孫娘のような仲だったのだから。子がいれば気を紛らすこともできるのだろうが……。
――――――――――――――――――――
【文始七十年一月一日条】
在位七十年目を迎えた。今年の秋には七十八歳。そろそろ皇太子に譲位したいと思ったこともあるが、国民はみな、憲政史上最長となった在位記録をもっと伸ばすことを期待しているようだから、死ぬまで位にあり続けようと思う。それに、天皇というのは予想以上の激務であるから、子を儲けるのもやはり今よりはいくらか難しくなろう。皇太子夫妻には今の立場であるうちにがんばってほしい。
――――――――――――――――――――
【文始七十三年三月六日条】
皇太子妃にまた懐妊の兆しありと聞く。今度こそは無事に育ってほしい。二人とも三十代だからまだ時間的な余裕は少しあるものの、問題は朕のほうだ。かなり前から老いを感じていたが、齢八十を過ぎて、老化がひどく顕著になってきた。男でも女でもどちらでもよいから、死ぬ前に孫というものを抱いてみたいものだ……。
――――――――――――――――――――
【安化元(文始七十五)年八月二十日条】
早いもので、お上がお隠れになってからきょうで半月になる。このご日記のページをめくるたびに、在りし日のお上との思い出が鮮明に蘇ってくる。お上の副葬品にすべきではないかとも考えたけれども、私物とはいえ一級品の歴史的資料であることは間違いないし、お上自身、後世に残すことを望んでいらっしゃったご様子だから、公刊を認めることにした。私の死後、手元にある原本については、一緒に陵に埋めてほしい。
――――――――――――――――――――
【安化三年十一月五日条】
お上、つい先日、とうとう皇太子がお生まれになりました。充宮、迪仁と命名されたこの玉のような親王は、奇遇にもお上と同じ誕生日です。その顔を眺めてみますと、ご存命なら八十六歳におなりのお上の面影がどことなく感じられ、まるで愛しいお上の生まれ変わりのように思われます。私はこの孫の成長のみを楽しみに余生を過ごしたいと思います。可愛い孫との思い出話をたくさん用意しておきますから、そちらでゆっくりお待ちくださいな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます