外伝『文始天皇御記』(一)
以下、『文始天皇
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【文始十年十月二十五日条】
幼くして即位した朕だが、十八の成年に達して、ようやく摂政を置かずに済むようになった。これを機に、せっかく元号が『文始』なのであるから、遅まきながら朕も何か文章を、ありきたりなところで日記でも書き始めようと思って、筆を執ることにした。
これからは叔父上に委ねずに自ら政務をせねばならないのだ。平安貴族が日記を有職故実の書としたように、後の参考になるものを残せたらよいが、それはさすがに難しろうか。
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【文始十五年六月二日条 白河宮
白河宮還暦の祝い。自ら国務を担うようになってからじき五年が経つが、天皇というのは予想以上の激務である。皇室の家長としてそれではいけないとは思うものの、摂政として十年間よく尽くしてくれたこの叔父上には頭が上がらない。
「父親同様に思っています。息子として何かできることはございますか」
と伺ってみたところ、
「私めも、畏れながら陛下の御ことを我が息子のように思っています、一日も早く孫が見とうございます」
と言われてしまった。その話は皇太后からも聞いたばかりだ。まだ二十二歳という若さなのだからそんなに急かさなくてもよかろうに。
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【文始二十年五月六日条 高倉宮
高倉宮有仁親王、昼に薨去の報あり。享年百四というから大往生である。先々帝の在位中、父上も叔父上もいまだ成年に達せざる頃に、しばしば国事行為の臨時代行をしたと聞く。叔父上が摂政だった頃にも、確か二度ほどやったのだったか。朕が成人した時にはすでに九十五歳で、隠棲して久しかったのであまり直接の関わりはなかったが、
「よほどがんばりませんと、高倉の長老さんのように一生独身になってしまいますよ」
というように皇太后がたまに引き合いに出すから、そのたびに可哀想に思ったものだった。結婚願望は強くあったようだが、皇族妃になるのは嫌だと世の女どもに断られ続けたあげく、妻子なく高倉宮は一代で断絶。未来の朕を見るようで寒気がする。
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【文始二十一年六月十日条 皇太后還暦】
皇太后の還暦祝いにつき、大宮御所を訪ねる。しかし相変わらずのお小言だったから、思わず、
「叔父上もそうですが、そんなに皇統の行く末がご心配ならば、揃って早くにお独り身になってしまったお二人がご一緒になればよかったんです。先帝に生き写しの叔父上をしばしば目で追っておられるのを、気づいていないとお思いですか。今となってはもう遅いですが、もしも再婚していれば弟か妹をまだ二人くらいはお生みになれたのではないですか」
と感情のままに言って、泣かせてしまった。あまりにも親不孝なことをしてしまい嫌になる。すぐに詫びたが、詫びて許されることではない。二度とこんなことはしないと誓う。
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【文始二十二年十月二十五日条】
今日は天皇誕生日。とうとう三十代になってしまった。宮中でもいろいろとお祝いをしてもらい、嬉しそうに振る舞いはしたが、実際のところは憂鬱である。最も辛いのは一般参賀の時だ。これだけ大勢の女の人が朕を慕ってやってきてくれているのに、隣に立ってくれるほどに愛してくれるのは誰もいないのか、などと思ってしまった。
朕は一生結婚できないのかもしれない。どの御代も、皇太子妃になってもよいと言う女性は少なく、皇太子妃選びは苦労したという。東宮妃どころかいきなり皇后ともなればなおさらである。どうして先帝陛下はこんなにも早くにお亡くなりになってしまったのか。
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【同年十月三十日条】
侍従長が、国民から宮内庁に寄せられた天皇誕生日のお祝いの手紙を持ってきた。すべて嬉しく読ませてもらったが、中でも心を打ったのは、十二歳になったばかりの女の子からのものだった。朕と同じ日に生まれたので、昔から朕に親近感を覚えてくれているのだという。大変熱烈なファンレターであった。あまりに嬉しいから、この手紙は
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【文始二十四年十一月三日条 白河宮滋仁親王薨去】
滋仁親王、急逝の悲報。八歳そこらで父帝を失った朕にとって、この叔父はまさしく父親代わりであった。早く「孫」を見せたいと思っていたのに、とうとう叶わなかったことが悔やまれる。昭和の初めごろに高松宮宣仁親王は、義母の逝去に際して、
「おばばさまにしてからお送りすればよかった」[1]
と嘆いたと聞くが、今の朕にはその気持ちがよくわかる。白河宮を継いだ
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【文始二十九年九月十三日条 愛媛県行幸】
愛媛県行幸。天皇が同県を訪ねるのは三十年ぶりとのこと。朕にとっては初めてである。今日最も記憶に残ったのは福祉施設での出来事だった。高校を卒業したばかりだという職員の美しい娘さんが、小学生の頃に天皇誕生日に手紙を書いてくれたあの子だと申し出てきたのにはとても驚いた。
「よく覚えている、あの時の手紙は今でも大事に取ってある」
と言ったら、嬉し涙を流して喜んでくれた。行幸が相当に久しぶりである県の、ごくわずかな訪問先の一つで会えるとは、なんという巡り合わせであろうか。どうか気兼ねせずにまた送ってほしいと言っておいた。
あれだけ美しい娘に育ったなら、きっとすでに好い人がいるのだろうし、もしいないとしてもできるのは時間の問題だろう。あと十年もすれば、今度はあの子の娘さんからも手紙が送られてくるかもしれない――。そのような余計なことを考えてしまって、嬉しいやら悲しいやら。
「かの
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【同年十月一日条】
待てども手紙が来ないので、天皇に手紙を差し上げるのは畏れ多いなどと思われたのかと思って、あの娘さんが小学生の頃に書いてくれた手紙のコピーを同封し、こちらから手紙を書いてあの福祉施設に送ったのが一昨日のことである。
そして今日、夕方に侍従が神妙な顔をしながら手紙を持って来たのには、本当に困ってしまった。小学生の頃からずいぶんと大人びた字であったが、お手本のような綺麗な字だった。朕も負けじとこの次は有栖川御流で書こうか。
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【同年同月二十五日条】
三十七歳の誕生日。祝賀行事が続いて朝から忙しかったが、合間にあの福祉施設に電話をかけてみた。先日のように手紙がすれ違いになってはいけないと思って、しばらく返事を出さなかったので、前の手紙への返事を口頭でするとともに、あの娘も今日が誕生日だと聞いていたから、祝福しようと思ったのである。ほんの二分だけのつもりが、いざ話してみると少し長くなってしまって、
「陛下、もうお時間でございます」
と侍従に止められてしまった。今更ながら、やりたいことがいつも以上にろくにできないというのに、天皇誕生日の何がめでたいものか。
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【同年十一月三日条】
先日の電話の折、あの行幸後に地元紙にインタビューが掲載されたことを恥じらいながらも教えてくれたから、侍従に取り寄せるよう言っておいたのだが、ようやく手元に届いた。新聞紙は劣化しやすいから、一応ここに書き写しておく。
「実は小学生の頃、天皇誕生日に際して、陛下に手紙を差し上げたことがあるのです。詳細なやりとりは明かせませんが、ご丁寧なお返事をいただいて胸が熱くなったのを覚えています。その陛下とこうしてお会いできたことの感動は言葉にできません」
あまり大きくはないが、彼女の写真も出ていた。大正天皇は、女性の写真を集めるのが趣味であったと聞く[2]。朕にそのような趣味は無いつもりだが、彼女の写真をもっと欲しいと思ってしまった。この日記を書き始めたちょうどその日に生まれた十八歳も年下の娘を相手に、いったい何を考えているのだろうかと、自己嫌悪に陥る。
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【文始三十年三月二十四日条】
夕べ、夢でまた彼女を見た。これで何度目だろうか。何度もこの気持ちは何かの間違いだと否定しようとしたが、いよいよもって朕は彼女に恋をしてしまっているのだと認識せざるを得ない。
かつて罪を得て島流しに処された上皇たちはみな、都への望郷の歌を辺境からお詠みになったものだが、朕はといえばその逆に、東京を離れて雛びた愛媛に、白鳥にでもなって飛んで行きたいという思いが日ごとに強くなっていく。
奈良絵本『烏帽子折草子』の中の用明天皇は、
「仏の娘に恋をしてしまったのだ。帝の位も惜しくはない」
と、
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【同年五月一日条】
昼間、あの人を伴って皇居内を散策。気が付けば、美しい藤の花が咲いていた。数えきれないほどの紫の花房が垂れ下がっているさまを遠くから眺めると、まるで紫色の雲のようだった。
今ではほとんど使われない表現だが、かつては皇后のことを「紫の雲」ともいったそうだ。ちょっと前までは、手を伸ばせばたやすく触れられる藤棚の花房とは違って、皇后のほうにはとんと無縁な生涯なのだろうとほとんど諦めていたけれども、どうやらそうでもないようである。
一週間ほど前、思い切って電話をして、彼女に想いを打ち明けた。その日の日記にも書いたことだが、彼女の返事をもう一度、噛みしめながらここに書き残しておく。
「畏れ多いとは思いつつ私も、雲の上のお方というよりも一人の男性として陛下を見るようになってしまいました。たとえ若ければ誰でも構わないとの思し召しによるものだったとしても、私は喜んでこの身を捧げたでしょう。まさか陛下が私のような女を想ってくださるだなんて、思いもよらないことでございます!」
そして今日、若さゆえの行動力であろうか、愛媛県からはるばる東京まで訪ねてきてくれたのだが、これを書いている今この時にはすでに離れ離れになってしまっていることが本当に悲しい。来春からは、皇居に咲く藤の花を二人きりで心行くまで見られるであろうか。遅くとも再来年の春には見たいものだ。
「竹の園いまや藤さへ萌ゆるなり 愛媛よすなはち
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【同年七月十五日条】
愛しい人が訪ねてきてくれた。彼女が小学生の頃にあの手紙をくれた時、朕から礼状を書いたのだが、今日はそれを持ってきてくれたので、朕も大事にしまい込んであった手紙を見せた。
その後、どういう流れでそうなったのだろうか、有栖川御流の手ほどきをした。そのようなことはほとんどする必要もなかったが、少しばかり彼女の柔らかい手を取って指導した時には、たったそれだけの触れ合いで、いい年をして天にも昇るような心地がした。まっすぐ参内してくれたというから、花の近くなどには寄らなかっただろうに、彼女からはどうしてあんなに甘い匂いがするのだろうか。
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【文始三十一年一月十日条】
今年、朕は生まれて初めて歌会始のために恋の和歌を詠んだ。これを披露すれば、国民はきっと大いに驚くことだろう。
「紫の雲とぞ見ゆる藤の
三十代後半になっても皇后を立てられずに、国民に対してずいぶんと心配させてしまって申し訳なく思うこともあったけれども、今となっては、これまで出会いがまともになかったのは二十歳近くも若いあの人に巡り合う運命だったからだとさえ思われる。
かつて『源氏物語』を初めて読んだ時、まだ幼い紫の上に惚れ込んだ光源氏について、率直に言って、気持ち悪いという思いを抱いたものだ。光源氏と紫の上の年齢差は、大きく見ても十歳程度であるが、朕と彼女には、その二人どころではない年の差がある。今年の秋、朕は三十九歳で、彼女は同時に二十一歳になる。はたして国民は快く受け入れてくれるのだろうか……。
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【文始三十二年二月三日条 立后】
平安朝の宇多天皇は、『
この日記はもとより子々孫々に伝えられても構わないという気持ちで書き始めたものだし、そうでなくても覗き見することを皇后に許してしまったので、あまり過激なことは書けない。とりあえず、「あばたもえくぼ」ということわざの通りに、皇后のすべてが愛おしくて仕方がないとだけ書き記しておく。
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【同年同月四日条】
ご公務にお出ましの間に昨夜のご日記を拝見いたしました。私のほうも、お上が愛おしくて仕方がございません。愛しいお上のなさる御ことはすべて受け入れるつもりでございます。私の目はお気になさらず、どうかお上のお好きなようにお書きくださいまし。
それでは本当に好きなように書くよ。あの夕べ、
「小学生の頃にお手紙を差し上げた時に、『もしも私が大人になってもまだご独身でいらっしゃったら、どうか私を皇后にしてください』と書こうかとも思ったのですが、さすがに恥ずかしくて書けませんでした。でも、まさか本当にその夢が叶うことになるとは――」
恥じらいながらもそのように言ってくれた皇后があまりにも愛おしくて、思わず途中でその唇を奪ってしまった。おおよそは想像通りだろうが、言葉の続きを本人から聞けなかったのが惜しまれる。――今度は最後まできちんと聞くから、改めて聞かせてはくれないだろうか。
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【同年十二月二十日条 内親王誕生】
齢四十にして初めての子が生まれた。なにぶん生まれたばかりの顔であるから、美しい母親によく似ているとはお世辞にも言いがたいが、わが子だと思うからこそそう感じるのであろうか、とても可愛らしい内親王であった。皇后がずいぶんと若いので皇太子がまだいないことはそれほど焦っていないけれども、この子のためにも、弟でも妹でもどちらでもよいから、なるべく早いうちに作ってやりたい。今の皇室には同じ年頃の子が全然おらぬので可哀想だ。
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【文始三十四年三月三日条 白河宮実仁親王婚約内定】
実仁親王の婚約内定。朕よりも五歳も年長のこの従弟が、これから無事に白河宮家の跡取りを儲けられるのか、気がかりである。相手は実仁親王よりは十歳以上も若いとはいえ、すでに三十代半ばと聞く。もちろん皇后ほどではないものの、なかなかに美しい人で、とてもそのような年齢には見えないけれども。
長らく相手のいなかった実仁親王が晴れて婚約に至ることができたのは、立后に伴って、宮家に皇位が渡る可能性が低くなったからではなかろうか。そのような打算の一切ない、純粋な愛ゆえの婚約だと信じたいが……。
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【文始三十五年六月十日条 皇太子誕生】
待望の皇太子が生まれた。慶事は続くもので、新婚の白河宮のところでもめでたく懐妊判明とおととい報告があった。泉下の叔父上もさぞやお喜びになることだろう。生まれるのは今年の暮れ頃かという話。同い年になるわけだから、ぜひとも皇太子のよき遊び相手になってもらいたい。
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【同年同月十六日条 命名の儀】
命名の儀。「
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【同年十一月二十八日条 女王誕生】
早朝、白河宮のところに女王誕生。やや高齢出産だったが、幸いにして母子ともに健康とのこと。さて、どんな名前にするつもりなのだろうか。
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【同年十二月四日条 命名の儀】
白河宮家に誕生した女王に「
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【脚註】
[1]『高松宮日記』。
[2]久世三千子『女官』。
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