第二話(一)「蛍の君」

ほたるきみ


     一


 大阪府和泉いずみ市は室堂町むろどうちょうに古くから残っている伝説である。いまだ飛鳥あすかの地からみやこびた雰囲気がさほど失われていなかったであろう頃、和泉国宮里みやざと瀧山たきやまで、智海上人とおっしゃる高僧が修行をなさっていた。ある時、彼を慕う女鹿めじかがそのお小水しょうすいを舐めたことによって孕み、やがて人間の女子を産んだという。

「鹿が人の子を育てられようはずがない。そうかといって、修行している身である自分にも育てることができない」

 そうお考えになった智海上人は、近隣に住んでいた貧農の老婆にこの娘をお託しになった。

 娘が七歳を迎えたある年の五月のことである。勅使ちょくしとして槇尾寺まきのおでらにご参詣なさった藤原不比等卿が、都への帰路、御輿みこしの外から何やら神々しい気配がすることにお気づきになった。田植えをしている老婆の近くで嬉しそうに遊ぶ件の少女が、全身から光明こうみょうを放っていたのだった。

 不比等卿は御輿からお降りになり、少女をじっくりとご覧になった。まだ幼いながらも少女はことのほか見目麗しかったので、不比等卿は「光明子」とお名付けになり、養子として都にお連れになった。その少女というのが、後の光明皇后にあらせられるということだ。


「中古一人の沙門あり、智海上人と号し、本州和泉郡浦田の産なり。同郡宮里の瀧山に住して仏乗を勤修しけるに、或る時一麋来りて上人の小便を嘗めて懐胎し、竟に一少女を生みしかば、上人之を見るに忍びず、隣嫗をして慈育せしむ。嫗は貧賎にして常に農事を業とし、少女の七歳となりし年の夏五月、嫗は野田に出て苗を植ゑ、少女は嫗に伴はれて嬉戯しけるに、槇尾寺に詣でゝ帰途に就きし勅使大臣藤原不比等、一瑞気の揚るを見れば是れ即ち少女の全身より光を放てるなり(北池田村大字室堂女鹿坂の西辺に、今も照田・光田といへる字地あり、里伝に依れば当時少女の遊び居りし所なりといふ)。依て大臣輿より下りて之を見るに、体貌殊麗なりければ、光明子と名づけ、嫗に請ふて輿を同うして伴ひ帰る。長ずるに従ひて艶麗益加はり、毎に君側に侍し恩寵を得て、天平元年八月立ちて后宮となれり。光明皇后即ち是れなり」――井上正雄『大阪府全志 第五巻』(大阪府全志発行所、大正十一年)六〇三頁。


 愛知県新城しんしろ市にも類似の伝説がある。三州鳳来寺ほうらいじの縁起によれば、開基の利修仙人が煙巌山えんごんさんの岩窟で修行をしていらっしゃった時、そのお小水を舐めた女鹿が孕んで、やがて月満ちて玉のような人間の女子を産んだという。利修仙人はその子を三歳になるまでお手許で養育なさった後、ご自身の生まれ故郷である奈良へお送りになり、ある貴族のお屋敷のご門前に捨てさせた。例によってその女子というのは、後の光明皇后であらせられるそうだ。

 このような俗伝は従来、荒唐無稽きわまる作り物語でしかないと思われていたけれども、安化の大御代に宮中を騒がせたとある出来事の後、もしかしたらいくらかの史実を含んでいるのやもしれない、と真剣に考えられるようになったのであった――。


     二


 明治の大御代以来、十数代の列聖れっせいがお住まいになってきた千代田ちよだの皇居には、万国に開かれたるみやこの真ん中にあるとは信じがたいほどに豊かな森が広がっている。平成の大御代以来、春と秋にそれぞれ桜と紅葉が見頃になるといぬい通りがおおやけに開かれ、みどりの月間になると吹上御苑ふきあげぎょえんに民草を招き入れての自然観察会が催されるのが毎年の常である。始められたのはどの帝の御代のことであったのだろうか、皇居に生息するホタルが増えると、その時期にはさらに観蛍会かんけいかいが催されるようになった。

 薄暗くなった吹上御苑のあちこちを、およそ二百匹のゲンジボタルがほのかに緑の葉などを照らしながら乱れ飛ぶ。そんな光景が見られるようになった安化四十二年の初夏のある夕べ、観蛍会の参加者たち数十人の中から、にわかに歓声が湧き上がった。

 つい先日に宝算八十二とならせられ、ご高齢ゆえに昔ほどには方々へと行幸あそばされなくなった天皇陛下が、御年十四とならせられた皇太孫殿下とともにサプライズでお出ましになったからだ。お二人とも、ご父祖のお血筋ゆえにであろうか、生き物へのご造詣ぞうけいが並外れてお深くていらっしゃるから、この時期ならではのホタルをお目にかけて御心をお慰め奉らんと侍従長じじゅうちょう松平頼彦まつだいらよりひこがお考えになったのであった。

 すでにその場にそれなりに長くいて数多あまたのホタルにも飽きつつあったところに貴い方々が思いがけずおみえになったことで、観蛍会参加者たちの目は、肝心のホタルからすっかり逸れてしまっていた。そうとはご存じではない帝におかせられては、宙を舞うホタルをご覧になるや、即興でこうお詠みになって、その雅びやかな雰囲気で居合わせた人々をますます感じ入らせ給うたのだった。


「夜ばかり見ゆる虫こそをかしけれ かくもあまたがいづこにかくるや(夜にばかり姿を見せる虫はじつに風情があるものだ。こんなにたくさん、日中はいったいどこに隠れているのだろうか。日のあるうちに探してみてもさほど多くは見つけることができないのだが)」


 だが、畏き辺りには、皇太子、皇太后、皇太子妃、皇后、姉宮などに相次いで先立たれてしまわれていたことから世の無常を痛いほどに感じていらっしゃったので、美しく光りながら浮遊しているゲンジボタルをごく間近でご覧になっても、本当はいささかもお喜びにならなかった。それどころか、口にこそなさらなかったものの、

一時いっときは栄華を極めた平氏は、都落みやこおちをしたあげく壇ノ浦だんのうらで滅びたし、長く武家政権を保った源氏とて、ついには天下てんかの権を手放す破目はめになった。同じ血を引くのだから、同じように朝家もいずれ衰亡すいぼうしてしまう運命にあるのではないだろうか」

 と、暗がりの中ゆえに人には見られなかったが、たいそう悲しげなご表情で思し召しになった。通例つうれいに漏れず、帝には早くから、諸臣しょしんをして次代の皇后たるべき女人にょにんを探させしめておいでだったのだが、后妃選びというものは、どんなに早くから始めても一生涯にわたりご独身ということもありえそうなほどに進捗しんちょくが思わしくないのが常なので、そのような悪いお考えに至ったのも無理からぬことであった。世には結婚したいという人が溢れているはずなのに、日嗣の御子の前ではほとんどいなくなってしまう。先の御製には、そのことへのお嘆きも込められているのかもしれなかった。


 さて、そんな風にご憂鬱ゆううつなご様子であらせられた安化の帝が、玉眼ぎょくがんを大きく見開いて驚かれるほどの奇怪至極きっかいしごくな出来事があったのは、観蛍会の直後のことだった。御所へとお戻りになる道すがら、ぼんやりとご覧になっていたホタルの向こう側の鬱蒼うっそうとした森の奥深くから突然、まばゆいばかりの光がれ出して、すぐに収まったかと思えば、やがて虫取りあみたずさえた一人の乙女おとめ――背丈せたけからして年の頃は十四か五、皇太孫と同じくらいであろう――が、一千匹を下回らないと思われる異様なホタルの大群に先導されるかのようにして、その姿を現したのである。

『平家物語』によれば、ある時、鳥羽殿とばどのの内におびただしい数のイタチが現れて走り騒ぐという変事があり、これにたいそう驚かれた後白河ごしらかわ法皇ほうおうにおかせられては、おんみずからお占いをなさった後、かの安倍晴明が末裔まつえいである陰陽師おんみょうじの安倍泰親やすちかをして吉凶きっきょうを判断せしめられたという。


「おなじきごぐわつじふににちのうまのこくばかり、鳥羽殿には、いたちおびたたしうはしりさわぐ。法皇おんうらかたあそばいて、あふみのかみなかかぬ、そのときはいまだつるくらんどにてさふらひけるを、ごぜんへめして、『これもつてあべのやすちかがもとへゆき、きつとかんがへさせて、かんじやうをとつてまゐれ』とぞおほせける」――『平家物語』巻第四「鼬之沙汰いたちのさた」より。


 科学が十分すぎるほどに発達した時代に生をおけになったうえ、生物学者としてもご高名こうめいであらせられた安化の帝は、そもそも世界都市の中心部だとは信じがたいほどの自然に囲まれた御所のすぐ近くにけだものが姿を現したところで、かつての後白河法皇のようなお振る舞いをなさるお方ではいらっしゃらなかったし、現れたのが珍しい獣でもないただの人であるならば、それはなおのことであったが、

「よもや、昔から皇居の森にんでいる古狸ふるだぬきめのいずれかが化けて出てきた姿ではあるまいか」

 と、この時ばかりはひどく迷信めいたお考えを思わずお抱きになった。謎の光はいうまでもなく、これだけのホタルが集まっているだけでも奇妙なことこの上ないというのに、その蛍火ほたるびに照らされて夜分にもはっきりと見ることができた乙女の風貌ふうぼうが、このまま成長したならば、不犯ふぼんを固く誓ったひじりのしかも老いたる身でさえもが心を惑わされずにはいられそうにないと思われるほど、非現実的なまでに整っていたからである。

 安化の帝におかせられては、今は亡き皇后をこの上ないほどに愛していらっしゃったけれども、かつて故東宮妃を初めてご覧になった時、この世にはこれほどまでに美しい娘がいるものなのかと思わず息をおみになるほどに驚かれたものだった。その帝がいまや、

「まだ幼さをわずかに残しているものの、もう数年もすれば、時の流れとともに美化されてしまっているであろう思い出の中の故皇太子妃よりも、いっそう美しくなるに違いない」

 とまでお思いになったのである。『竹取物語』には、帝が初めてかぐや姫をお訪ねになった時、その屋敷の中に光が満ちていたとある。お美しかった故皇太子妃はそんなかぐや姫になぞらえて「月の君」と呼ばれ給うていたのだが、今となっては、蛍火に照らされて一人だけ輝いているこの乙女こそが本当にかぐや姫になぞらえられるべき人であろうと思われた。


「帝、にはかに日を定めて、御狩りに出で給うて、かぐや姫の家に入り給うて見給ふに、光満ちて、清らにてゐたる人あり」――『竹取物語』の「帝の求婚」より。


 また、帝のお側にいらっしゃった皇太孫殿下におかせられては、お年頃だというのに異性にはご興味がおありでないご様子でいらっしゃったが、

「ずっと昔、夢の中で出会ったあの女の子だ!」

 とたいそうお驚きになって、名は何と言うのか、どこから来たのか、などと矢継ぎ早にお問いかけになったから、侍従たちは眼前で起きていることをますます信じがたく、数分前からずっと夢を見ているのだろうかと疑って、思わず自らの頬をつねるなどした。[1]

 明治以来、竹の園生の方々にお目にかかりたいなどと言って、土手や塀をよじ登ったり、堀を泳いだりして皇居に侵入する者がごくたまにいるが、非力ひりきな乙女でさえもが禁裏きんりのすぐ近くにまでたやすく闖入ちんにゅうできるとすれば、それが警備上の大問題であることはいうまでもないから、知らせを受けた皇宮こうぐう警察本部は、天地がひっくり返ったかのような大騒ぎになった。しかし、乙女が蛍火とともに現れたところに居合わせた人々には、彼女がただの人だとは到底思えなかったので、興味をお抱きになった畏き辺りがご下問かもんなさったところ、乙女は、

「村の子らとともに自宅のすぐ近くにある川辺でホタルを採集していたはずなのですが、急にまぶしい光に包まれて、思わず瞑った目を開けたらいつの間にか一人で森の中にいました。周りの草木には信じられないほど多くのホタルが止まっていて、呆然ぼうぜんと見ているうちに集まって大きなかたまりのようになり、どこかへゆっくりと飛び始めました。その蛍火が辺りでただ一つの明かりでしたから、とにかくそれを追いかけてみますと、そのまま御前ごぜんに行き着いたという次第です」

 と、まさに鈴を転がすような高く澄んだ声で奉答ほうとうした。その言葉に嘘偽りはないようだった。いくら探してみても堀を渡るために用いた舟なども見当たらなかったし、服が濡れていないから堀を泳いだようには見えなかった。何より、乙女の住まいははる遠方えんぽうの西国にある「平家の隠れ里」と言い伝えられてきたほどの山奥の小さな村だというから、宮内庁の者が電話をかけて確認してみたところ、彼女の家族はその時、娘が川辺で光の中に消えるかのようにしていなくなってしまったと大騒ぎをしていたのであった。


     三


 次の日、宮中で夜を明かした乙女の身柄を引き取るために、彼女の家族が始発列車に乗ってはるばる上京してきた。昨夜の不思議な出来事について、主上よりご直々じきじきに改めて聞かされた後、母親のほうが、

「今まで誰にも打ち明けたことがないのですが、あの子――光子ひかるこは、私どもの実の娘ではないのです」

 と、その口を静かに開いた。普通ならば入ることはまず許されない禁中に招き入れられ、そのうえ御前に座らせられ、すこぶる緊張していたのであろう、両親がひどくたどたどしく奏上そうじょうしたことをまとめると、次のような話であった。


 二十年近く前のことである。子がなかなかできぬことを長らく思い悩んでいた夫婦は、数年後には揃って四十歳代になってしまうことに激しい焦りを感じていた。そんなある時、先祖代々伝えられてきたと思しき煤ぼけた木彫りの聖観音立像しょうかんのんりゅうぞうが土蔵の中から見つかったので、夫妻はそれを丁寧に拭い清めたうえで床の間へとお移しして、朝に夕に、わらにもすがる思いで祈願することにした。

「観音さま、お願いでございます。大切に育てますから、どうか私ども夫婦に子をお授けください」

 それを五年ほども続けた安化二十七年の晩春、皇太子妃殿下が奇跡的にご懐妊されたというニュースを知るや、特に妻のほうはまるで我がことのように喜び、

「どうか皇孫殿下がご無事にお生まれになりますように」

 と、妃殿下の御安産をも願って、日々の祈りをますます熱心に捧げるようになり、時には自分のために祈るのを忘れてしまうことさえあった。やがて月が満ちて、晩秋のある日の夕方に玉のような皇太孫殿下がお生まれになったが、それを知った時の妻の喜びようは並大抵のものではなかった。

 さて、皇太孫殿下がご降誕になったその日の夜に、妻は何とも不思議な夢を見た。ふと目が覚めると、全身から金色こんじきの光を放つ聖僧しょうそう枕上まくらがみに立っていらっしゃって、

「この五年間、私は汝ら夫婦をずっと見ていた。この末法の悪世には、汝らのように熱心に私を崇敬してくれ、また、他人のためにあれほど祈ることができる人間はそうそういない。汝らは前世での業ゆえに子を持てない運命にあったのだが、望み通りに子を授けてやろう」

 とおっしゃった。そして聖僧は、にっこりとお笑いになったかと思うと、たちまちのうちに日輪にちりんに姿をお変えになって、妻のふところへと飛び込まれたのであった。

 と思いきや、妻は今度こそ目覚めた。今のは本物のお告げだろうか、それとも自分の願望が見せた夢にすぎないのだろうか――と暗闇の中で物思いに耽っていると、どのようなわけであろうか、もうじきに日付が変わろうかという頃合いだというのに窓戸そうこの外で何かが眩いばかりに光り始めたので、隣で寝ていた夫も驚いて眠りから覚めてしまった。

「雷かと思ったが、空には雲一つ見えないし、雷が落ちれば聞こえてくるはずの恐ろしげな轟きもない。それに何より、雷ならばこれほど光り続けることはありえない。この光はいったい何なのだろうか」

 夫婦が奇妙に思い、連れ立って外に出てみると、裏山の木々が奇妙なことに金銀に光り輝いていて、それはまるで一本の道を形作るかのように山奥へと続いていた。それらの木々に沿って歩んでみれば、源平合戦げんぺいがっせんの後も本当は生き延びていらっしゃった安徳天皇の御陵みささぎだと古老の間で細々と語り継がれてきた、小さな古塚ふるづかに行き着いた。そしてその脇に生えている朽ちかけた桜の大木が、秋も暮れだというのに満開になっていた。

 呆気あっけにとられて立ち尽くした二人だったが、その大木の裏から赤子の泣き声が聞こえてくるのに気が付いて、恐るおそる近づいてみると、生まれてからまだ間もないように思われる一人の赤子が、一糸まとわぬ姿で全身に光を帯びながら泣きじゃくっていた。

 とにもかくにも泣き止ませようと思って、妻が赤子の口に乳房を含ませてみれば、不思議なことにお乳が出るようになっていた。状況からしてただの捨て子だとはどうしても考えられずに困惑する夫に、妻は先程見た夢の話をした。

「ああ、これはきっと仏さまの御子だ。あの観音さまが授けてくださったに違いない」

 こうして夫婦は拾い子に「光子」と名付け、自分たちの実子として育てることにした――。


 娘の両親の話は最初から最後まで、普通ならば怪しい者どもの戯言たわごととでも思って聞き流すような、とても事実だとは信じがたい民話めいたものであった。しかし、御前において現にその手の奇々怪々な出来事があったばかりだから、その場に居合わせた松平侍従長を筆頭とする宮内庁のお偉方の面々は、

「ことによると、安徳天皇が生まれ変わられた娘御なのではないか」

 などと、何も知らない人々が聞けば誰もがおかしいと思うであろうことをあれこれと大真面目な顔をして言い合った。曰く、噂に聞く天女てんにょではあるまいか、光明皇后の生まれ変わりではないのか、観音菩薩の化身けしんではないのか、高千穂たかちほからそう離れていないことから考えるに天照大御神がお遣わしになった第二の天孫やもしれぬ――。口を開く者は誰もが、夫婦が真実のみを話していることを疑わなかったが、昔から迷信というものをほとんどお信じにならなかった安化の帝でさえもが、

「この広い世の中には人知の及ばない不可思議ふかしぎなことも多々あるものなのだなあ」

 とすんなりお信じになったほどだから、それも無理からぬことであった。


     四


 さて、件の乙女のその後についてであるが、「虫めづる姫君」と表現するほどではないにせよ、虫を追いかけて網を振り回すという年頃の娘らしからぬ日々を田舎で送っていたらしいだけあって、生き物がお好きな皇太孫殿下とは馬がとても合うようだったから、ご学友のお一人として長期休暇のたびに参内さんだいするようになった。美貌ばかりか鄙女ひなつめらしからぬ高い教養を兼ね備えていたので、ひそかに宮中の人々から敬意をこめて「蛍の君」や「蛍姫ほたるひめ」などと呼ばれるようになった。

 皇太孫殿下におかせられては、帝王学ていおうがくをおおさめになるべき御身であらせられながら、芙蓉ふようのようにつぶらなひとみ艶々つやつやと美しい唇といった優れた風貌の蛍の君にすっかりお心を奪われてしまわれて、普段はなかなか会うことがおできにならない想い人への恋慕れんぼの情がつのってどうしようもないというご様子であらせられた。宮仕みやづかえをする大勢の人々の中には、そんな殿下を拝見して、

とうの国をかたむけたという楊貴妃ようきひは、成熟する前はきっとあのような娘であったに違いない。そもそも、あれは本当に人であるのか。子に恵まれない夫婦に育てられたところといい、年齢不相応に思われるまでのあの美貌や教養高さといい、まるで鳥羽院の寵姫ちょうきになったという九尾の狐、玉藻前たまものまえの再来だ。思えば、あの伝説の妖狐ようこの成れの果てだという那須なす殺生石せっしょうせきが真っ二つに割れてから久しい。封印が解けてしまった玉藻前が、積年の恨みを晴らさんとして再び皇家こうかの前に姿を現したのではないか」

 などと蛍の君をひどく恐ろしがる者もほんのわずかにいた。

 皇太孫殿下のお印は「猪」であらせられるが、何という巡り合わせだろうか、蛍の君は「猪狩いかり」という、そこはかとなく平家の落人おちうどの末裔らしさを感じられる勇ましい苗字であった。蛍の君を恐ろしがる人々は、これについても、もしも殿下のお妃になるとすれば生家の名字などはどうせ消えてなくなってしまうというのに、

「殿下のお印が猪で、そのお相手が猪狩というのは、どうにも縁起が宜しくない。そういえば今は昔、あの殺生石の近くで八頭もの猪がむくろになったこともあると聞く――」

 などと難癖をつけて憚らなかった。しかし、ほとんどの者は、

「皇太孫殿下があれほどまでに蛍の君への慕情ぼじょうを強く抱いていらっしゃるのは、縁結えんむすびの神さまが引き合わせてくださった運命のお相手であるからこそに違いない」

 と考えた。中には、あくまでも一市民にすぎない、実の親すらも知れない蛍の君に対して、まるで正式な皇族に対し奉るかのような慇懃いんぎんな扱いをする者さえ少なからずいたのだが、主上があたかも本当の孫娘であるかのようにお可愛かわいがりになったのだから、それも不思議なことではなかった。

 蛍の君をいずれ皇太孫妃にすると内々に決められるまでに、それほど長く時間はかからなかった。それまで、皇太子とそのお相手の間でご婚約にまで至ったものの、あまりにも責任が重大すぎるがゆえに家族に強く反対されてあえなくご破談となった古例が数えきれないほどあったのだが、こと今回に限っては家族も、

「私ども夫婦は娘のことを、観音さまが授けてくださった子だと信じております。とみに光の中に消えていったと聞かされた時には、もはやこの世での何らかのお役目を終えたから天に帰ってしまったのだろうかと真剣に思ったものです。その娘があの夕べ、いったいどうしたわけか禁中にまで飛ばされて、畏れ多くも皇太孫さまのお目に留まったわけですが、それもきっと神か仏かの思し召しによるものなのでございましょう」

 と、それが娘の定めなのだろうと唯々いい諾々だくだくと受け入れざるをえなかったのである。


――――――――――――――――――――


【脚注】

[1]余談ながら、愛知県岡崎市の明大寺町みょうだいじちょうに「絵女房」の伝説がある。ある帝が夢で絶世の美女と出会って、目覚めた後も美女のことをどうしても忘れがたかったので、絵師にその姿を描かせて国々を探させ、見つけ出した生き写しの富豪の娘を皇后にしたという。


【参考文献】

・井上正雄『大阪府全志 第五巻』(大阪府全志発行所、大正十一年)

・柳田国男『桃太郎の誕生』(三省堂、昭和八年)

・早川孝太郎『猪鹿狸』(文一路社、昭和十七年)

・藤樫準二『増訂 皇室事典』(明玄書房、一九八九年)

・梅山秀幸「日本仏教の揺藍の地としての南大阪(二)――槙尾川に沿って(I)国分寺――」(『桃山学院大学総合研究所紀要』第四十一巻第一号、二〇一五年)

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