第四話(一)「生孫王」
【
四年ほど前の京都行幸時よりも大々的な歓迎ぶりだが、彼らがご
「万歳、万歳、万歳!」
永寧の聖代を契機に、赤坂御用地はすっかり手狭になってしまった。ゆえに東京付近に新しい御用地がいくつも造営されてきたのだが、それでもじきに足りなくなってしまったので、一部の皇族方におかせられては、地方へとお住まいを移されることになったのだった。
「私の宮号の由来となった『
西院宮殿下のこのお言葉は翌日、畿内の各紙に大きく取り上げられた。かねて皇族にお戻りいただきたいと「双京構想」などの形で要望してきた京都の人々の喜びようといったら、もちろん並大抵のものではなかった。
当時の京都市長曰く、
「歴史を紐解けば、わが国は幾度も大災害に見舞われてきました。それにもかかわらず東京に皇室の方々が集中的にお住まいでいらっしゃったことは、首都直下型地震や富士山噴火などの可能性を考慮する時、国家を存続させるうえで重大なリスクがあるものでした。この懸念を解消するために私たちの街が歴史的使命を再び担えることを、心から嬉しく思います。今日という日を喜ばない京都市民は誰一人としていないでしょう」
事実、かつての宮家や公家たちの屋敷地であり、国民公園として長く市民に開放されてきた京都
同じように奈良県でも、喜びの声が各地から上がった。空き地が多いこの県では、神武天皇が即位されたと伝わる橿原市などの朝家の故地に、比較的規模の大きな御用地がいくつも造営されたのだった。
だが、全国津々浦々を見れば、京都や奈良のように雲の上の人がご増加になったことを喜ぶ人間ばかりではなかった。朝家の危機はもはや過ぎ去ったとみなが確信を抱くようになると、皇子が新たにご降誕になろうとも、世の人々の多くはそれほど関心を示さなくなった。それどころか、御代替わりを幾度も重ねるうちに竹の園がますますお栄えになると、往年の皇室ファンの中にさえも、
「過ぎたるは猶及ばざるが如し、という言葉もあるというのに」
などと
ご就任をお願い申し上げるべき名誉総裁職などにも数に限りというものがあるし、そもそも諸団体のほうでもできることならば皇室の中でもとりわけ中心的なお方をこそ
であるからして、皇族があまりにもお増えになりすぎると、ご公務らしいことをほとんど何もなさらずに明けても暮れても
「やあい、
などと叫ぶ者どもさえあった。平安の頃の話であるが、かつての帝のお血筋でいらっしゃるにもかかわらず声望や地位が十分にはお備わりでない諸王は、藤原氏や一世の源氏といった位がお高い貴族たちから、
「今より様ことなる生ひ先は、いとゆかしげなるを、何となき生孫王にて、いと寄せなからむよりは、ただ我が物に思ひてものせよかし」――『
幸いにして「生孫王」などと罵る声は殿邸にまで届くものではなかったけれども、もちろん世間でそのような悪評があることを宮内庁はよく認識していたし、金枝玉葉の方々も、宮内庁を介して多かれ少なかれご存じではいらっしゃった。
けれども、今となっては遠い昔の帝とならせられた永寧天皇が、
「竹の園生にある者はみな、『これだけの皇族がいれば安泰であろう』などと油断することなく、朝家が絶えることのないように
とご
皇族費が増えたといっても、国の予算に占める皇室費の比率はなおも
しかしながら、皇族の数が多くおなりになれば、あまり素行の宜しくないお方も出てきてしまわれるのが自然の成り行きである。実際、平安京が造営されてからまだ百年ほども経っていない
『
古くから「
――――――――――――――――――――
【参考文献】
・赤坂恒明『「王」と呼ばれた皇族:古代・中世皇統の末流』(吉川弘文館、二〇二〇年)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます