第33話 茶を煮だす ≪2≫
№26 茶を煮だす ≪2≫
前回からの続きです。
私がテレビで華流時代劇ドラマを見始めたのは、20年前。
ネット回線を引くにあたってケーブル会社と契約して、ついでにテレビでも多チャンネルを楽しむようになりました。
それで初めて見た華流時代劇ドラマは、
主人公が仙人になるための修行とか秘宝探しの旅に出て、その旅の途中でたくさんの個性豊かな美人とお知り合いになる、(笑)、という粗筋が多かったように思います。
大人男性向けの冒険活劇でしょうか。その奇想天外さは、例えれば『真田十勇士』か『里見八犬伝』と、私には思えたものです。ハマりました。
しかし当時の華流時代劇ドラマは、ストーリーは面白かったけれど、当然ながら衣装とか室内の調度品などの、絵面的には地味でした。当時の俳優さんたちの歯並びが悪かったというのも、なぜかおぼえています。
それで、今回のエッセイの<茶を煮だす>になるのですが。
20年前の
華流時代劇ドラマで美しい所作で茶を淹れるシーンが見られるようになったのは、最近です。
でも、確かに絵面的には美しくなったのですが、今度はストーリーがラブファンタジー系ばかりとなってしまい、
……ということで、前置きが長くなってしまいましたが、前回に予告しました、<茶を淹れる>と<茶を煮だす>との違いについて。
中国茶の淹れ方については、ネットで検索すればYouTubeで詳しく見ることができます。
しかし、古代中国ではなんとなんと、煮えたぎる釜の中に、直接、茶葉を放り込んでかき混ぜ、それを柄杓で茶杯に注ぎ分けたのですよ。
豪快です!
そして時には、一つまみの塩も加えていたようです。
華流時代劇ドラマでこういう茶の淹れ方を見たのは、『九州・海上牧雲記』が最初だったのか、それとも『琅琊榜』だったでしょうか。
白川紺子さんの『後宮の烏』も、こういう豪快な(急須で淹れる日本人からみるとですが)古代中国の茶の淹れ方を取り入れているので、<茶を淹れる>ではなく<茶を煮だす>となっています。
それで私も自作の白麗シリーズ③の『萬姜、茶館に誘われる』での、彩楽堂の茶の淹れ方は、この茶葉を直接に釜に放り込む形として書くことにしました。
ところで、<茶を淹れる><茶を煮だす>の表現に、なぜ、私がこのようにこだわるのかと言えば……。
茶道を長くたしなんでいた母が、こういう作法にものすごく厳しくて。
ちょっとでも私が間違えたことをすると、『常識がない!』という言葉で叱られたのが、いまでもトラウマになっております。
いまだに何かする時、これは正しいのか正しくないのかと考えてしまう癖が、この年齢になっても抜けません。
お茶の淹れ方など、その最たるものです。
だから、普通の人だったら気にもとめないであろう、ドラマの中のワンシーンである、お茶の淹れ方が気になって、気になって。
そうそう、料理を作る時、食材は奇数であることも身にしみついてしまって。
でないと、常識がないということなので。
70歳になったいまでも、野菜炒めや筑前煮などを作る前に、「ひとつ、ふたつ、……」と食材を数えて、5つか7つにする癖が抜けていません。(笑)
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