第21話 雲中書令 ≪1≫
№17
ところでこの雲中書令という言葉、一読した時、初めはその意味がわかりませんでした。そもそも、雲中書令で1つの語彙なのか、雲中と書令で区切るのか……。まずは、基本の基から、わかりませんでした。(笑)
そうしたら、読み進めていると、雲明允という人名が出てきました。
そこでやっと雲中書令とは、雲さんという人が、中書令という肩書を持っているのだとやっと理解しました。
中書令とは、中国の前漢から明代にかけて存在した官職名だそうです。中書令の中は禁中の中で、日本の律令制においての中務省の長である中務卿ということになるらしいです。
現代風に簡単にいってしまうと、秘書室長でしょうか。
しかしながら、この中書令という役職は、古代中国の長い歴史の中で、その言葉の持つ意味合いがいろいろと変化しています。
そもそも、その役職に就くものは、時代によって、宦官であったり宦官でなかったり。宰相と同じ権限があったり、ただの名誉職であったり。
秘書室長であれば、常に皇帝の傍に侍っているでしょうから、皇帝直々に相談を受けることも多かったことでしょう。宮中のことなら何でも知っているという、歩く図書館みたいな人でしょうか。ただ、
そうそう、『史記』を書いた司馬遷も、宮刑を受けたあと、この職に就任していました。しかし、司馬遷のいた前漢と『後宮の烏』の設定である唐では、中書令の意味も違っていたと思われます。
ちょっと話は横道に逸れます。
司馬遷という人は屈辱的な宮刑を受けたために、屋敷の中に籠ってイジイジと『史記』を書いたイメージがあると思うのですが。
しかし実際はかなりな名家出身の高官で、ばりばりと役所仕事をこなしていた人です。そしてかなりな旅好きで、皇帝の行幸のお供をしたり、また個人でも中華大陸を歩き回っています。
好奇心の強い行動力のあるアウトドア派だったのです。
私はその司馬遷が書いた『史記』の講座に3年通いましたが、講師の大学の先生が、これまた小柄で物静かな見かけによらず、行動派でした。
司馬遷が行幸のお供や旅で歩いたという行程は、すべて踏破されたとか。
その先生の口癖が「歴史は、その場に立ってこそ、わかることがある」でした。
先生が若い頃の中国という国は、乗り物は時刻表通りに来ないし、カメラを変なところへ向けたらスパイ容疑で容赦なく逮捕される時代でした。研究のためとはいえ、それはなかなかに大変な道中であったらしいです。
私は『史記』の講座に通うまで、歴史家というものは部屋の中に籠り文献を読むのが仕事と思っていました。でも司馬遷の本当の姿を知り、また先生の話を伺っていると、歴史家とは冒険家に近いところがあるのだと、考えをあらためました。
それでいまカクヨムで中華ファンタジー小説を書いているのですが。
いつもいつも、ネットで検索した知識と語彙ばかりを並べていることに、少しばかり恥じ入っています。
ファンタジー小説って、頭の中の妄想を頼りに、ネットで知識と語彙を検索して書く……。そういうものでいいのかなあと、自問自答しています。
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