第10話 燭台

 №7 燭台しょくだい


 白川紺子さんの『後宮の烏』の書き出し、帝の高峻こうしゅん烏妃うひの殿舎を訪れる時、供をした侍衛の衛青えいせいが手にしていたのが<燭台しょくだい>。

 訪れたのが夜だったので、衛青は<燭台>の灯りで、高峻の足元を照らした。


 現代の街中では、道には街路灯があり、家々の外にも門灯や庭園灯が煌々こうこうと点灯されている。夜に、<燭台>の蝋燭ろうそくの灯りだけで照らされる足元を頼りに歩くって、どんな感じなのだろう。


 蝋燭ろうそく1本の灯りなんて、ないよりはましという感じくらいに暗いのだろうなあ。灯りの届かない場所は、真の暗闇であるに違いない。


 そして、風で蝋燭ろうそくの炎はゆらめくはずだ。炎がゆらめくと影もゆらめく。なんと幻想的なのだろう。

 ページをめくる手を止めて、しばし想像の世界で遊んでしまう。


 そしてまた、燭台を持つ侍衛の衛青は、いつも高峻の傍らにぴたりと寄り添う専属の従者であり用心棒だ。夜道を歩くのに他人の手をわずらわす……。考えれば、最高の贅沢だ。


 よし、決めた。白麗シリーズのどこかで、従者の照らす燭台の灯りで夜道を歩くシーンを書くぞ~~!




 ……ということで、白麗シリーズの最新作③の冒頭で、書いてみた。


 ③の悪役となる荘康記そう・こうきが、謎の美女の逞華嬢てい・かじょうの屋敷を訪れるシーンだ。下僕のかかげる燭台に足元を照らされて、男たちが落ち葉の積もった夜道を歩く。これからの不気味な展開にへと続く、幻想的なシーンだ。


 しかし書こうとして、すぐに「?」となった。

 私は年を食っているので、そこそこに時代劇映画やドラマを観て小説も読んでいる。


 道案内をする下僕が手に持つ灯りは、<燭台しょくだい>ではなく<手燭てしょく>ではないだろうか? <燭台しょくだい>という言葉は、据え置き型のイメージがある。


 <燭台しょくだい>に持ち手がついたものが<手燭てしょく>だ。それで下僕には<手燭てしょく>を持たせてみた。


 しかししかし、またまた「?」となる。

 風のある屋外で<手燭てしょく>を使うものだろうか? 囲っていない蝋燭ろうそくの炎は、風で吹き消されやすい。


 屋外では<提灯ちょうちん>ではないだろうか。

 しかし<提灯ちょうちん>にしてしまうと、白川紺子さんの『後宮の烏』のイメージから離れてしまう。白麗シリーズの③は、白川紺子さんの『後宮の烏』のオマージュだからだ。


 そしてまた、そもそも、武人である衛青に、提灯ちょうちんはないなあ。

 そうだ、さびれて薄気味悪い烏妃の殿舎を訪れるのだ。衛青に持たせるのは、意外と<松明たいまつ>なんていうのもビジュアル的に雰囲気があってよいかもしれない。


 ……と、いろいろ想像し考えて、私は下僕に<手燭てしょく>を持たせることにした。荘康記そう・こうきが謎の美女の逞華嬢てい・かじょうの屋敷を訪れた夜は、そよとも風は吹いていなかったことにしよう。(笑)




 ところでこの<手燭>。読み方には、<てしょく>と<しゅしょく>との二通りがある。日本の時代劇だと<てしょく>がふさわしく、中華ものだと<しゅしょく>のほうが雰囲気があると、私は思うのだけどどうかなあ?





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