第10話 燭台
№7
白川紺子さんの『後宮の烏』の書き出しのシーン。
帝の
訪れたのが夜だったので、衛青は<燭台>の灯りで、高峻の足元を照らしていました。
現代の街中では、道には街路灯があり、家々の外にも門灯や庭園灯が
その反対に、満月が煌々と輝く夜は、道に昼間のように影ができるくらいに明るいのですよね。そうそう、月が出ていなくて星だけが明るく輝く夜は、星月夜っていうのでした。
街路灯に照らされていない夜道は、私の60年くらい前の記憶にはあるのですが。現代のライトノベルを書いたり読んだりする年代の人には、想像もできないことだと思います。
そして、風で
そしてまた、燭台を持つ侍衛の衛青は、いつも高峻の傍らにぴたりと寄り添う専属の従者であり用心棒です。夜道を歩くのに他人の手をわずらわす……。考えれば、人の暮しの中でも、最高の贅沢なシーンでもあります。
そう考え始めれば、長い長い物語の始まりとして、最高のシーンですね。よい物語の始まりというものは、こういう細やかな描写で、読者の想像力と期待を静かに高めていきます。
物語の始まりに情景描写はいらないというライトノベルですが、私はそういう考え方が残念です。
……ということで、さっそくに『後宮の烏』の冒頭のこの幻想的な夜道のシーンを、白麗シリーズの最新作『天界より落ちた少女の髪は真白く、恩寵の衣を纏って、中華大陸をさまよう(再び慶央篇)』の冒頭で、私も挑戦することにしました。
悪役となる
しかし書こうとして、すぐに「?」となってしまいました。
私は年を食っているので、そこそこに昔を舞台にした映画やドラマを観て小説も読んでいます。
道案内をする下僕が手に持つ灯りは、<
それで下僕には<
しかししかし、またまた「?」となりました。
風のある屋外で<
もしかしたら、屋外では<
でも、中華ファンタジーに
そうだ、
……と、書く手が止まって、いろいろ想像し考えてしまいます。
もしかしたら、ライトノベルに細かな情景描写はいらないと言われる作家や読者は、いろいろと想像するのが苦手、あるいは面倒なだけかも知れません。
でも、世の中には、こういう細やかな情景描写を楽しむために物語を書く人、そして読む人というのも、けっこう多いものです。そしてまた、そのような小説を評価する人や小説賞なども、ないようでいてけっこうあるものです。
最後に、また脱線してしまった話をもとに戻します。
結局のところ、私は自作の中華ファンタジー小説に登場する下僕に、手燭を持たせたのですが。
この<手燭>、読み方には、<てしょく>と<しゅしょく>との二通りがあります。日本の時代劇だと<てしょく>がふさわしく、中華ものだと<しゅしょく>のほうが雰囲気が出そうですね。
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