第8話 衫襦・裙・披帛 ≪2≫



 №6 衫襦ひとえくん披帛ひはく


 またまた、衣装の話。

 このエッセイの前の『私、中華ファンタジー小説をまじめに勉強します!』でも、衣装のことに触れている。私ってどうやら、ファッションが大好きなようだ。華流時代劇ドラマを観ていると、原作や脚本を書いた人よりも、衣装製作にたずさわった人たちのことをあれこれ想像して憧れる。




 話がそれてしまった……。




 華流時代劇ドラマを観ていて、古代中国の女性の衣装のおおまかな流れというものがわかってきた。


 春秋戦国時代から漢の時代にかけては、衿を打ち合わせて着る上着の下に、ロングスカートだ。たぶん、高貴な身分の男性もロングスカートだ。ズボンをはくのは、軍人と庶民のようだ。そしてきっと、貧しい庶民の上着の下は、女性は腰巻で男性は褌だけだろうなあ。


 重ねた上着の丈と袖のたもとの長さで、着物の格というか豪華さが決まる。

 それにしてもあそこまで丈も袂も長々しいのを着たら、一人ではトイレには行けない。介助が必要だ。身分差別の厳しい時代では、奴婢ぬひなど人ではない感覚であっただろうから、高貴な人々は羞恥心など感じなかったのではと想像する。


 帯は細く、体にぴったりと巻きつけている。

 日本のように後ろで飾り結びはしない。


 その代わり、帯からいろんなものをぶら下げていた。確か、白川紺子さんの『後宮の烏』でも、木彫りが趣味の帝・高峻が魚だったか鳥だったかの飾りを彫って紐をつけたものを、「帯に下げるといい」と言って、烏妃にプレゼントしていた。この帯飾りの名称、わかればそのうちにここへ書き足す。




 ところで、帯の結び方も日本と違うが、重ねた衿の打ち合わせ方も古代中国と日本では違う。

 

 古代中国の着物の衿は、見ていて窮屈そうと思われるくらい首にぴったりと巻きつけている。日本では女性はお辞儀をすれば背中まで見えそうなほどに後ろに引き開け、男性の着流しだと胸もとがかなりはだけているのとは大違いだ。


 ところで、この上着を重ねて着る着方というのは、動いているとかなり衿元が、そして裾合わせが着崩れる。何本もの紐とか帯で固定しないといけない。


 日本の江戸時代や明治初期の着物を着た女性の写真を見ると、衿元も帯もかなりぐずぐずだ。しかしながら、現代の成人式の着物の着付けのように衿芯や幅のある帯板を使い、そのうえに何本もの紐で締めあげたら、見かけは確かにきれいだけど、長時間着て普通に生活できるものではない。そもそも自分では着られない。


 昔の華流時代劇ドラマでは、きっちりと合わせた衿元の重なったところを糸で縫い留めているのが見えていた。いまはそういうのがないので、違う工夫がなされているのだろう。


 まだ、古代中国では打ち合わせた上着の下はスカートだったので、裾合わせが乱れるということはないが、日本の着物のように上下がつながっていたら、これは大変だ。


 なんの会合でどうしてそのような話になったのか忘れてしまったが、ある男性が、「はかまの着用を捨てて床に正座するとは、日本人はなんとおろかな選択をしたものだ」と、吐き捨てるように言われたことがあまりにも衝撃的で、いまだに覚えている。

 そして第二次世界大戦前の日本人の暮らしを書いた随筆本で、「洋装が増えてよかった。だらしない着物姿を見なくてよくなった」と書いてあったのも、いまだに覚えている。


 後ろで結ぶ帯は不器用な人には難しく、また着物で正座するということは、尻と膝のあたりの布地が弱って、すぐに抜けるという状態になる。



 ああ、話はどんどん逸れて、ごちゃごちゃと書いてしまった。

 でも、次に続きます。(笑)



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