オォ・ノー イノシシ

岩田へいきち

オォ・ノー イノシシ

 これは、まだ、携帯電話もあまり普及してない、ずいぶんと前のことである。


 ぼくは、030から始る携帯電話を持っていた。

しかし、持っている友だちが少なく、電話をかける相手もいなかった。高い料金を払っていながら、ややもすると宝の持ち腐れにもなりかねなかった。


  そんなある日の会社からの帰り道、 もう辺は、薄暗い11月の夕暮れだ。

  ぼくの車は、左手に杉林が広がる緩やかな下りの直線にさしかかっていた。一つ前に乗用車、そのまた前に軽トラで、3台が並んで走っている。


わあ、なんだ? 


 なんか、茶色くて、黒い、長い物が横切ったような気がした。軽トラが急ブレーキをかけて止まった。

 たいして車間距離も取っていなかった前の乗用車はたまらない。下り坂だ。

慌てて急ブレーキをかけたが間に合わず、追突。


ヤバイ、ぼくもか?


フー、止まった。


 車間距離は、いつも十分とるぼくだが、下り坂は、さすがになかなか止まらない。良かった。この頃はABSも付いていない。スリップしたらぼくもぶつかっていたかもしれない。

前の車は大丈夫か? 軽トラの運転手は?


 イノシシだ。軽トラがイノシシを跳ねていた。長く見えたのは、群れで4・5頭イノシシが横切ったからであった。

 ぼくは、車を路肩に止め、運転手の様子を見た。どうやら乗用車のお兄さんも軽トラのおじさんも大丈夫そうだ。良かった。軽トラのおじさんが、怒っている様子もない。

 こんな山越えの道、公衆電話も近くにあるはずがない。さては、ぼくの携帯電話の出番か?


 ジャンジャジャーン、遂に来たぞ。携帯電話の力を示す時が、役に立つ時が。


 ぼくは、この二人には、気の毒だが、そこを喜んでいた。


「大丈夫ですか? 警察に連絡しないといけないですね。携帯電話貸しましようか?」

 ぼくは、この場合、追突した方が悪くなるだろうと、まだ興奮している乗用車のお兄さんにそう話しかけて、電話を貸した。

お兄さんは、警察に電話をかけ、繋がったとたん喋り始めた。


「イノシシのですよ〜」


だめだこりゃ、興奮してるんだろうが、それじゃ、警察は全然分からない。


「代わりましようか?」


ぼくは、電話を代わり、事故の状況と事故の場所を詳しく伝えた。

警察が到着する頃にはお兄さんも落ち着くだろうと、ぼくはそれを待たず、そこを去った。軽トラの前には、けっこう大きなイノシシが横たわっていた。


後日談として、翌日の新聞にこんな記事が載っていた。


『イノシシを跳ねた運転手、軽トラの荷台にイノシシを載せて持ち帰った』


何!?  最初からぼたん鍋が食べたかったのか? 上手いとこ仕留めたってこと

か。 ジビエ料理の店主? まさか。


興奮していたお兄さんが気の毒だ。


お兄さん、車間距離は十分にとるようになったかな?


終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オォ・ノー イノシシ 岩田へいきち @iwatahei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ