書籍化記念SS ソラノの墓参り

 深呼吸をしてから、扉を開く。

 押して開くと隙間から陽光が差し込んで、俺の足元を照らしていく。開いた扉の向こうに広がるのは見慣れた景色だ。

 草木ばかりが広がり、建物はなにもない。ここらにあるのは俺が住んでいるこの屋敷のみだ。

 そんな場所に男が二人立っていた。

 男たちは三本角だ。腰に剣を下げて武装している。それを一瞥してから、俺は外へと一歩踏み出した。


「そ、ソラノ様」


 俺が屋敷から出てきた事に気付いた一人がこちらへと近付いてくる。

 彼らは監視役だ。謹慎処分を受けた俺が、無断でここから離れないように見張っている。

 しかし、彼らは命令されただけだ。どうして俺が謹慎処分となっているのかは知らない。だからこうして敬意を払ってくれているが、事実を知ったらどう思うだろうか。

 俺は、皇帝陛下に害を与えた。それが角の熱が貯まった為の暴走だとしても、許されない事だ。

 今は熱が吐き出され、落ち着いているので尚更自分の罪を重く感じている。だからこそ今与えられた処罰をしっかり受けようと思っている。

 だが、駆け寄った監視役の騎士はそれを知ることは無い。当たり前の事ではあるのだが。

 屋敷から出てきた俺へ近付いてきたのは若い騎士だった。そして、彼は焦った様子で前方に立ち塞がる。


「も、申し訳ありません。現在貴方の外出許可は出ておりません」

「はい、理解しています。ただ、あそこに、少しだけ挨拶をしてきてもいいでしょうか」


 俺が指で示したのは、花畑──タカの墓だ。若い騎士が目線をそちらに向けると、一目でわかる程に身体が跳ねた。あそこに墓があるのを知っていたのだろう。俺に何かを言おうと口を開いて、固まってしまった。

 人のいい騎士だ。墓参りしたいという俺の言葉を許したいが、自分の職務も果たさなくてはならない。その狭間で悩んでいるのだろう。若い騎士は言葉にもならない呻き声だけを零している。

 それを見かねたのだろう。もう一人の男、壮年の騎士もこちらへと近付いてくる。


「ソラノ様。申し訳ありませんが、一切の外出を禁じられております」

「……そうですか。困らせてしまいましたね。今日はとてもよい天気ですので声をかけたくなってしまって」


 駄目だろうというのはわかっていた。謹慎になって一週間が過ぎている。その間に墓参りには一度もいかなかった。それは謹慎の為、という訳ではない。

ただ自分の犯した事のせいで、彼に見せる顔がなかったのだ。

 けれど今日の朝、目が覚めた時に窓から見た青空がとても美しくて。それだけの理由で墓参りをしたいと、それも純粋な意味で思えたのだ。

 いつもの様に決心を告げる訳でも、謝罪を告げる為でもなく、ただ彼を弔いたかった。

 しかし、叶わないのは仕方がない事だ。顔を伏せるが、そこに若い騎士の声が飛び込んでくる。


「お、俺! 腹減ったなあ!」

「……何を言ってる、お前」

「す、すごく空腹で我慢出来ません! 確かソラノ様は俺達の朝食の準備をしてくれていましたよね?」

「は、はい」

「ですから、その……どうでしょうか?」


 若い騎士は窺うように壮年の騎士を見る。すると、壮年の騎士は眉を顰めてから重々しい溜め息を吐く。


「……こいつは朝食に行くそうです。なら、私は持ち場から離れる訳にはいきません。一人では、誰かが花畑に行く位ならばうっかり見落としてしまうかもしれませんね」


 壮年の騎士はわざとらしく語りながら、苦笑いを浮かべた。つまり、少しの間なら墓参りくらいは見逃してくれるそうだ。言葉の意味をすぐに察すると、俺は二人に頭を下げた。彼らが俺の罪を知っていたのならば、このような温情はなかったはずだ。

 それをしっかりと胸へ刻み込んで、そのまま花畑の方へ向かった。

 しっかりとした足取りで花畑の奥にある墓の前に辿り着く。ここに来るのは久しぶりだ。以前までは毎日ここに来ていた。

 墓に手を置く。ひんやりとした冷たさを感じながらも、ゆっくりと撫でた。


「久しぶり、タカ。最近、お前によく似たヤツに怒られたよ」


 熱が限界まで貯まっていた時の記憶は朧気だ。それでも自分がした事は覚えている。そう、あの男に怒られた事もだ。

 まるでタカのように俺を叱って、感謝の言葉をくれた。その時の俺は、それが本当のタカと感じて喜び、でもどこか苦しくて、泣いた。

 泣いたのはいつ振りだったのだろうか。それはきっとタカが死んだあの時からだ。泣くという事を俺はしなくなった。

 今だから思うのだ。

 俺がタカに抱いていたのは、きっと淡い恋心だったのだろう。全て諦めてきた男が出会った初恋だ。それがわからず、諦められずに今日まで引きずって生きてきた。

 実に馬鹿な話で、この歳になって初めてそれに気付いた。笑い話にする事さえ出来ない程に滑稽だ。

 だからこそ、今日はそれを伝えたかった。

 墓の前で膝を突いて、手は胸に添える。掌から微かに伝わる心音は、規則正しく響いていた。

 息を吸う。これは、一度しか言えない大切な言葉だ。


「​─────ずっと、恋をしていた」


 するりと言葉にする事が出来て、胸の奥に貯まっていた澱みのようなものが抜けていったように感じた。

 “恋をしていた”で正しい。今はもう恋ではない。それはもう潰れて固まり、歪んでしまった。今のこれは信仰のようなモノに近い。

 胸が高鳴り、想いに悩む。それが出来るのは若い時の自分だけだったのだ。今の自分はもう失ったものだ。

 胸に広がる大きな穴が塞がる事はない、塞げるモノもいない。

 それでいいだろう、それでも今の自分だからこそ出来る事も多くある。形が変わろうともこの気持ちは何よりも大切なものだ。

 まずは、自分の犯した事の責任を最後までとらなくてはならないだろう。確か、陛下が話したい事があると言っていた。何の事かはわからないが、俺の罪を問う事でないというのは伝えられていた。

 立ち上がり、踵を返す。振り返らないように、決して立ち止まらないように。

 視線の先には、騎士二人が遠くからこちらを見守っているのがわかる。若い騎士は、朝食にいくのではなかったのか。思わずふっと笑いが零れた。

 その時、脳内に声が響く。


『会えるよ。大丈夫』


 それは久々に聞いた幼い声。もう聞こえる事はないだろうと思っていたからこそ、驚きを隠せなかった。

 相変わらず威厳のない声だったが、その時ばかりは慈愛に満ちており、神様らしいものだと初めて思えた。

 俺はその意味を考えようとして、すぐに止めた。

 何故ならそれは悪い予言ではないように思えたからだった。なら、やる事は決まっている。あそこで見守ってくれている二人のために朝食としよう。


 そうして、今日一日を素晴らしいものにする事から始めよう。



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オッサンの異世界は、何故かハードモード。 画狼 @eeg0626

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