影の住処(下)


「サトルッ!」


 小さめの赤い傘をさした亜依南あいなが近づいてきていた。屋根の下に入って傘を閉じ、黄色のタオルハンカチで制服やカバンに付いた雨を拭く亜依南をサトルはマジマジと見ていた。


「なによ。恥ずかしいんですけど」


「ごめん、アイナだよな?」


 神社に来た時点で亜依南でなくアイナとわかっているのに、サトルは聞かずにはいられない。


「そうに決まってるじゃない」


 そうだよな、そうだよなと現実を噛みしめるサトル。


「なんでそんなもの持ってるんだ?」


サトルは赤い傘を指さした。


「塚本家に伝わる家宝よ。父さんが言ってた。一昨日渡されたのよ」


そう言うと、アイナは黙った。

二人はしばらく屋根の下に並んで座り、雨を眺めていた。


「まだ学校間に合うよ」


 アイナがぽつりと言った一言にサトルは目を閉じて顔の前で開いた両手をグッと合わせた。


「だな。行くか」


 二人は立ち上がった。だがそこから先に進むのを躊躇ためらい、一歩が踏み出せない。これが本体としてと言う事なのだろうか。


「アイナ、マスクしろよ。口の中に雨が入ったらどうなるかわかんねぇぞ」


 奪ったものは奪われる。サトルが入れ替わりターンの情報を集めていた時にそんな事を言ってるヤツがいたような気がした。


 アイナはカバンの中からピンク色の薄い長方形のケースを出してその中から新品のマスクを取り出した。マスクを装着すると、ニコッと笑いながらサトルの方を見た。サトルから見れば目だけが笑っていたのだが、それでサトルには充分だった。


 雨は降り続き遠い昔に失っていた音を地球が奏でているその時、マスクとマスクは重なった。それは今まで重なったどの重なりより確かで衝動的で謙虚で追い求めていたものだった。


「俺達は特別になれたんだ」


 アイナの目がウルっと涙に満ちて毛細血管の色がじわりと見えた。それはサトルも同じだったのかもしれない。


 サトルは制服の上着を頭からかぶって、先に行くと走った。アイナは折りたたみ傘に少しばかり苦戦しながら、サトルを見送った。


 その後雨は上がり、何十年ぶりかの虹が架かった。その虹を見上げたのは他でもない、影達だった。





(完)

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影の住処(すみか) @hasegawatomo

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