母子手帳が私を泣かせた
なつのあゆみ
第1話
私は昭和60年7月25日、午前4時47分に産まれた、体重は2220g、未熟児だった。
このことを証明するのは母子健康手帳である。
母に愛されていたと証明するのもまた母子手帳だ。
色あせた昭和の古臭い小さな冊子に、母が私を記録していた。母は18歳で私を産んだ。父は22歳。
若すぎた夫婦は、夫側の実家に暮らしていた。
私が生まれて、2年ばかりで両親は離婚した。
私は父側に引き取られ祖父母に育てられた。
母の記憶はない。
家族の誰も両親が離婚したこと、母と生き別れになっていることを教えてくれなかった。私は祖母を母と思い育った。父は仕事でほとんど家におらず、いつの間にか恋人ができてその人と、その人の娘と暮らしていた。
離婚の原因はよく分からない。父は仕事で忙しくて構ってやれなかった、と言う。祖母は「この家にあの子は合わなかった」というようなことを話す。
父からも祖母からも、母の良い話を聞いたことがない。祖母は姑目線でバイアスがかかっているし、父は自分の妻を理解しようとしていないように思う。
と、ここまで考えを整理できたのはつい最近だ。
祖母はおまえは母親に引き取られていたら、虐待されて死んでいただろうと平気で話す。
母のことが知りたい会いたいと思うと「会わない方がいい」と父は言う。
果たして、母はそこまで「悪い女」だったのだろうか
記憶にない「自分を産んだ」と強烈に縁の深い人を知らないという空洞、そこを覗き込んで手までいれて必死に記憶をまさぐるが、なにも出てこない。
父に尋ねた。
私は母に虐待されていた?
それはない、可愛がっていたと父は答えた。
愛の証明が欲しかった。私はこの世でたったひとつある、母と私をつないでいた証明、臍の緒を持ってきて欲しいと父に頼んだ。
祖母が、それに母子健康手帳もつけてくれた。
80年代女子にありがちな、丸文字で、母は丁寧に私の記録を書いてくれていた。
保護者の記録、3ヶ月。
体重の伸びが悪い。お風呂上がりに湿疹がでる。
保護者の記録、6ヶ月。
寝がえりをまだしない。
うつぶせにするといやがる。
笑うとしゃくりをする。
このごろいろいろ芸をおしえるとする
ねんね、お手てぶらぶら、バンザイ。
保護者の記録、満1歳
歯がはえるのが人よりおそかった
おこるとすぐすねるようになった
いろいろ芸を覚えるようになった
保護者の記録。昭和62年7月25日。
〇父母のしぐさをまねしますか。
はい、に丸印。1歳8か月からと記載。
ここで、記録は途絶える。
私と母の別れがきたのだ。
けれど、日付だけが。
記録ページの3歳までの日付だけが、母の文字で書かれている。母は私が3歳になってもそばにいる予定だったんだ。
愛されていた。観察記録は傍にいて育児しないとつけられない。18歳という若さで母は私を一生懸命に育ててくれた。歯がはえるのが遅いことを気にしてくれた。
この世でたった1人の、私を産んで育ててくれたお母さん。
産んでくれて、ありがとうお母さん。
私は母子健康手帳を抱きしめて、大声を張り上げて泣いた。36歳の産声だ。
涙は私の中の空洞に海をつくり、その中で新しい何かが誕生する予感がする。
私は母子健康手帳を読んで号泣した。
母子手帳が私を泣かせた なつのあゆみ @natunoayumi
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