19th
「疲れた!」
まるでビールのようにジンジャーエールを呷った松木さんが叫んだ。それなりの声量だったけど、居酒屋という場所は基本的に騒がしい場所なので特に目立つこともなく、すぐに団体客の騒ぎにかき消された。
あのような集団での飲み会は基本的に苦手だけど、傍から見る分にはすごく楽しそうに映る。大学生になったばかりの頃は、あのようなコンパや飲み会が毎週のように待ち受ける生活を想像していたが、すぐに自分がそういうタイプの人間にはなれないということを自覚してからはそのような誘いは断るようになり、次第に友達も私を誘うことはしなくなった。私には、こうやって二人でマイペースに飲み食いする方が性に合っているのだ。
テーブルに置かれた料理をつまみながら、今日の記者会見に抱いた感想を松木さんと語り合った。初めは発売されるゲームに関する話題や登壇した芸能人を生で見た感想などを語り合っていたが、次第にお互いが自分の会社への不満を吐露しあうという、居酒屋における会話のお手本のような内容に変化していった。
「私は何度も言ったんですよ。私たちが行ってもやることありませんよって。案の定、ただ後ろで立っていただけでしたよ。他に溜まっている仕事もあるのに」
「こっちも。控室のテーブルを拭くのなんて、新人の子にやらせなさいよ。どうして一年目の子が受付に立って、私が雑用係なのよ」
「でも松木さん、帰りは受付に立っていませんでした?」
「そう。『心地よくお帰り頂くために、受付担当の社員で皆様をお見送りします』だって。私は関係ないと思っていたら、『松木さんがまとめてくれる?』とか言われて。なんで帰りだけ受付の子たちに混ざらなきゃいけないの!」
「そういうことだったんですか」
記者会見が終わって会見場を出たところで、私は若い女子社員たちに混ざってお辞儀をしながら記者たちを見送っている松木さんを目撃していた。綺麗な立ち姿から丁寧にお辞儀をして、ビジネス感を一切感じさせない自然体の笑顔を振りまく松木さんを見て感心していたのに、その優しい笑顔の奥ではそんな不満を抱えていたとは。
「凄いですね、松木さん。私だったらいくら隠してるつもりでも、少しは態度に出しちゃいそうです」
「そんなことで褒められても嬉しくない。仕事では仕方なく猫かぶってるんだから」
「そうなんですか?」
「そうに決まってるでしょう。会社に対して何の不満もない、仕事にやりがいを感じて生きているキャリアウーマンを演じているけど、本当は不満ありまくりだし、ゲームにも何の興味もないし、収入だけで選んだ会社なのに思ったよりお給料上がらないし。毎日同じことを繰り返してる会社なんかサボって、カシュと遊んでいたいんだから。そんな気持ちを抑えて自分を偽って七年間も働いてるのに、未だに記者のお見送りなんて雑用させられるし。嫌になるのも当然よ」
「あはは......」
想像以上の愚痴が松木さんの口から流れ出てきて、私も苦笑いするしかなかった。お酒を飲んでいるのは私だけなのに、松木さんの方が酔っているのではないかと錯覚してしまうほどの勢いだ。流石に松木さんも反省したのか、途端に申し訳なさそうな表情を浮かべて「ごめんね、愚痴なんか聞かせちゃって」と言った。
「いえ。仕事では見せていない松木さんの素を見せてもらっているのは、私としても気が楽ですから」
「そ、そう?」
「はい。それに、前に約束したじゃないですか。二人でいるときは、お互い自然体でいましょうって。だから仕事で鬱憤が溜まったら、遠慮なく私にぶつけてください。私もそうしますから」
「いいの?」
「もちろんです」
昔から香織の愚痴を聞かされていたこともあり、人の愚痴を聞くのは得意だ。それに、松木さんが溜め込んだ不満を聞かされるカシュの困り顔を想像すると胸が痛いから。
「でも、松木さんがそんなに不満を溜めこんでいるとは思いませんでしたよ。松木さんは仕事が好きな方なのかなと思ってたんですけど」
「そんな人いるのかな。早川さんはどうなの?」
「私は......まあ、普通ですよ。会社に不満が無いこともないですけど、割といい環境で働かせてもらえてると思います。営業の仕事にも慣れてきましたしね。色んな企業の方に覚えてもらえて、楽しく話せるようになってきました」
「ふーん」
先ほどまでの勢いがピタリと止み、松木さんは一転して興味がなさそうな反応を見せた。ここは私も話を合わせて「私だって仕事は嫌いですよぉ」とか言っておくべきだったのだろうか。会話が止まったことで、しばらく意識から遠ざけていた店内の騒音が再び率先して耳に入ってくる。
松木さんは何も言わないまま、お互いが譲り合った末にしばらく皿の上に残っていた最後の唐揚げを口に入れた。もう何も乗っていない皿をじっと見つめたまま最後の唐揚げを咀嚼する松木さんと、その様子を見ている私。そんな奇妙な時間が十数秒ほど経過したところで、松木さんは空っぽになった口を開いてポツリと呟いた。
「他の会社の人とも仲良くしてるの?」
空になったグラスを揺らして小さくなった氷でカラカラと音を立てている松木さん。その様子を見た私はすっかり忘れていた重要な事実を思い出して、ようやくその呟きの意図を理解した。
そうだった。この人、私のことが好きなんだった。
そんな松木さんが、私が他の会社の営業担当とも仲良くしているのかを知りたがっている。
なるほど、そういうことか。
「してませんよ。松木さんだけです」
別に嘘をつく意味もないし、正直に答えた。すると、一転して松木さんの表情は明るくなり、「よかった」と言って笑った。
「よかったって......もし私が他の企業の人とも仲良くしてたらどうしてたんですか?」
「すごく嫉妬して、毎日のように早川さんをご飯に誘う」
「それは......」
「仕方ないでしょ?......好きなんだもん」
そう言われた瞬間、全身が寒気立つような感覚と共に、顔が一気に熱くなるのを感じた。松木さんからの感情は認識しているとはいえ、実際に言葉で伝えられたのは、ビルの女子トイレで二人きりになったあの日以来。それが、こんなにあっさりと不意打ちをくらってしまい軽くパニック状態に陥った私は、反射的にテーブルをバンと叩いてしまった。
「そ、それはやめてください!」
「それって?」
「す、す、好き......とか!」
「だって好きなんだもん」
「だから!前に約束したじゃないですか!そういうことを言わないなら、これからも会っていいですよって!」
「でも、自然体で良いとも言ったでしょ?早川さんのことが好き。これが私の自然体」
厄介な事になってしまった。
約束なんて、そう簡単にするものじゃないな......
「それとこれとは別です!今後は『好き』禁止ですから!」
「どうして?」
「恥ずかしいからです!」
「ええ?」
「いいですね?禁止ですよ?」
「......はい」
全く納得していない様子の松木さんをなんとか勢いで言い包めることに成功した私は、半分以上残っていたハイボールを一気に飲み干した。熱くなった顔の熱を冷まそうとしたのだが、一気にアルコールを飲んだことでさらに熱が増してしまったような気がした。
勢い余って口の端からこぼれてしまったハイボールをおしぼりで拭いていると、松木さんが再び口を開いた。
「......思うのはいいの?」
「......はい?」
「好きって思うだけならいいの?」
「え、ああ......」
せっかく終わらせた話題をすぐに復活させられてしまい、思わず肩を落とした。
でも、松木さんが私のことを好きなのは知ってしまっている。
今も、松木さんからそう言われる直前までそんなことを考えていたわけだし。
「......思うのは良いです」
「よかった。ありがとう」
そう言って、松木さんは嬉しそうに笑った。
まあ、私といるだけで勝手に喜んでくれるなら......別にいいのかな。
嬉しそうにしている松木さんを見るのは嫌いじゃないし。
ニコニコしている松木さんを見ながらそんなことを思ってしまった私は、近くを通った店員さんを呼び止めてハイボールのおかわりを注文した。
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