18th

「雨ですね」

「梅雨だからね」

「よりによって、こんな日にですか」

「仕方ないって。ゲームの発売日を決めるときに、発売記者会見の時期まで考慮しないでしょう」

「まあ、そうですけど」

「不満があるなら松木さんに言ったら?仲良しなんでしょ?」

「松木さんは記者会見の関係者ではないかもしれませんし、やめておきます」


私と主任は並んで傘を差しながら、雨の降る東京のど真ん中を歩いている。これからの時期、外回りには傘が必須になるだろうな。そう考えるだけで、一歩ずつ足を進めるのが億劫になってきた。


 松木さんが勤めているゲームメーカーが満を持して発売する新作ゲーム。人気シリーズの最新作というだけあって世間からの注目も大きく、大々的に発売を記念した記者会見を都内のホテルで行うというリリースが私がいる出版社にも届き、こうして私と主任が取材班と共に駆り出されたというわけだ。


 そうは言っても、主な取材は文字通り取材班が行う。私たちはいつもメーカーに訪問しているからという理由で、「行って取材班のサポートでもしてよ」という大雑把な指令を上司から受けてしまっただけ。さすがの主任でも、自分の上司に「何の意味があるんですか?」と訊くことはできなかったようで、こうして雨の中を歩く羽目になってしまっている。


 会場に到着して受付を済ませた私たちは先に到着して準備をしていた取材班と合流しようとしたのだが、「人が多くて狭いし、やることもないから来なくていいよ」と露骨に煙たがられた私たちは、「こっちだって、来たくて来てるわけじゃないよ」と口から飛び出しそうになるのを必死に抑えて、会場の一番後方のカメラマンよりもさらに後ろのスペースで邪魔にならないように立っていることにした。


「やっぱり私たちの仕事はなかったですね」

「仕方ないよ」


理不尽な扱いに「仕方ないよ」と言って笑う主任。初めは少し頼りないような気もしていたが、今となってはその主任のあっけらかんとした様に感心してしまうくらいには、私も営業の仕事に染まってしまっている。主任のこのある種の楽観的な考えこそがスピード出世の秘訣なのかもしれない。主任のフォローのためにも、主任は決して仕事を適当にこなしているわけではなく、同世代の中ではずば抜けて仕事が早い優秀な社員だということは付け加えておく。


 特にやることはないが、常識的にダラダラとスマホを触るわけにもいかない。受付で配られた会見の資料を何度も繰り返し読んで時間を潰していると、誰かに右肩をポンと軽く叩かれた。見ると、いつもよりもフォーマルさが増したスーツに身を包み、前に会ったときとはまた違う眼鏡をかけた松木さんが笑顔で立っていた。


「あ、お疲れ様です」

「お疲れ様」


私の左に立っていた主任も松木さんに気がつき、二人は私を挟んで会釈を交わした。しかし、それっきり二人は特に会話を交わすこともなく、すぐに松木さんの意識が私の元へ戻ってきた。騒がしい記者団とカメラマンのたくさんの背中を見ながら、私たちは小声で会話を交わす。


「さっき受付の名簿を見たら名前があったから」

「なんか急遽決まっちゃって。何もやることがないんですよ」

「実は、私も行けって言われて来たんだけど、特に仕事がないの。控室の準備と片付けを手伝うくらい。それって、私じゃなくてもよくない?」

「ですね」

「社を挙げた一大プロジェクトなのはわかるけど、だからと言って余計に人材を突っ込むのはやめてほしいわ」

「声、大きいですよ」

「誰も聞いてないよ。全員が会見に出てくる女優とタレントに集中してるんだから」


私の左隣に一名、おそらく聞き耳を立てている人がいますけどね。そう言おうとしたけど、二人の反応が面倒なことになりそうだったので心の中に留めておく。


「ねえ、今夜空いてる?」

「空いてますけど」

「食事でもどう?」

「いいですよ」

「本当?やった!じゃあ、前に行った駅前の居酒屋でいい?」

「はい。大丈夫ですよ」

「それじゃあ、あとで時間とか送るから」

「私に合わせなくても大丈夫ですからね?しっかりカシュにご飯をあげて、思う存分に戯れてから来てください」


私がそう言うと松木さんは、小さくOKサインを出して笑った。そして「もうすぐ始まるね。私、一応控室の方に行かないといけないから」と言って、会場を離れて行った。


 その直後、会見に備えて壇上を照らす照明が少し強くなった。それに伴って記者たちは姿勢を正し、カメラマンたちは一斉にカメラのレンズを同じ方向へ向ける。


 やっと始まる。


 そう思って私も、ポケットに入った念のため持たされていたボイスレコーダーの録音ボタンを押す。こんな後ろで録音したって、雑音だらけで意味ないと思うけど。一応、仕事をしたという記録だけを残しておくことにする。


「ずいぶん仲良くなってるのね」


 私が目の前のカメラマンが持つカメラの液晶画面を薄目で覗いていると、主任が耳元でそう呟いた。


「まあ、はい。それなりに」

「いつも仕事で会っている時と、二人の雰囲気が全然違った」

「......そうですかね」

「初めて松木さんと会ったときなんか、ガチガチに固まってたのに」

「それは......緊張するじゃないですか。初めての訪問で」

「松木さんに緊張していたわけじゃなかったんだ。てっきり私は......」


そこまで聞こえたところで、いつの間にか登壇していた司会の女性がハキハキと喋り始めてしまったので、主任は喋るのを止めてしまった。


 てっきり、なんだろう。


 そんな小さな疑問を抱きながらステージを見ていると、設置されたモニターに映像が流れ始めた。そして大きなBGMに合わせて、何度もテレビで観たことがある有名な女優とタレントが登場して、大々的に記者会見が始まった。


 ちなみに、会社に戻ってからレコーダーに記録された音声を確認すると、音声の上ではもはやただのノイズでしかないカメラのシャッター音の中に、私と主任の会話がしっかり収められてしまっていた。

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