23rd
お盆の真っただ中の日曜日。私は久しぶりに実家に顔を出した。約七か月ぶりに訪れた実家に私は何故か少し緊張していたけど、リビングで母の作った昼食を家族四人で食べているうちに、いつの間にか実家での空気感を取り戻していた。
「そういえば就活はどんな感じ?」
母が剥いてくれた梨を一切れ齧ってから、妹の友莉乃に訊ねてみた。
「まあ、それなりに」
テレビに映る高校野球の試合の眺めながら、友莉乃が曖昧な答えを寄越した。
「それなりって何よ」
「それなりはそれなりだよ。一応、採用予定みたいなやつはもらった」
「あれね。内々定だっけ。結構早いじゃん。じゃあ、そこで決める感じ?」
「かもね」
「か、かもって......」
相変わらず適当な友莉乃に呆れている私に父は、「まあ、いいじゃないか。そのまま就職できるなら」と呑気に笑った。友莉乃の適当さは確実に父から受け継がれたものだろう。
父は高校三年生の頃、適当に選んで入社試験を受けた会社で三十年以上も働き続けているという筋金入りの適当男だ。子供の頃は、何か問題が起こっても「なんとかなるだろ」と笑い飛ばすばかりの父を頼りなく感じていたが、今になれば、そんな考えを一貫するというのは、それはそれで難しいことだと分かる。
一方の母は物事に対してはしっかり準備を怠らない慎重な性格で、放任主義である父の考えをある程度は尊重しているものの、父のいないところでは私と友莉乃の進路について逐一状況を確認しながらアドバイスをくれた。どちらかといえば母に似た性格の私はそのアドバイスがすごく助けになったのだが、友莉乃は父譲りの「なんとかなるでしょ」の精神であまり聞く耳を持たなかったらしい。
友莉乃が高校三年生だった時には、母に「友莉乃が高校を出てからどうするのか全く決めてないのよ。受験勉強も全然してないし。あんたからも言ってやってくれない?」と相談されたくらいだ。私だって就活中なんだけどと文句を言いつつ仕方なく友莉乃に話を聞いてみたけど、お決まりの「なんとかなるでしょ」の一点張りで呆れたのを覚えている。結果的に、私が通っていた大学よりも偏差値が良い大学に合格して「なんとかなって」しまったのだから、姉としてはなんとも歯痒いものがある。
梨をもう一切れ食べようと爪楊枝を刺したところで、テーブルの上に置いていた私のスマホが震えた。見ると、松木さんから何か写真が送られてきていた。「何か」とは言ったけど、どんな写真かは大体予想できている。いつものアレだ。
開くと、カシュがボールを咥えている写真や、走ってボールを追いかけている最中の妙に躍動感のある写真などが送られてきていた。松木さんが「最近カシュが、遊んでほしいときは自分でボールを持ってくるようになったの!」と嬉しそうに話していたのを思い出す。これはその瞬間を捉えた写真なのだろう。自分でボールを咥えてひょこひょこと歩いて来るカシュを想像しただけで思わず口元が緩んでしまう。
「彼氏?」
友莉乃が相変わらず視線はテレビに向けたままで、ぶっきらぼうに訊いてきた。
「違うわ」
「なーんだ。ニヤニヤしてるからてっきり彼氏かと思った」
「ニヤニヤはしてないけど」
「じゃあ何を見て笑ってたの」
「これだよ。ほら」
そう言って私が自信満々にカシュの写真を見せてやると、友莉乃は「あ、可愛い」と言って私の手からスマホを奪い取った。性格が似ていない私たちにとって、犬好きは小さい頃からある数少ない共通点だ。
「仕事で知り合った人と仲良くなってさ。その人が飼ってるんだ」
「男?」
「女の人だよ」
「あっそ」
「なんでつまらなそうなのよ」
「琴乃、社会人になってからずっと彼氏いないでしょ。そろそろかなと思ってたからさ」
「なんでずっといないって知ってるの」
「高校と大学で一人ずつ彼氏がいたのも知ってる」
「......気持ち悪いんだけど」
スマホを奪い返すと、再び友莉乃は高校野球に視線を戻した。こいつ、こんなに野球好きだったっけ?
「そう言う友莉乃はどうなの」
「私はずっと彼氏いるもん」
「アイツはいい男だぞ」
いきなり父が会話に割り込んできて驚いていると、先ほどまで洗いものをしていたはず母もいつのまにか食卓へ戻ってきていて、「凛太朗くん、明日来るんでしょ?」と言いながら、私が爪楊枝を刺した梨を齧っていた。
「り、りんたろうくん?」
「私の彼氏だよ」
「毎月家に来てご飯食べていくの。礼儀正しくて良い子なのよ」
「酒にも付き合ってくれるしな」
「お父さん、すっかり気に入っちゃってるの」
「へ、へぇ......」
それからしばらく、友莉乃の彼氏に関する話題が続いた。友莉乃より一つ年上の彼とは大学で知り合ったとかで、今年から有名な自動車メーカーで営業マンとして働いているらしい。とにかくその凛太朗くんとやらは両親のお墨付きなようで、二人とも口を揃えて「友莉乃にはもったいない」と言うほどの男らしい。当の友莉乃は両親の発言も適当にスルーして、高校野球の試合を見て「あ、同点だ」なんて呟いている。
私がその話題に興味を失い始めていると、母が「ところであんたはどうなのよ」と、せっかく逸れていた話題の矛先を私に戻してしまった。それを聞いていた友莉乃が「いないんだってよ」と言うと、さらに母が「もう、二十五歳にもなって彼氏もいないの?」と追い打ちをかける。こういう時、母に同調せずに「いつかできるだろ」と笑う父の存在が本当にありがたい。
「琴乃、彼氏も作らずに友達の犬を可愛がってるらしいよ」
「友達って?香織ちゃん?」
「違う。仕事で知り合った人」
「男の人?」
「女の人」
「なーんだ」
つい数分前に友莉乃と交わした会話を母と再現した後、これまた同じようにスマホでカシュの写真を見せる羽目になった。
夜には、「久しぶりに四人で外食でもするか」と父が言い出して、家族そろって近所の居酒屋に入った。平気な顔をしてどんどん酒を消費していく両親を見ていると、私が確実にこの二人の血を引いているということを実感する。
家に戻った私は、久しぶりに実家で一泊することにした。両親には「お酒飲んだら帰るの面倒になっちゃった」と説明したが、実はもともと一泊するつもりで帰って来ていた。
先月、松木さんがぽつりと呟いた言葉。
「家族は大切にね」
その言葉と松木さんの表情がなかなか私の頭から離れなかった。
家族はいつまで元気でいられるかは分からない。後悔しないためにも、今から家族は大切にした方がいい。
一ヵ月ほど松木さんの言葉について考えた私の中に、そんな考えが浮かんだ。
これからは、家族と過ごす時間も増やして行こう。そう思った私は一泊するつもり満々で実家へやってきたのだが、急に一泊したいと言い出した理由を訊かれるのが気恥ずかしくてなかなか言い出せず、お酒を理由にさせてもらったというわけだ。明日の夕方には友莉乃の彼氏が来るらしいから、昼頃には帰るつもりだけど。
大学時代まで過ごしていた私の部屋。学習机とベッド、卒業アルバムなど少しの物は残っているけど、社員寮に入るときに使えそうな物はすべて持って行ったから、当時に比べるとかなり殺風景だ。
お風呂から上がった私は友莉乃から借りた短パンをTシャツを着て、久しぶりにこのベッドの上に寝転んだ。マットレスがかなり弱っていて寝心地は悪いけれど、妙に落ち着く。そこで私はいつものようにスマホを開いて、カシュの写真を眺めることにした。
お盆にもう一度ドッグランへ行こうと話をしていたけど、どうやら松木さんはお盆にも仕事が入ってしまったらしく、結局断念してしまった。残念だけど仕方がない。それに私は、松木さんに「もし仕事が忙しかったら、私がカシュの面倒を見に行きますから」と言ってあるから、松木さんの仕事が忙しくなることは私にとってプラスになるかもしれない。そんなことを考えてしまったのは、松木さんには内緒だ。
そろそろ寝ようかと考えていると、部屋のドアがノックされた。
「はい?」
ドアが開くと、そこには缶ビールを二本持った友莉乃が立っていた。
「じゃあ、乾杯」
両親も寝ている深夜、姉妹だけでの晩酌がスタートした。友莉乃と二人きりでビールを飲むなんて初めてで、一体どういうテンションで話せばいいのかよくわからない。
「どうしたのさ、急に」
「まあ、ちょっと話があってさ」
「どんな話?」
「いや、うーん......話というか、相談というか」
いつも父から受け継いだ「なんとかなる」の精神で気楽に過ごしている友莉乃が「話がある」と自分からやって来て、内容を訊かれて口ごもるというのは初めてのケースだ。一体何事だと訊ねると、友莉乃がビールの飲み口を見たまま言った。
「私、結婚する」
......なんだって?
「今日話してた彼氏と。結婚することになった」
友莉乃が......ケッコン......結婚。
「結婚!?」
そう叫んだ私の口を友莉乃が右手で慌てて塞ぐ。
「ちょっと。まだお父さんとお母さんには言ってないんだから」
驚きながら頷くと、友莉乃は口から手を離してくれた。
「マジで?結婚するの?」
「って言ってるじゃん」
「そっか......とりあえず、おめでとう」
「うん。ありがと」
らしくない少し照れた表情の友莉乃に、控え目に礼を言われた。
そこで、私はあることを思い出した。
「あれ?その凛太朗くん......だっけ?」
「うん」
「明日うちに来るんだよね?」
「うん」
「それって、いわゆる......挨拶的な?」
「そうなるね」
......そうなるのか。
娘さんをください、的なあれが我が家でも行われるのか。
「まあ......二人とも彼氏のこと気に入ってるみたいだし、大丈夫でしょ」
「うん。まあ、そこはあんまり心配してない」
「じゃあ、相談っていうのは?」
「......ひとつ頼みたいことがあって」
「なに?」
「彼氏が挨拶するとき、一緒にいてほしいんだよね」
「娘さんを下さい」の現場に、私が同席する?
「い、嫌だよ。その凛太朗くんとか、会ったことないし。どうして私がいなきゃいけないの」
「なんて言うか、司会?みたいな?もし場が荒れたら整えてくれるような」
「結婚の挨拶の司会なんて聞いたことないよ」
混乱している私に、友莉乃はさらなる事実を打ち明けてきた。
「結婚したらアメリカに行くんだ」
「......は!?」
全く予想外の展開に、私のパニックは加速するばかりだった。
「アメリカって、あのアメリカ?自由の女神の?ニューヨークとかカリフォルニアとか、あのアメリカ?行くってなに?旅行?新婚旅行じゃなくて?引っ越すの?」
「琴乃、落ち着いて」
「わかんない。全然わかんない」
「ほら、ビール飲んで」
無理やりビールを飲まされてようやく少し落ち着きを取り戻した私に、琴乃は詳しい話を聞かせてくれた。
凛太朗くんは就職した段階で、アメリカ支社への転勤が前提になっていたという。一年ほど東京本社で働いてからテキサス州にあるアメリカ本社に転勤する予定だったのだが、アメリカ側の本社の人手が足りなくなり、さらに凛太朗くんの働きぶりも当初の想定以上に優秀だと評価されたことで、アメリカ行きが急遽前倒しになったのだという。
もともと二人は国をまたいだ遠距離恋愛も覚悟していたらしいが、アメリカ行きが急遽前倒しになったことで凛太朗くんの様々な準備が大変になるだろうと心配した友莉乃が、なんと自分から「結婚して一緒にアメリカに行く」と提案したというのだ。「それは申し訳ない」と首を横に振る凛太朗くんに、友莉乃は「結婚して私をアメリカに連れて行くか、今ここで別れるか」と詰め寄って判断を迫り、大胆な逆プロポーズを承諾させたのだとか。
「......それで、アメリカに行くって言ったらお父さんとお母さんがどんな反応をするかわからないから、私にいてほしいと」
「そういうこと」
「はぁ......」
思わずため息が出た。
その場に同席するのが面倒だとか、そういうことではない。適当に生きていると思っていた友莉乃が、人生において重要で大胆な決断を下したということに衝撃を受け、対する自分の現状が情けなくなったのだ。
昔は母の影響で自分の将来というものをしっかり見据えていたはずだ。高校に入った頃から大学受験に向けてしっかり勉強して、大学に入ってからはすぐに就職に向けた準備を始め、すぐに内定を貰うことができた。
しかし、就職が決まった途端に私は自分の将来を考えることをしなくなった。私が目指すべき目標として明確に示されていた進路が「就職」までであり、それを達成した瞬間、まるで人生のゴールを迎えたような感覚になってしまった。
そこに加えて、就活中に疲れた私を癒してくれる存在だった真月佑奈が亡くなるという大きな出来事が重なった結果、自分の人生に希望を抱いていた私は消え去り、惰性で毎日を送るようになってしまった。今や、これからの自分の人生に対して希望も不安もない。彼氏ができないことに対して特に焦りもせず、松木さんから送られてくるカシュの写真が毎日の楽しみになってしまっている。
私がそんな状態になっている間に、友莉乃は大きな一歩を踏み出す決意をしていた。マイペースに私の後ろを歩いていると思っていた友莉乃にいつの間にか追い越された挙句、猛スピードで置き去りにされてしまった気分だ。
「琴乃?」
一人思い耽って黙り込んだ私に、友莉乃が不思議そうに声をかけてくる。
「ん?ああ、ごめん。なんだっけ」
「だから、明日琴乃も一緒にてほしいって話」
「ああ、そうだ。まあ......いいよ」
「よかった。ありがとう」
友莉乃は、私が同席すると分かって安心したのか、自分の話は早々に終わらせて私のことをいろいろ訊いてきた。仕事は順調なのか、収入はどれくらいなのか。訊かれたことには答えていたけど、気分は浮かないままだった。
翌日、両親は私の予想通り友莉乃と凛太朗くんの結婚自体には大喜びだった。ただアメリカ行きの件を話すと、こちらも友莉乃の予想通り二人とも困惑していた。特に母は不安を隠さず、「ひとまず凛太朗くんだけ先に行ってもらうのじゃダメなの?」などと言っていた。
そんな母に友莉乃は、アメリカで凛太朗くんを支えるために自分で結婚してほしいと言ったことを明かし、二人で暮らしていきたいと訴えた。凛太朗くんも「友莉乃さんは僕が守ります」なんて、それはまあ男前なセリフを言って両親の説得を試みた。最終的に決定打となったのは、やはり父の「まあ、なんとかなるだろ」という一言だった。母も納得して、無事に二人の結婚が許された。案の定、私の出番は一秒たりともなかった。
そして母は私に、先ほどまでの様子が嘘だったかのように「友莉乃に先を越されちゃったね。あんたも早くいい人を見つけて連れてきなさいよ」と言って笑っていた。友莉乃に置いていかれている自分を実感したばかりの私に、その言葉は重くのしかかる。こんな時こそ、父に「なんとかなるだろ」と笑い飛ばしてほしかったのだが、その時に限って父は「楽しみにしてるぞ」と言って私に追い打ちをかけてきたのだった。
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