4th
1週間前と同じ光景。強いて言うなら、外の天気は先週よりも曇っている。それくらい代わり映えのない部屋で、私は松木さんを待っている。先週とは全く違う種類の緊張感を落ち着かせるため、目の前に置かれたコーヒーをひと口飲んだ。
「今日は緊張してない?」
「先週よりはマシですかね」
隣に座る主任の質問に、多少の嘘を交えて答える。それに私が緊張しているのは、自分で架したミッションが原因な訳で。実のところ、この1週間で他の企業にも営業へ行ったということもあり、この外回り営業というもの自体に対する緊張感はそれほどない。
応接室のドアが開き、先週と同じように「お待たせしました」と言いながら松木さんが姿を見せた。相変わらず、真月佑奈と瓜二つな顔をしている。そのせいか、まだ二度目の対面なのにもう昔から何度も会っているような感覚に陥ってしまう。先週とほとんど変わりない姿だが、シャツの色が若干青みがかっている気がする。立ち上がろうとする私たちに、松木さんは「そのままで結構ですので」と言いながら小走りでテーブルまでやってきて、向かいのイスに腰を下ろした。
「わざわざ、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます」
主任とそんなやり取りを交わした松木さんは、私にも「早川さんも、ありがとうございます」と言ってくれた。名前、覚えていてくれたんだ。先週はほとんど置物と化していた私の名前まで覚えていてくれたという事実は、不思議と私の緊張感を和らげてくれた。
それからすぐに、松木さんと主任は本題に入った。松木さんから提案された、ゲームソフトの特集記事。細かい事情は分からなかったけど、主任から伝え聞いた話によれば、編集部もちょうどカラーページを埋めるネタ探しをしているところだったようで、無事に特集を組むことが決まったようだった。今日の席は、そのことについての報告とミーティングがメインとなる。
今日の私には「松木さんに誕生日と年齢を訊く」という自分で課したミッションの他にも、しっかりと仕事が与えられていた。2人の間で交わされる意見や提案を、パソコン上で文字に起こす、いわゆる書記係だ。重要なことを聞き逃さないように、集中して話を聞きながらキーボードを叩く。2年間の事務作業で鍛えたタイピング技術には自信があるので、そこまで苦にはならない。
特集ページに掲載する内容について意見を交換していた2人。すると突然、松木さんが私に話題を振ってきた。
「早川さんは、何かアイデアはありますか?」
「わ、私ですか?」
「はい。話を聞いた中で、こうした方が良いと思った事とか」
「えーっと......」
タイピングに集中していて、肝心の文章に含まれた意味が頭に入っていなかった私は、慌てて2人の会話を遡る。
新作ゲームのタイトル、パッケージ、内容。そしてシリーズ前作との比較と、開発者のインタビュー。そんな内容を特集するという方向で話が進んでいた。もうこれで十分な気もするが、わざわざ私に訊いてくるということは、まだページを埋めるには足りないのだろうか。それとも、単に私が退屈していると思ったのかもしれない。
ここで「大丈夫だと思います」と言うことは簡単で、それが最も無難な返答だろう。そんな思いとは裏腹に、私の中にある邪な考えが浮かんできてしまう。
私が何か意見を言って、もしそれを気に入ってもらえたら、松木さんとの距離が縮まるかもしれない。そうすれば、私のミッションも実行し易くなるかもしれない。
真月佑奈と松木さんが双子の姉妹だという説は、現時点では単なる私の妄想に過ぎない。でも、仮にその説が当たっているのなら、この話題は一気にデリケートなものとなる。その領域へ踏み込むには、少しでも松木さんとの距離を縮めておく必要があるのだ。
必死になって2人の会話を起こした文字を目で追い、何か提案できるアイデアはないかを考える。
「特になかったですか?」
「えっと......あっ」
なんとか思いついた意見を、上手く纏まらないまま口に出してしまおう。もはや意見としての完成度は二の次で、とにかく何かを言うことが大切だと直感的に思ったのだ。
「その......せっかく歴史の長いシリーズですから、前作だけではなくて、歴代の作品の変遷を紹介する......というような内容はどうでしょうか。うちの雑誌は幅広い年代に読んで頂けているので、歴代の作品を並べることで、どの世代の方にも注目して頂けるのではないかと、思った、のですが......」
頭で考えていたこと以上の文章が自分の口から流れ出たことに驚き、なんだか尻すぼみに声が小さくなってしまった。ベラベラと喋ってしまったことが急に申し訳なく感じてきて、松木さんの顔を見ることができずにパソコンの画面へ視線を戻した。
「なるほど。確かにそうですね」
私の視線を引き戻したのは、外ならぬ松木さんの声だった。思いがけない好反応に戸惑っていると、隣に座る主任まで松木さんに同調してくれた。
「早川さんの言う通り、幅広い年代の方へのアピールになるかもしれませんね」
「空いているスペースに、シリーズの歴史をまとめた表なんかを入れたりするのもいいかもしれません」
私がなんとか捻りだした意見が、2人に揉まれながらどんどん大きくなっていってしまう。困惑しながらも、その会話をまたパソコンに打ち込んでいく。
結果的に、私の意見はそのまま特集に反映されることになってしまった。松木さんに「ナイスアイデアですね」なんて褒められてしまったのは少し嬉しかったけど、その一方で、思いのほかミーティングが盛り上がった結果、先週のような雑談の時間が無さそうだということに気づいた。つまり、「松木さんに誕生日と年齢を訊く」というミッションは失敗に終わったということだ。
意見が採用された喜びと、ミッション失敗の悲しさが入り混じった奇妙な感覚に包まれながら、会議を起こした文書ファイルをUSBメモリに保存する。次に松木さんと会うことができるのはいつになるのかな。このファイルを松木さんに送るのは、メールで済むだろうし。そんなことを考えていると、手元の資料を片付けていた松木さんが主任に声をかけた。
「ちなみに、今日って何か予定があったりしますか?」
「今日ですか?あとは会社に戻って、今回まとめた内容を報告して......」
「あ、そうではなくて。仕事が終わってからのご予定です」
「あ、なるほど」と呟いた主任は、考えるような素振りで少し間を空けて「予定、ありますね」と答えた。ああ、そうでしたか、なんて言いながら立ち上がった松木さんに釣られるように、主任も立ち上がりながら「どうしてですか?」と質問を返す。それを受けた松木さんは、両手を体の前で振りながら「いえ、なんでもないんです」と笑った。
「ただ、3年前に私たちが初めて契約をした時に、顔合わせのような意味合いも込めた食事会があったじゃないですか」
松木さんがそこまで話したところで、主任も「ああ」と何か納得したような声を出した。
「今年から早川さんが新たに加わってくれましたし、今夜にでもどうかなと思ったんですけど......すみません、急でしたよね」
それを聞いた主任は、ちょっと急ですねぇ、なんて苦笑いしていた。主任には前もって予定が入っていたのだろうか。デートかな。綺麗だし、当然彼氏もいるだろうな。なんて反射的に浮かんだ考えを、頭を振ってどこかへ飛ばす。私も急いで立ち上がってパソコンをバッグに入れようとしていると、主任が浮かべていた苦笑いが何か思いついたような明るい表情に一瞬で変わった。
「早川さんは、予定ある?」
またしても、会話の矛先が私に向いたことに驚いてしまう。そしてそのひと言で、主任が言わんとしていることが大体理解できてしまった。
「いえ、ないですけど......」
「松木さん。早川さんと2人だけではダメでしょうか?」
やはり、私の予想は的中していた。松木さんの表情を窺うと、突然の提案に少し驚いたような顔をしていた。大きな眼が、更に大きくなっている。
「でも、早川さん本当にいいんですか?私と2人きりになってしまいますが」
「だ、大丈夫です!」
頭で考える前に、そんな答えが私の口から反射的に飛び出した。すると松木さんはパッと明るい表情になり、テーブルの脇を回って私の近くまで寄ってきた。これまで、このテーブルの幅よりも近づいたことがなかったから、一気に近づいた距離に戸惑ってしまう。確かに「距離を縮めたい」とは思っていたが、それは心理的な意味で使われる比喩表現に過ぎないもので。それよりも先に物理的な距離が縮まってしまったのは想定外だった。
「お仕事って何時頃に終わりますか?」
「えっと......18時頃には」
「ちょうどいいですね。では18時30分頃に待ち合わせましょう」
「は、はい」
ちょうどいい、の意味がイマイチ理解できないが、とにかく18時半に松木さんと再び会うことが決定した。しかも2人だけで。このビルと私の会社の中間地点にある駅を待ち合わせ場所に指定した松木さんは、帰り際に「では、後ほど」と言って見送ってくれた。主任とミーティングをしていた時よりも、少し低い声だったように感じた。まあ、気のせいだろうけど。
「なんか、ごめんね」
駅まで歩いていると、主任にいきなり謝られた。何がですか?と尋ねると、主任は「また後日にしましょうっていうべきだったかなと思って」と答えた。
主任が謝る必要など全くない。むしろ、私が礼を言いたいくらいだ。仕事の場以外で松木さんと2人きりになることができて、しかも互いにアルコールを入れた状態ならば、松木さんに質問をするハードルはぐっと下がると思われる。誕生日と年齢なんて、もうクリアしたも同然だ。
「大丈夫ですよ。むしろ、気を遣って頂いてありがとうございます」
「本当?」
「はい。私も松木さんと距離を縮めたいと思っていたので」
それなら良かった、と主任も安心したような笑顔を浮かべる。本当は主任の「予定」について詳しく聞きたかったんだけど、プライベートなことについてずけずけと質問をするのは止めた方がいいだろうと思い、「予定ってなんですか?」という言葉をぐっと飲みこんだ。それと同時に「松木さんにはいろいろ聞こうとしてるクセに」と、もう1人の自分に指摘された気がした。
いいじゃん。お酒飲むんだから。無礼講だよ。
よく分からない理由でもう1人の自分を丸め込み、主任が歩くスピードに合わせながら駅まで歩いた。
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