3rd

 私の目の前に、真月佑奈と瓜二つの女性が現れた。もはや同一人物と言って良いほどだ。この出来事は、今朝から私の中に渦巻いていた不安を消し去るには十分すぎるものだった。あまりの出来事に私の頭は完全にパニック状態に陥ってしまっている。どれだけ脳をフル回転させても、理解が追いつかない。


 彼女は、私が渡した名刺を持ったまま、自らの名刺入れを取り出した。


「ここで広報を担当しております。マツキレナです」


差し出された名刺を両手で受け取ると、そこには『松木玲菜』という彼女の名前が書いてあった。


『真月佑奈』と『松木玲菜』。顔だけではなく、名前まで似ている。字は違うけど名字の読み方は同じで、名前の最後に『ナ』がつくことまで共通している。


 まさか、真月佑奈本人なのか?


「真月佑奈」は芸名で、音楽を生業とすることが嫌になった彼女は、表向きには「亡くなった」と発表して、実はこっそり生活しているとか。いやいや、それは無いだろう。名前に関しては分からないが、何もわざわざ亡くなったことにする必要はない。音楽が嫌になったのなら、ストレートに引退を発表すれば良いのだから。


 そういえば「世界には自分にそっくりな人が3人いる」とか聞いたことがある。真月佑奈にそっくりな女性が、たまたま日本に生まれ、たまたま名前も似ていて、たまたま真月佑奈の大ファンである私の前に現れた......なんてことはないだろう。そもそもこの推測が、根も葉もない都市伝説からスタートしている時点で、何も説得力はない。


「えっと......どうかされましたか?」


貰った名刺をじっと見つめていたせいで、松木玲菜を心配させてしまったみたいだ。いくら心の声とはいえ、松木玲菜と呼ぶのは失礼か。とりあえず、松木さんと呼ぶことにする。


「い、いえ。すみません。なんでもないです」

「この子、先週営業部に配属されてきたばかりなんです。だから、緊張しているみたいで」


横に立っている主任がフォローしてくれた。ここへ来る途中に何度も自分の不安を主任に相談していたおかげで、今の私の挙動不審っぷりが「初めての営業で緊張している」と片付けられているようだ。


「そうなんですか。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」


そう言って松木さんは笑みを浮かべた。私が画面越しに何度も見てきた、或いはライブハウスの客席から見ていた、あの笑顔だ。だけど、真月佑奈の無邪気な少女みたいな笑顔とは少し違う、大人な雰囲気の笑顔に見えた気がした。


「どうぞ、お座りください」


松木さんのその言葉で私と主任は揃ってイスに座り、少し遅れて松木さんも私たちと向かい合うように座った。松木さんの顔を見つめるのは失礼だと思い、部屋の中をキョロキョロと見渡してしまう。怪しまれないようにしなければと思えば思うほど、客観的に自分の言動が怪しく感じてきて、自分でも分かるくらいに挙動不審になってしまう。


「あれ、今日は栗原さんはいらっしゃらないんですか?」

「実は、昇進しまして」

「ああ、そうなんですか」

「はい。ですので今年からは、私が1人で担当させて頂くことになりました」


その会話を聞いて、主任が「男性と女性の2人で対応してくれる」と言っていたことを思い出した。「栗原さん」というのは、その男性のことだろう。つい十数分前の会話の内容が吹き飛んでしまうほど、松木さんの登場は途轍もないインパクトだったのだ。


「では、今月分のチェックをお願い致します」


そう言うと主任はカバンから、今月発売予定の雑誌に掲載されるページのサンプルを取り出した。このメーカーが発売しているゲームソフトの宣伝ページ。これを確認してもらうために、私たちはこの会社へやって来た。今朝それを知ったときに「ファックスとかメールとかじゃだめなんですか?」と尋ねると、主任は「良いかもしれないけど、直接伺った方が仕事をしてる感が出るでしょ?」と悪戯っぽい笑顔を見せた。そんなものなのかと思いつつ言われた通りについて来たのだが、おかげで大変な事態が巻き起こっている。


 主任からサンプルを受け取った松木さんは、真剣な眼差しでそれを確認している。松木さんの目線がサンプルへ向いている隙に、じっくりその顔を観察させて頂くことにする。


 少し下へ向けて視線を飛ばす、丸くて大きな瞳。ギターを弾くときの真月佑奈のそれとソックリだ。何百回、何千回とその姿を見てきた私がそう思うのだ。もはや似ているどころではなく、全く同じと言ってもいい。


 そのサンプルを確認した松木さんは「大丈夫です。いつもありがとうございます」と言い、それを主任に返却した。急に顔を上げたから、目を逸らそうとしたけど間に合わなかった。松木さんと視線がかち合ってしまい、思わず「あっ」と声を出してしまった。そんな私にも松木さんは、優しく笑顔を返してくれた。


「実は今日は、こちらからご相談させて頂きたいことがございまして」


笑顔からスッと真剣な表情に切り替え、松木さんが主任にそう切り出した。


「何でしょう?」

「実は、秋頃にこんなものを発売する予定になっておりまして」


そう言うと今度は、松木さんの方が何かの紙を取り出した。私たちに向けて差し出されたそれは、新しく発売されるゲームソフトの概要だった。ほとんどゲームをやらない私でも知っているような、有名シリーズの新作について細かく書いてある。


「来月このゲームの発売計画を発表するのですが、それに合わせて雑誌に特集を組んで頂けないでしょうか?」

「なるほど」


主任は何度か頷き、改めてそのゲームの概要に視線を落とした。そんな主任を松木さんがじっと見つめている。何もやることがない私は、2人の顔を交互に見ることしかできない。どうしても、松木さんの方を見る時間が多くなってしまうけど。


「では、一度持ち帰らせて頂いても宜しいでしょうか?来月のカラーページに、まだ空いている枠があるかを編集部の方に確認しますので」

「はい、よろしくおねがいします」

「もし空きがなくても、なんとか実現できるように努力します」

「ありがとうございます」


座ったまま深々と頭を下げた松木さんは、顔を上げると同時に、顔の前に掛かった髪の毛を手で横へ流した。その動作を見届けた後で、松木さんの一挙手一投足を観察している自分が気持ち悪く思えてくる。


「なんとか来週までには結果を報告することは出来ると思うのですが。メールでの報告でもよろしいですか?」

「そうですね......細かくお話をさせて頂きたいので、折角なら直接お会いしたいのですが。来週のこの時間にまた来ていただくことは可能ですか?」


その提案を聞いた主任は「えっと......」と言いながら、スケジュール帳をめくった。


「はい、大丈夫です」

「では、また来週ということで」


そう言うと松木さんは、私の目を見て小さく頷いた。これは......私も来週ここへ来なければいけないということ?


「それでいいよね?」


主任にそう訊かれたことで、もう一度松木さんと会うことがあっさり確定してしまった。


「は、はい」


本当に私は必要なのだろうか。今日はただ2人の近くで動揺していただけ。きっと邪魔なだったと思う。


「えっと、早川さん......でしたよね?」

「え?あ、はい!」


急に松木さんから名前を呼ばれ、やけに大きな間抜けな声で返事をしてしまった。そんな私を見て松木さんは、フフッと肩を揺らして笑った。やっぱり、間抜けだったんだ。今度は恥ずかしさが込み上げてくる。


「早川さんは、今年入社されたんですか?」

「い、いえ。営業部に配属されたのは今年からですが、入社自体は2年前です」

「ああ、そうだったんですか!てっきり新人の方だと思ってました。すごく緊張されているのが伝わって来たので」

「す、すみません。こういう場が初めてなもので......」

「謝る事じゃないですよ。初々しくて、可愛らしいなと思ってました」


「可愛らしい」なんて言われることは無いから、妙にどぎまぎしてしまう。それも、あの顔に言われたのだから尚更だ。


 そこからしばらく、松木さんからいろいろ質問された。「今までは何を担当されていたんですか?」「営業のお仕事はどうですか?」「出身はどちらですか?」「大学はどこに通っていたんですか?」


少しずつ、ビジネス口調が和らいでいくのを感じた。フレンドリーにいろいろ話しかけてくれる松木さんは、きっと私の緊張を解そうとしてくれたのだと思う。だけど私の緊張は解れるどころか、更に高まってしまった。

 

 本当は松木さんの顔を見ながら質問に答えるのが常識なのだろうけど、どうしても目を合わせることができず、基本的には机を見ながら喋る形になってしまう。何度か目を合わせようと試みると、その度に松木さんはニコリと微笑んでくれたけど、やっぱり私の緊張が解れることはなかった。



 松木さんの会社を後にすると、すぐに主任に「早川さん、緊張してたねぇ」と笑われた。それに対して私は、「緊張しますよ。私のせいで何か問題が起きたら大変じゃないですか」と返した。一瞬、スマホに真月佑奈の画像を表示して「松木さんと似てませんか?だから緊張してたんですよ」と言おうかとも思ったが、仕事中にそんなことを考えていたと主任に知られるのはマズイような気がして止めた。


 そこから会社へ戻り、少しの仕事を終えて帰宅するまで、ずっと体中が疼くような感覚に襲われて落ち着かなかった。真月佑奈と松木玲菜という二人のことを考えていると、自分の記憶に何か歪な引っ掛かりを覚えた。


 家に帰った私は、まだ整理が終わっていない荷物の中からある物を探していた。それは、真月佑奈が載った雑誌たちだ。彼女が少しでも掲載された雑誌は必ず買っていたのだが、彼女が亡くなったことについての小さな記事が載っている雑誌を最後に、そのコレクションは途絶えていた。当然この先も増えることはない。


 この雑誌たちを読んでいないことを思い出した私は、記憶の引っ掛かりの原因を探るため、スーツから着替えることもせずに、雑誌を重ねて入れている段ボール箱を開けた。


 そのコレクションの中から私は、目当ての雑誌を発見した。彼女が亡くなる約半年前に敢行されたロングインタビューが掲載されている音楽雑誌だ。彼女の生い立ちからデビュー後のことまでが細かく語られているもので、真月佑奈という人間を更に知ることができる内容になっていた。何度か繰り返して読んでいたけど、これも彼女が亡くなってからは1度も読むことはできず、表紙を見るのも2年以上ぶりだ。


 コンビニで買ってきた夕食もテーブルの上に置いたままで、その雑誌を持ってベッドに寝転んだ。真月佑奈のインタビューが掲載されているページを開くと、そこにはインタビューを受ける彼女の写真が掲載されている。やっぱり、彼女と松木さんは似すぎている。妙な感覚に襲われながら、久しぶりにその文章へ目を移した。



───お名前と年齢を教えてください。


『真月佑奈です。24歳です』


───誕生日は?


『4月1日です。ギリギリ早生まれです』


───出身は?


『東京生まれ、東京育ちです』


───家族構成を教えてください。


『4人家族でした。父は3年前に亡くなってしまいましたけど、一応、両親と双子の姉と私で4人です』




ん?


そこで目が止まった。そして次の瞬間、脳裏に松木さんの顔が浮かんできた。



まさか。



確かに今日、松木さんも「東京出身です」と言っていたけど。


そんなことってあり得る?


いや、あり得ない。


あり得るはずがない。


そう思いたいけど、残念ながら私が昼間に脳内で繰り広げていた「真月佑奈が引退して、ひっそり暮らしている」「世界に同じ顔の人が3人いる内の1人だ」という妄想よりは、遥かに可能性は高いだろう。


松木玲菜は、真月佑奈の双子の姉。


名字の漢字が異なるのは、「真月佑奈」は芸名だったと考えれば説明がつく。


そう考えていると、私の胸が妙な高鳴りを始める。パンドラの箱を開けてしまった、というのは大袈裟だろうが、それくらいの領域に踏み込んでいるような気がする。私としたことが、このインタビューの内容を忘れていたなんて。自分で思っていた以上に私は、松木玲菜のことを深く思い出さないようにしていたのかもしれない。


 少し深呼吸をして自分を落ち着かせてから、インタビューの続きを読み進める。



───ご両親は何をされていたのですか?


『父は普通に会社員でした。母は幼稚園の先生をやっていたみたいですが、私と姉が生まれるタイミングで辞めたみたいです。なので、専業主婦ですね』


───今、お姉さんは何をされているのでしょうか


『それがですね......実は高校を出たくらいから連絡を取っていなくて。何をしているのかは分かりません。まあ、どこかで元気にやってるんじゃないですかね』


───というと、実家にはあまり帰られていないのですか?


『私は帰ってますよ。一昨日も実家に顔を出しましたし。姉が帰ってきてないんです。流石に母は姉が何をしているか知っているとは思いますけど、あまり話題には挙がりませんね。たまに『帰って来ないかなぁ』って寂しそうに呟いてますけど』



 そのやり取りを最後に、双子の姉に関する話題は終わっていた。今の私にとっては、もっと掘り下げて欲しい話題だったのだが、おそらくインタビュアーも不穏な空気を察していたのかもしれない。


 双子の姉が何をしているのか知らないという状況から考えるに、姉妹の仲はあまり良くなかったのだろう。私にも特別仲が良いわけではない3歳下の妹がいるが、流石に妹がどこで何をしているのかくらいは知っている。ましてや双子なのだから、実家であまり話題にも挙がらないというのは、かなり関係が途絶えていたのだろうと推測できる。


 私の仮説が正しくて、本当に松木さんが真月佑奈の双子の姉だった場合。そして、本当に2人の仲が悪かった場合。私が直接「真月佑奈って、松木さんの双子の妹さんですか?」なんて訊いてしまったら大変だ。私が個人的に知りたいだけの質問で松木さんを不機嫌にさせ、うちの会社との関係が悪化するなんてことになるかもしれない。ずっと良好な関係を築いていた松木さんの会社とうちの会社の関係を破綻させたとすれば、私の首が飛ぶのも覚悟しなければならない。


 でも、どうしても気になってしまう。


 少なくとも、1週間後に松木さんと会うことは確定している。今日のような雰囲気で雑談する流れになれば、最低限でも松木さんの誕生日と年齢くらいは聞くことができるかもしれない。


 このインタビューは4年前。もし真月佑奈が生きていれば28歳だ。松木さんの雰囲気から考えると、あの人も大体それくらいの年齢ではないかと思う。松木さんが4月1日生まれの28歳ならば、可能性はぐっと高まる。


 もし本当に予想が当たっていたら、私はどうするのだろう。


 もし予想が外れていたら、私はがっかりするのだろうか。


 いくら考えても答えは見つかりそうにないし、そもそも答えなんて無いのかもしれない。とにかく松木さんの年齢と誕生日は知りたいと思ってしまっているのは事実だ。


 仕事とは全く以て無関係の決意を固め、コンビニで買っていたカレーライスを温めようと立ち上がった。

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