第10話

「好きだ、周。俺と付き合ってくれ」

 輪島が椅子から立ち上がり、未だ硬直したまま動けずにいる僕を優しく抱きしめて耳元で囁いた。

 逞しい腕、骨ばった指、硬い胸板、低い声……ああ、これが本当の「男」なのか。

「っ……!」

「あ、おい!」

 輪島を勢いよく突き飛ばして、呼び止める声を無視して逃げ出した。

 輪島の好意が僕へ向いていたことへの驚き。男になりきれない紛い物の自分には何もできないことへの悔しさ、苛立ち。こんな僕のせいであげはの恋が成就できないことへの絶望。いろんな感情がめちゃくちゃに僕の体の中を駆け巡る。


 階段を駆け上がって、やがて辿り着いたのは屋上だった。青く澄んだ空と眩く光る太陽が僕を出迎える。

 屋上の手すりを掴んで、崩れ落ちるようにしゃがみこむ。

「あ、あああっ……」

 ずっと押さえつけていた声にならない声をようやく吐き出す。うまく呼吸ができなくて苦しいのは、がむしゃらに走り続けたことだけが理由ではないだろう。


 どうしたらいい。僕のしてきたことはすべて裏目に出ていた。その事実を知った今、僕に何ができるというのだろう。呼吸を整えて目を瞑ると、今まで起こったあらゆる出来事が走馬灯のように脳裏を過ぎる。


「蝶はさなぎのときに寄生虫につかれると、羽化せずさなぎのまま死んで──」


 いつかの生物の授業での教師の言葉を思い出した。

 蝶。さなぎ。寄生虫。羽化しない。

 あげははいつか美しくこの世界を舞う蝶。ならば……僕は?僕は一体何なのだろう。ずっとあげはのそばにいた僕は、彼女にとって……


 行き着いたひとつの答えはあまりにも残酷なものだった。けれど、それ以外答えは見つからなかった。

 屋上の手すりを乗り越える。


「周っ!」

 僕を追いかけてきたらしい輪島が急いで駆け寄り僕の腕に手を伸ばした、その瞬間──僕はうつ伏せの状態で腕を広げて空を舞った。いつかのあげはがそうしたように。


 生徒たちの悲鳴が聞こえる。地面がどんどん近づいてくる。


「周」


 猛スピードで落ちていく中、僕を呼ぶ聞き慣れた声がした。声の方を向くと、友だちと遊びに行ったはずのあげはがそこにいた。とても嬉しそうに微笑みながら。


「やっと気づいてくれたんだね」

「……ああ。今までつらい思いをさせて、ごめんな」

「それじゃあ、さよなら」


 どん、と大きな音と共に、僕の体は地面に叩きつけられた。

 もうすぐ僕は死ぬ。白く掠れていく視界に最後に映ったのは、いつも首から提げていたあの蝶のネックレスだ。

「次こそ……僕の!いない、次、を」

 きらりと蝶が光った、気がした。

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バタフライ・リープ 衣笠 織 @Orion_3x

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