純粋を込めて
午前五時。
赤城さんの誕生日である本日、僕はだいぶ早くに目が覚めてしまった。
六角公園までは歩いて十分ちょっとなので、こんなに早く覚醒する必要はなかった。
これは余談なのだけれど、六角公園は別に、敷地が六角形というわけではない。六角形の腰掛けがあるわけでもない。六本の角が地面から生えたりもしていない。じゃあ何で六角公園なんだ。謎である。理由は僕も知らない。
緑色のノートと黄色のノートにちょこちょこと言葉を書き留めたり、読みかけの本を読んだり、無意味にスクワットをしてみたり。
思いついた暇つぶしを片っ端から試していると、やっと七時になった。
これでもまだ、七時なんだ…。
まだ三時間もある。どうやって暇を潰したものかと、真剣に悩んでみたり。
こういうときこそ勉強だ、とひらめいて数学の教科書を通学鞄から引っ張り出す。授業用のノートも準備して、復習をするつもりだったのだけれど。無理だった。数字や公式がどうとか、ではなく。この計算は何のためにするものなのかという疑問が浮かび、先に進まなかった。
勉強は暇潰しにならないと、僕は学んだ。
では遊んでやろうと、ポータブルゲーム機を起動させる。だけど、今日これからのことを考えると驚くほど集中できなくて、すぐにゲームオーバーになってしまった。
色々な暇潰しを試した結果、最も効果があったのは読書だった。でも読書にも飽きてしまって、もうすることもないので家を出た。
時刻はまだ八時半。早いとかいうレベルではない。
僕は六角公園に向かいながら、着いたらブランコでも漕ごうかなと考えた。
六角公園は小さいのだけれど、ブランコがふたつと小さなシーソーと砂場がある。逆に言えば、それしかない。あ、鉄棒もあったかもしれない。すっごく低いやつが。
なるべく時間をかけて、のたりのたりと歩いた。
特別なものなど何もない景色を注意して見てみたり、道路の白線を観察してみたり。もし誰かに見られていたら不審者と間違えられてしまうかもしれない。
鳥の鳴き声が聞こえたので、きょろきょろと辺りを見回し鳥の捜索までし始める僕だった。不審者で間違いない。
電線に止まっている数十羽の雀を発見し、意外とすぐ見つかったなあと思っていると、目の前に六角公園が見えた。
人っ子一人いない静かな敷地に、久し振りに足を踏み入れた。
小学校低学年の頃はそこそこ利用していた場所だけれど、最近はめっきり来なくなっていた。
公園の入口には、川上公園と彫られた石が立っている。
六角公園の正式名称は川上公園。誰がいつ六角と呼び出したのか、謎すぎる。
久し振りに入った公園は、何だか予想以上に小さかった。
きっと、僕自身が成長したからそう感じるだけなのだろうけれど。
ブランコもシーソーも砂場も、元々低いと思っていた鉄棒も、全てがちんまりして見える。
懐かしさよりも寂しさを覚える。
でもブランコには乗っておこうと、低い板に腰を下ろした。
足をゆらゆらと遊ばせながら、十時になるのを待つ。
閑静な住宅街の中にある公園は、静寂に包まれている。
低いブランコで揺れている内に、僕はいつの間にか目を閉じていた。
「硲くん」
膝を叩かれて、目を開けた。
「赤城さん……今声出した?」
「うん」
目の前にいる女の子は、間違いなく赤城さんだ。その赤城さんが「うん」という返事とともに頷いている。
「そんなに驚かないでよ。私も喋れるよ」
へへへ、と笑う赤城さん。
そうなんだ。喋れるんだ。
「ただちょっと、怖い人たちの前では声を出せないだけ」
「怖い人たち?」
「仲良くない人のこと」
「へぇ、そうなんだ」
赤城さんは「そう」と頷いた。
「あと、怖い場所でもだめ」
「学校のこと?」
彼女はまた、頷いた。
「だから今は喋れるよ。お話、しようか」
そうだね、と僕は頷く。
今までは文面だった返答が、赤城さんの肉声で返ってくる。
それは何だか新鮮で、嬉しくて、楽しくて。もちろん、文面でも楽しいけれど。
僕と赤城さんは色々なことを話した。
次から次に、話したいことが浮かんでくる。
赤城さんは笑っている。僕も笑う。
穏やかで、やさしい時間。
しあわせなせかい。
いつまでもいつまでも続いていくような気がした。
ふと気付いて腕時計を見ると、短針が三を指していた。午後三時。
いつの間に、そんな時間が経っていたのか。駅の方に行くつもりだったのに。
「いいじゃん。このまま話していようよ。駅に行ったら私、声出せなくなっちゃうし」
赤城さんがそう言うので、僕たちは公園に留まることにした。
まだまだ、話したいことがたくさんあった。
辺りが暗くなり始めた。
僕は斜め掛けバッグから一枚の紙を取り出して、赤城さんに渡した。
赤城さんはとても喜んでいる様子でそれを受け取って、真剣に目を通してくれた。
しばらくして彼女は口を開けた。
そして。
いつから変わり始めたのか
君が隣にいることが当たり前になって
近くにあるのに怖くて触れられない
いつまでも君のそばにいたいくて
雨が降っても雷が鳴っても
ふたりでなら笑っていられる
何もない日も特別に変わる
大切じゃない一瞬なんてない
この空に僕は歌いたい
精一杯の優しさを込めて
届くようにと想いを乗せて
花弁が舞うように降らせたい
ずっと ずっと ずっと
それだけを望んで
きっと きっと きっと
予感を飲み込んだ
君の足跡には何が宿るのか
僕は最後まで見ていることができるのか
君がいる未来だけを歩みたくて
ただ光だけを追って息をしたい
雨のカーテンも走る稲妻も
ふたりでならもっときれいに見える
せかいがやさしく変わっていく
全部の一瞬を忘れたくない
この空に僕は歌いたい
精一杯の純粋を込めて
届くようにと想いを乗せた
花弁が舞うように降らせたい
いつまでもこのやさしいせかいの中で
嬉しさに息をしていきたい
羽毛でできたようなふわふわな気持ちが
君にありったけ届きますように
ずっと ずっと ずっと
それだけを望んで
歌って 歌って 歌って
君だけを想って
精一杯の純粋を込めて
彼女は歌った。
たった今僕が渡した詩を、一瞬で歌にした。
僕は何か言いたいのに、色々な言葉が浮かびすぎてどれを取ったらよいかわからない。
「すごいね」
やっとそれだけ言えた。
赤城さんは「硲くんの方がすごいよ」と笑った。
その笑顔を見たら、涙が出てきた。
何が悲しいんだろう、何が嬉しいんだろう。
書き留められない声を、歌を想って。
ただ、今は泣きたかった。
僕の詩、君の歌。 識織しの木 @cala
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