やさしいしあわせ
実際のところ、赤城さんの誕生日まであと一週間もないくらいだった。
意識して詩を書こうというつもりは微塵もなく、ただ浮かんだ想いを書き留めていくつもりだった。
のだけれど。
「誕生日」というフレーズがどうにも、僕に緊張感を与えるのだった。
特別な日に贈るものは、特別でなくてはならない。
そんな気がする。
赤城さんは、きっとどんなものでも喜んで受け取ってくれると思う。
だけど、僕はそれでは嫌だ。
今までで一番強い想いを込めたものを、彼女に贈りたい。
「楽しみにしてるね」
と書かれた紙片がペンケースに入っていた。
後ろを振り向くと、赤城さんはにこにこ笑っている。
その笑顔に毒気を抜かれて、何も言えなくなった。
仕方なく前に向き直る。
することもないので、昼休みが終わるまで机に伏していることにした。
目を閉じると、色々な言葉や考えが浮かび上がってくる。
だけど中々、赤城さんに贈りたいと思えるものは見つからない。
望んでいるものほど手に入らない。欲しい言葉ほど、思いつくことができない。
頭を空っぽに。
空っぽに………。
背中を突かれてはっとすると、昼休みはとっくに終わっていた。
五時間目の授業が、僕を置いて進んでいる。
先生に怒られなくてよかった、と安堵するのと同時に、また数学がわからなくなっていく……と焦りを覚えた。
黄色のノートを開いて、浮かんできた言葉を書き留めた。
何でだろうなあ。
緑色のノートに書くべき言葉はうまく浮かんでこない。
帰宅して、僕は自分の部屋で「赤城さんノート」を開いた。
僕の目に、赤城さんがどう映っていたのか。
赤城さんに対して、どういう気持を生じていたのか。
僕が赤城さんをどんな風に想っているか。
その全てが、このノートには書き留められている。
いつまでも思い出せるように、残せるように。そのための「赤城さんノート」。
一頁毎に綴られた過去の僕の記憶。
その一つひとつを掬い上げるように、丁寧に飲み込んでいく。
そうだ。
この頃の僕はまだ、赤城さんのことを全然知らなかった。この頃になると、知っていることが多くなってきた。これは、あの詩を見せたときのものだ。
一つひとつに、思い出したかったことが詰まっていた。
自然と、言葉が溢れてくる。
ノートの白紙の頁を開いて、僕はシャーペンを走らせる。
何のまとまりもなく、次々に色が押し寄せる。言葉という色が。
全て、残したい。
伝えたい。
届けたい。
言葉を書き留めるのにこんなに必死になったのは初めてだ。
気を抜いていると、すぐにどこかに霧散してしまう。
何一つ、忘れてしまうことのないように。
手元が疲れてきても、僕は書くのをやめられなかった。
ここで動きを止めたら、それでもう、終わってしまう。
駄目だ。
全てを彼女に伝えるんだ。届けるんだ。
これまでにない質量の想いを詰め込んで。
書いて、書いて、書き続けて。
ようやく言葉が尽きた。
シャーペンを握っていた右手を開いて、軽く振る。とても痛い。
頭は冴えている。
改めて埋めた頁を見てみると、酷いものだった。
このままじゃあ、とても見せられないな。
書き留めることに一生懸命で、文字が乱雑だ。まとまりもなく、罫線を一切無視している。消しゴムを使わなかったので、黒いぐしゃぐしゃした丸印が点在していた。勢い余ってシャーペンの芯を折ってしまって、粉となった黒鉛がノートを汚していた。ところどころ、紙がぐしゃりとよれている。
こんなに汚いものはいくら何でも見せることはできないので、僕は書き留めたものを後ほどで書き直すことにした。
勢い任せに書き留めた言葉を纏まり毎に固めて、丁寧に書き直した。
纏まりを作る作業に手こずってしまって、やっと完成させた本日は、期限の二日前だった。
学校では赤城さんから「明後日十時、六角公園でね」と書かれた紙片を貰った。
六角公園というのは、僕と赤城さんの自宅のほぼ中間くらいにある小さな公園のこと。
明後日はその公園で待ち合わせをして、駅の方に遊びに行く予定になっている。
浮かんでくる言葉を、僕はまたノートに書き留める。
確かに見えている明日にそれでも僕は願っている
どうかこの幸せが続いてくれますように
僕を不安にさせるのは優しい時間の流れ
いつか終わりが来てしまうことに僕は目を伏せた
嬉しさと悲しさと
全部をまぜこぜにしたみたいに
不思議な感情が
僕を寂しくさせてしまう
手を伸ばせば応えてくれるその笑顔が
僕にはすこしだけ痛くて辛いみたい
確かに見えているその笑顔に僕は願っている
どうかこの幸せが終わりませんように
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