実録怪異譚「針の怪」

愛野ニナ

第1話



 あれは夏の終わり。

 私は訳あって自宅を出て数日間のホテル住まいをしていた。

 生活じたいはいつもと変わらない。会社へ通勤して戻る先がホテルの部屋であるという違いだけ。

 私は夜の時間に趣味で配信をしていて、ホテルに滞在していたその期間も定期配信の時間が来ると自宅と同じように自分の端末から配信もしていた。

 その日の配信のテーマは「怪談」だった。

 私は元来オカルト全般好きなので、その日の配信はリスナーさんも巻き込んで異様な熱を帯びて盛りあがっていたように思う。

 私の見聞きした体験談を語り、リスナーさんの体験談のコメントを読んだりしながら、途中でリスナーさんの一人が「変な声が聞こえた」と言い出したり(後にそれは間違いであったことが判明している)、

 妙に興奮した空気をまとったままではあったが、

 その日の配信は夜中近くに何事もなく終了した。




 翌朝、私は会社へ行くための用意をしていると、メイクポーチの中から針を発見した。

 針は裁縫の縫いどめに使う玉つきの待ち針が一本。

 この針はいったいどこから入ったのだろう。

 メイクポーチはホテルに滞在中も毎日使っていたが、昨日まで針など絶対に無かった。

 ホテルの部屋に清掃が入るのは私が会社へ行っている昼間だけで、昨夜だってもちろん誰も入ったりはしていない。仮に誰かが入ってきたとして、わざわざ私のメイクポーチを開けて針を入れてからまたしまっておくだろうか。

 私は釈然としないままだったが通勤の時間が迫っていたので、その謎をおいたままに部屋を出た。




 そしてその日の夜のこと。

 仕事を終えて部屋に戻り、通勤用のバッグの中を整頓している時であった。

 バッグの中にあった携帯用のソーイングセットを見て今朝の針の存在だけは判明した。まち針はたぶんこの中にあったものに違いない。

 ただどうしてもわからないことがある。

 このソーイングセットは私の物に間違いないが、私自身がこれの存在や通勤用のバッグに入れて持ち歩いていたことすら忘れていた。

 当然だが、部屋に誰もいなかったしソーイングセットがあることを誰も知らないとなると、

 私のメイクポーチに針を入れたのは、

 他ならぬこの私自身なのである。

 これは揺るがない事実なのだろう。

 私は、ソーイングセットの存在も忘れていたのに。

 でも、

 無意識の私は、

 ソーイングケースを開けてその中からまち針を一本取り出し、自分のメイクポーチを開けて中に入れてまたメイクポーチを元に戻す、

 という一連の行為をしたことになる。

 もちろんその一切の記憶は無い。

 何かが私を操っていたとしか思えないのである。

 そして前夜に怪談をしていたこと、なにか関係があるのだろうか。

 何かの意識、それも悪意とか呪いとかそれに近い思念を呼び寄せてしまったのかもしれない。

 解明しきれない謎の現象はひそやかに、だが確かに存在はしているのだと思う出来事であった。




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実録怪異譚「針の怪」 愛野ニナ @nina_laurant

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