15話 新たな名前

 勇者が旅立つのは明日。

 彼は陽が昇る頃には出立すると言い、一通り話は纏まった。


 魔王亡き今、統率の取れた敵がいなければ勇者一人でも人間界へ渡ることは可能だろう。とはいえ、強力な魔物が生息しているルートを幾つか突破しなければならない。

 城から出発し人間界の村や町に到達するまでは、少なく見積もって十日は掛かる。


 それも複数人での行軍の話だ。

 一人の場合、勇者なら無理とは言わないが更に倍を想定した方が良い。特に彼の場合、力と知識はあっても実際の経験がないのだから。


 という俺の想定日数を元に、ステラが荷造りを行ってくれている。


 必要なのは怪我や病、毒物に対応する薬類や回復魔法の簡易スクロール。それと長持ちする食糧、特に調理が必要のない物は重要だ。


 旅装備も必須だが、幸い人間が使えるものは城に残っている。剣に関しても名剣魔剣の類はないが、量産品を適当に見繕うのは可能だ。


 装備に関しては直接身に付けるもののため、俺と彼とで相談し選定をしている。


 そして、準備も一段落した時、重大な問題が発生する。

 彼のほんの一言からだった。


「なあ。名前はどうするんだ? 二人共〝アルテ〟を名乗るわけにはいかないと思うんだけど」


 その言葉を聞き、中々に大事な事柄を無視していた事に互いが気付いた。

 俺は眉根を寄せ、少々虚空を見つめて――それから彼を見やる。ほぼ同じ仕草だったか、彼と目線が合った。


「ずっと魔王様と呼ばれていたから気付かなかった」

「それはもっと早く気付いて欲しかったな?」

「誰も俺をアルテと呼ばないのだから、気にしていなかったのだ」


 そうだった。

 俺はずっとステラから魔王様と呼ばれていたため、名を意識したことはない。

 しかし、それは彼女が俺の名を知らないということではなかった。


 勇者時代の話をした際に一度伝えてはいるが、以降も彼女が俺を〝アルテ〟と呼んだことは一度もない。

 あの出来事を苦い経験として語った俺を気遣って、その頃の名を口にしなかったのだろう。


「まあ、うん。一理はあるか……それで?」

「ふむ……」

「うん」

「そうだな……」

「何か考えが?」

「確かに駄目だ」

「それは、知ってる」


 まず、魔王アルテの名が知れ渡ることを想定する。

 魔界は勇者と同名の魔王が現れたと騒ぎになり、人間界は勇者アルテが魔王化したと阿鼻叫喚する未来が一瞬で見えた。

 あらゆる方面で敵を作る最低最悪の結果になるだろう。


 次に勇者アルテ。

 こちらは問題が出るのは人間界のみだが、同じ名前で〝勇者アルテ〟という存在が現れ、しかも本当に勇者の力を持っていることが知れ渡ったらどうなるか。

 考えるまでもない。殺される。


「名前など適当でもいいのだが」

「適当って、例えば?」


 俺は視界に入るものを適当に見る。

 転がっている中で真っ先に目に入ったのは、チェーンメイルだ。


「魔王チェーン。勇者メイル」

「雑だな……何見て決めたのか丸分かりだし、しかも勇者と魔王の名前が関連性高いな」

「なら、お前はどう決める? 俺はチェーンでも良い」


 彼は俺と同じく、周囲にきょろきょろと視線を配った。

 しばらく悩んだ様子の後、小さく呟く。


「勇者……バスター」

「武器を見たな」


 俺は壁に立て掛けられたバスターソードに目をやる。

 比較的大きめの魔物や、鉄鎧を着込んだ相手に有効な両手剣だ。チェーンメイルを着たような相手であれば、斬るより叩き潰す目的で振り下ろすのが良いだろう。


 サイズはバスターソードの種類にも寄るが、これは俺達より目線が高い。余計に体力を使う分、旅に持っていく得物として適切ではなさそうだ。


「なら俺がソードか」

「……せめて俺がソードじゃないか? というか名前を合わせる理由は何」

「どうせ採用しないからだ」

「ああ……うん。それはそう」


 そして俺達は互いに言葉を交わさなくなった。

 もう少し真面目に考えようと腕でも組んでみるが、案は出ない。

 彼も床のラウンドシールドを眺めてから手を伸ばそうとし、途中で止めたようだった。


「……こんな時、ステラが居ればな」

「はい、どうかされましたか?」

「――おっ、おお。居たのか」

「えっと。私を呼ぶ声が聞こえたものですから……違いましたか?」


 独り言のつもりで呟くと、いつの間にか背後にいた彼女からの返事があった。

 驚きつつ振り返れば、その両手に薬草の類が纏められているのが見える。


 たまたま近くの医療棚を漁っていたようだ。


「丁度良かった。名付けの話をしていたところでな」

「……あ。勇者様の名前でしょうか?」

「それもある。後は、俺自身も別の名を名乗った方が良いだろうと思ってはいるのだが……」

「魔王様の、ですか」

「ああ。といっても俺も勇者も思いつかない」


 言えば、ステラは俺をじっと見つめて。

 恐れ多いと言わんばかりに視線を逸らされてしまった。


「純粋な目で見つめて下さるのは、嬉しいのですが……私が決めるというのは、流石に」

「流石に駄目か」

「仮にも魔王様だし、部下に名前決めて貰うの違和感あるだろ」

「ステラは部下ではないぞ」

「はい。私は魔王様の従者にございます」

「ステラ?」

「従者にございます」


 俺はステラを従者にした覚えはない。

 しかし、勇者の彼は納得したように頷いていた。

 自らそう望むのであれば、まあいいのだが……。


「そうですね……では、肩書から名前を付けるというのは如何です?」

「肩書をベースにするのか。そういう方向性もあるな、流石はステラだ」

「お褒め頂きありがとうございます」


 名前、名前か。


「なら……お前は勇者から取って、ユーサーってのは」

「安直だけどそんなに悪くないんじゃないか、少なくとも勇者メイルやバスターより。じゃあ、魔王は?」

「マーオー」

「だっさ」

「言ってくれるな。なら、逆に何か案を出してくれ」

「じゃあマオ」

「ふむ。さきほどよりはマシ……か?」

「……」

「……俺もお前も、名前のセンスは皆無だな」

「……」


 そして俺達は再び黙った。

 三人が一箇所に集まって微動だにしない光景とはこれ如何に。


「恐らくですが。肩書のみを名に落とし込んでいるから、自分と思えないのかもしれませんね」

「ふむ。確かにな……ステラならどうやって名を付ける?」

「えっ」


 ステラは目をぱちくりと瞬かせ、ぎこちない笑みを浮かべた。


「私ならですか……本当に、私が?」

「頼む」

「――分かりました」


 ステラは少しの間目を閉じ、考え込む様子で腕を組んだ。

 しばらくそうしてから、覚悟が決まったように目を開く。


「魔王様の、かつての名を、お使いしても?」

「構わないぞ」

「……では」


 すぅ、と彼女は大きく息を吸い込む。

 それから。


「魔王様は――〝アルマ〟様」

「なるほど」


 俺は頷く。さきほどよりしっくりと来るな。

 次に彼女は勇者へと身体を向け、言う。


「勇者様は――〝アーサー〟様」

「おお」


 ぱちぱち、と勇者の彼は拍手した。


「いいかも、確かに愛着が出てきた……アーサーか」

「俺がアルマか。一文字変わるだけで随分と印象が変わるんだな。いいのではないか?」

「えっ……ええと、お待ち下さい。宜しいのですか? も、もう少し考えた方が」

「長考したところで良いのが出るとは限らない。俺はしっくり来たよ」


 魔王アルマ。

 なんだか強そうな名だ。


 今まで意識してはいなかったが、アルテという誰かを自分から意図して切り離していた身だ。

 どこか、胸にすとんと落ちた気もしている。


「決まりだ。俺はこれからアルマと名乗る。お前はこれから、アーサーと名乗ってくれ」

「ああ。分かった」

「え、あ……結局私が……決めてしまった……」


 おろおろ勇者と俺とを見て視線が泳ぐステラを他所に。

 互いの新たな名が、決定したのであった。

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