14話 腹を満たし、勇者は言う

「うまかった。ご馳走様」


 彼は先日の残りの鍋を何杯も掻き込むように食べ、そして満足気に何度も頭を下げた。

 本当に、かなり腹が減っていたのだろう。生まれて初めて口から栄養を採ったのだろうが、彼は本当に満足げだ。忙しなく食器を動かす姿は見た目がよくはなかったが、仕草を気にしているのは恐らく俺だけである。


 俺は食事を摂る時、意識していないだけで彼のような食べっぷりであったのだろうか。分からない。

 そこに気を配ったことはなかった。


 ただステラも嬉しそうな表情をしている。なら、そこまで気にすることでもないのかもしれない。

 確かに、美味そうに食べる姿にはどこか気持ちの良さを感じた。


「……ふぅ。いや、うまかった。人生初めての食事だったし、でもお前が美味そうに食べていたから俺も食べたかったんだ」

「うん? 味を知らないのか」

「知ってるんだけど、知らないんだ。多分これは説明しても分からない」


 彼は真剣な顔で首をかしげた。どうやら言語化できない類のものらしい。

 少しの間考え込んだ後、彼は後頭部を乱暴に掻いて話を打ち切った。


「とにかくうまかったってこと。今は腹が膨れたけど、減ったらまた食べたいよ」

「まあ。でしたら、いつでもお作りしますよ」

「あー……嬉しい提案だけど、あんまり良くはないかも。ステラの慕う人は魔王であって、俺ではないから」


 彼は頬を掻くようにして、難しい表情を作った。

 やや葛藤は抱いていたようで少し唸ったものの、最後には軽く手の平を向けて「やっぱり大丈夫」と言い直す。


 俺はその考えが読めなかったが、どうやら彼にも独自の考えがあるらしく。


「お気になさらずとも良いのですよ? 確かに慕うといった意味では違うでしょうが」

「あー……そうじゃなくて。俺までその、そういうアレなんだ。になるわけにはいかないと思う」

「?」


 急にあやふやに否定を始めた彼に、ステラは片方の眉を寄せた。

 何を言っているのか分からないという顔だ。

 残念ながら、俺に向けられても答えは返せそうにない。


「それに、腹も膨れたし丁度いい。俺の方から言わなきゃなと思うことがある、言わせてくれ」

「……なんだ? お前は俺のはずだが、何を言いたいのかが読めてこないぞ」

「まあ、そうかもな。直感的に俺の方が気付きやすい事柄だ」


 俺の方が。

 つまりは、勇者という立場から見えてくるものがあるということ。その言葉を聞き、俺は彼の次の台詞を促す。

 彼は悩ましい顔で、ただこう告げた。


「あまり長居ができない。分かるだろ? 勇者と魔王は――仲良くはなれないんだ」

「……大方は理解した。勇者として認められなくなる、か?」

「そういうこと。続けると俺の中の力が消える。確信はない、予感だけど」

「いや、先に話してくれて助かる。そうなってしまえば、身も心も裂いたのが無駄になってしまうところだ」


 しかし、なるほど。

 今の話から、彼が己の力に何らかの異常を感じたことが伝わってくる。

 元々、魔王と相性が悪いのは分かっていた。それを試す意味合いで積極的に利用していた俺は、特に使いにくさを感じていたことも。


「だから、俺は明日には城を発とうと思ってる」


 俺は彼の言葉に驚きはしなかった。

 力が消える、だから俺から離れる。

 そこに異論はないし、ならばそうすべきだと考える。


 ――だが、そこに違和感はあった。


 小さな疑問だ。

 勇者は俺だが、明確に〝俺〟ではないが故の疑問。

 その結論は、俺にとってだけの最適解だ。


「お前はそれでいいのか」

「いいよ。俺は絶対にここから離れなきゃいけないし、勇者として認められるため、人間界に旅立つ必要がある」

「何故、そう考える」

「魔王の条件を読み解けばそうだろ? 勇者っていうのは、魔界で隠居する奴に与えられる称号じゃない。次にここに戻ってくる時、便宜上俺とお前は敵同士でなければならない」


 ――そうだ。

 勇者に関しては、力が消える可能性が存在している。

 条件を満たし続けるには、人間界で己が勇者だと証明しなくてはならない。

 しかし、魔界に魔王を倒して欲しいと願う人間などいないのだ。


「その時は適当に戦って適当に演技して、魔王が撤退して勇者が帰還すればハッピーエンド。魔王が生きてるなら、今度は勇者が人間に消される理由ないしな」

「だが、それは全て俺が望んでいることだ。俺が聞きたいのは、やらなければならないことではない」


 確かに、彼が言う言葉は正しい。

 勇者は魔王との敵対関係を演じる必要があったが、いずれこちらから話すべき内容なのだ。

 何故なら、彼は俺と同一の考えを持った存在ではなかったから。俺と限りなく似た思考回路を持ってはいても、魂が離れた時点で別人に等しい。


 故に、彼には勇者を全うする理由がないのだ。

 だからこそ俺は、「それでいいのか」と聞いた。


「なんだよ。勇者辞めてほしいわけじゃないんだろ?」

「そうは言った。だが、お前にも勇者の力を失える権利がある。身勝手な大役を押し付けたのだから、当然の選択権だろう」

「それで?」

「そうなったとしても、俺はお前を癇癪で殺しはしない」


 彼が俺と同一の望みを抱くとは限らない。

 もしも違う望みがあるのならば、俺は聞くべきだ――そう言おうとした俺を、彼は一笑に付す。

 なんだ、そんなことかと言わんばかりに。


「それ、いつか俺もお前も新勇者に殺されておしまいだよ。ステラだって殺される。俺はそんな結末は見たくない」

「勇者は辛いぞ」

「魔王を殺した後じゃないと辛くはならないんだから、それは違うだろ」

「……そうか」


 ああ、そうか。

 彼は俺と限りなく近い存在だ、という前提をすっかり忘れかけていた。俺なら取るであろう行動は、彼も取るのだろう。

 俺が何も返さないのを見て、彼は「それに」と続ける。


「人間界で純粋に楽しみなことだってある。そっちは、ちゃんと俺だけの望みだよ」

「聞こうか。それは?」

「ステラの鍋みたいにさ、うまいものが人間界に沢山あるだろ? 俺、自分の口で食いたいんだ」

「な……それだけ、か?」

「は? お前……例えば餓死寸前まで何も食えない状況で、ご馳走目の前に広げて俺だけぱくぱく食べ始めても同じこと言える?」

「……すまない、愚弄したわけではなかった」


 彼は最初に言った。

 知っている味だけど知らない、と。


 つまり、俺が食べてきた今までの全ての食事は、彼にとって喉から手が出るほど食べたいものになっている。

 確かにそれは――俺では絶対に出てこない望みだ。


「というわけで俺は城を発つ。いいか?」


 彼は最初の台詞をもう一度強く言い放つ。

 もう、そこに異を挟む者など残ってはいない。


 こうして、生まれたばかりのもう一人は明日に旅立つことが決まったのだった。

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