13話 目覚めたもう一人

 翌日のことである。

 城に戻ってからおおよそ半日ほどが経過し、太陽が天辺へと昇る頃。

 俺はこの身体には未だ慣れずにいた。


 まず、普段着用していた衣類は全て俺の身体に合わなくなった。とはいえ、まだ許容の範囲内である。

 今は仕方なく着れるものを着用しているが、それに関してはステラが新しく服を仕上げると引き受けてくれた。


 その彼女を見上げて会話をするのは、流石に慣れたといえる。喋った時の俺の声の高さにも若干の違和感はあるが、生活の支障は別にないだろう。


「取れない」


 だが、高い場所に置いたままの物が普通に取れなくなった。壁掛けの魔力灯の明かりを消すのに腕の長さが足りず、当たり前だが書庫の高い位置にある本にも届かない。


「お取りしましょうか?」


 隣でそんな事をステラに言われた時、俺は一体どのような顔をしていたのだろうか。


 浮遊すれば今までの生活は行えるが、他にも歩幅の違いで壁や調度品の角に足をぶつけたりと、それはもう一日で散々である。

 この小さな身体に慣れるには、あと一日か二日は見るべきだろう。


 と、俺が棚の上にある小箱をぼんやり眺めていた時だった。


「――魔王様、さきほど勇者が目覚めました」

「ん。そうか」


 小箱から目を離し、俺は声を掛けてきた方へ振り向く。

 眺めていたのはなんとなく中身が気になっただけで、特段用があったわけではない。

 だから俺は小箱を取らない。


「ええと……宜しいのですか?」

「宜しいのだ」


 ステラ、お前はどうして何も言っていないのに意図を汲み取ってしまえるのだ。

 俺の威厳が落ちていく。いや、元からないらしいからこれ以上は落ちないか。よくよく考えてみれば、床に落とした食材を食べようとする魔王に威厳などあるはずもない。


 きっとそういう場面だけが切り取られて人間に伝われば、誰も魔王を殺そうだなどと寝ぼけたことは言わなくなるだろう。

 まぁ、土台無理な話だ。


 俺は小箱に振り返ることはせず、勇者を眠らせている部屋へと向かった。




 ◇




 勇者はベッドの上で目を覚ましていた。

 シーツから上体を起こしていた彼は、部屋に入ってくる俺を見るなり――俺よりも先に、声を掛けてくる。


「あ、おはよう」


 想像していたものより、随分とご立派なことで。

 俺は一瞬だけ言葉を失ってしまったが、元々は俺の方から声を掛けるつもりだったのだ。挨拶を返し、改めて向き直る。


「気分はどうだ?」

「あぁ……どうだろう。分からない、って言えばいい? お前が俺だっていうのだけは分かってるけど」


 恐らく人生で初の会話をすることになったであろう勇者の彼は、実に理路整然としていた。

 会話ができない、とかはない。

 彼は自らの言葉で自分の状態を適切に説明できている。


 分からない――それを言われてしまえば、俺は納得せざるを得ないだろう。


 ステラが言うに、彼は俺の人生の全てを知っているだけの人間だ。そして、他は何も知らない。

 彼自身に物語はなく、今目覚めたのが初めてだというのならば、確かに答えるのは難しいだろう。


「事情の説明は、要るか?」

「……いや、要らない。直前、俺が切り離される寸前までの事は知ってる。そこのステラ……さんって呼べばいいかな」

「ステラで構いません。勇者様」


 俺の背後で静観していたステラは、ぺこりと頭を下げる。


「そう? まあ、ステラが魔法で切り離した。だから俺はここにいる――それをしなければ、いずれ死んでいたから」


 言葉を選ぶように彼は言って、でもと続ける。


「俺に何して欲しいとかなかったんだな。突発的なものだっただろうし、後のことは考えてなかったんだろうけど」

「ふむ……そうだな。流石に使い魔にはしないぞ」

「できないだろうしな。俺達は根本的に、相容れない力を持っているわけだから」


 彼は自らの手に僅かな力を込め、握り締める。

 そこから零れ出る勇者特有の魔力を見て、俺は驚いた。


「もう使えるのか?」

「俺の力ではあるからな。使いこなすには……うん、時間が掛かりそうだけど。後多分、こっちは同じことを思っていそうだ」

「――小さい身体は不便だぞ」

「ああ、やっぱり。俺も刻まれている身体の動きはこんなに小さくないし、そうなるかな」


 どこか口調は軽いが、同じ心を持つ者同士である程度の考えは似通っているらしい。


 彼は大きな欠伸の後、シーツの上から腹部を擦った。

 少し遅れてぐるぐると腹から音が鳴る。


「……悪いんだけど。腹、減ってる。なんでもいいから入れておきたい」

「では、私がお持ちしましょう。先日の鍋が残っておりますので、時間は掛かりません」

「あー……目が覚めたばかりなのに、申し訳ない。ありがとう」


 ステラは彼に向けて頭を下げると、部屋から出ていく。

 俺はその姿を見送るようにしてから、もう一人の俺に向き直った。


「これを言うのもなんだが、自分と喋るというのは慣れないな」

「それ、慣れてる奴なんか世界中のどこにもいないと思うけど」


 彼は朗らかに笑って、それから気怠そうにベッドから抜け出した。身体の凝りを解すように両手を組んで伸びをしつつ、思い出したようにこう呟く。


「――俺以外に誰もいないから言う。良くはないけど……良かったんじゃないのか。ステラって魔物と会わなかったら、お前生きてても狂ってたよ。きっとな」

「ああ、そうだな」


 他ならぬ彼に言われ、俺も同意して笑みを浮かべる。


 ただなんとなく――ステラの言った通り、俺の本でも読まれたみたいだ。物語の感想を言われた気分がして、俺はこう言い返すのだった。


「他人事のようだが、お前の話でもあるのだからな」

「はは。違いない」

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