12話 小さな肉体
「言葉を選んでくれたのは悪いが、その方が傷は深いな」
「あ……申し訳ありません」
「謝ることではない。単に、俺の方が小さいという事実に衝撃があるだけでな……」
俺は起き上がると、彼女から離れ一人で立ち上がった。
立ってみれば尚更、己が縮んでしまった事実を受け入れざるを得ない。
横のステラへ目を向ける。
流石に膝を折って座る彼女より小さくはなかったが。
彼女も同じように立った場合、頭一つ分は俺の方が低いであろう。
彼女はどこか不思議そうな、そして落ち着かないといった様子でこちらを眺めている。
――ただ、そんな状態だというのに、身体はこれ以上なく快調に戻っていた。
すっきりした、と言うべきか?
魂と身体を二つに裂いた割に、身体が軽い。
今までは一歩動く度に嫌でも威圧を撒いているような気分であったが、それがなくなっている。
「ステラ。俺から圧は感じるか?」
「いえ、特には」
「そうか……うん? 違う。以前の俺と、今の俺とで気配に変わりはあるか?」
「あっ――そうですね、変化しておりますよ」
「……ステラが俺に恐怖など抱いていなかった、というのを失念していた」
彼女は俺の問い掛けに対し、戸惑った表情を浮かべて。
「ええと……はい。ただ、魔王様の中にある魔力密度が薄まったのは間違いありません」
「それが分かれば良い。身体が軽いと感じるのはそのためか」
自分の身体を見下ろすようにして、感触を確かめる。
今まで、この身体に魔王と勇者という規格外の力が集約されていたからであろう。こうして軽くなった今だから、以前までを重いと感じ取れたのだ。
歩くだけで凶悪な魔力が溢れ、結果として周囲に威圧感や恐怖を与えていたその重さ。
ステラにはまるで効いていなかったが、他の魔物に発揮されていたものが消えたのは僥倖である。
また、それだけではない。
相性が悪いと称した勇者の力――本来同居を許さぬはずの力が同じ器に収まり、知らぬところで負荷が掛かっていたのだろう。
軽いと感じるのはそれを切り離したからだといえる。
俺の中には、もう勇者の力はどこにも残っていない。
「そうだ。勇者はどこにいる?」
「魔王様の真後ろですよ。まだ、眠っておりますが」
そう言われ、俺は振り返る。
そこに――身体に布を被せられた少年の姿があった。
すぅ、と仰向けのまま、深い眠りに入っているようだ。
「これが、俺から切り離した肉体か」
その顔付きは、俺の面影こそあれどそれほど似付かわしいわけではなかった。髪も、黒の俺とは対象的な白色に染め上げられている。
身長こそ同じだが、他の特徴は別物であるように窺えた。
「別人に見えるな」
「魔王様と同じ似姿ではと思いまして、姿形は少々イメージを変えております」
「ああ、確かに俺と同じでは良くはないな……しかし、造形まで弄ることが可能とは思わなかったぞ」
「弄るとは言っても、自由ではありません。私の遺伝子情報を混ぜて宜しければ、もう少し変えることはできましたが」
それでは純粋な人間と呼べなくなってしまう、とステラは答えた。髪色を白に変えたのも、俺という遺伝子単体で操作可能な範囲だったからとのこと。
「いつ頃目覚めるかは分かるか?」
「魂と肉体が定着するまでには、一日は必要と思われます」
「ふむ……どこまでの知能を備えているか知りたかったが」
魂は分離したが、俺の中から明確に失われた記憶は見当たらない。そうなると、勇者の側が無垢になってしまっている可能性も危惧される。
流石に赤ん坊と同じでは困るが……。
「保証は出来かねますが……魔王様と同じだけの知能はあるはずです。記憶は知識という形に変換されますが、彼も得ていると思われますよ」
「それは、記憶とどう違うんだ?」
「自らの経験か、本で読んだ知識かという違いです。魔王様の人生を本の形式で読んでいる……と考えるのが近いでしょうか」
「なるほど、分かりやすい」
俺の人生を読んでいる、か。
或いはこの長い眠りの間に、俺の今までの人生を追体験しているのかもしれない。
「なら、目が覚めるまでは待つしかないな。城へ戻るとしよう」
「はい。魔王様」
俺はステラを片手で支えようとして、手を止める。
――今までの感覚で腰に手を回そうとすると、彼女の胸に顔を押し付ける形になりそうだったからだ。
それはなんだかこう……違う気がする。
それは、流石に羞恥が勝る。
「どうされましたか?」
「不便だ、この身体は」
こちらを見下ろす視線から目を逸らすようにして、俺はぼそりと呟いた。ステラは反応しにくそうに苦笑している。
「あー……なるほど。私は気にしませんけれども」
「これでは魔王の威厳も何もあったものではないな」
「元から威厳はないのではありませんか?」
「え?」
「というより、意識していたんですか? 威厳」
「していないが……」
「なら、良いではありませんか」
なんだ。妙にいつもより気安いと感じるのは俺だけか。
それでいいとは思うが、それはそれとして気まずい。
「いや、それとは別問題だろう? そうだ、体勢を変えれば問題あるまい、例えば……」
――両手で抱き抱える。
彼女の正面で手を広げる仕草をして、俺はさきほどより酷い光景になる未来を悟った。
というかそれでは勇者を放置していくことになってしまう。
「駄目だ」
「ふふ。良いではありませんか、胸くらい」
「胸くらいだと」
「減るものではありませんし」
「羞恥はないのか」
「いえ。私も初心な年頃というわけではありませんし」
「……そうか」
何がとは言わないが、そうなのか。
気にするような俺がおかしいというわけか。
「あの、魔王様?」
「なんだ。どうした」
「そう気遣わずとも良いのですよ。これではまるで、私は宝石や壊れ物になった気分です」
「そうだな……意識をし過ぎたのだろう。分かった」
彼女は宝物の扱いをされていると受け取っているらしい。
ただ、半ば違うとは言えない空気があるのと、過剰に意識をしていたことも否定できなかったため、俺は言葉を重ねるのを止めた。
そうだ。減るものではない。
触ろうとして触っているわけではない。
――俺は心の中の言い訳も止めた。無駄に取り繕うとするのが最早間違っている気がする。
とはいえ、俺が抱えなければ魔王城に帰還はできない。
小さくなっても魔王は魔王だ。
行きと同様に彼女を支えるなど造作もない。
「……乗ってくれ」
俺は先に眠る勇者の身体を布ごと持ち上げて担ぎ、次いで右手を差し出した。
せめてもの自尊心を保つため、ステラから俺に近付いて貰うと考えた結果である。なんと小さな心であろうか。しかし、俺は考えることを止めていた。
はい、とステラは何の葛藤もなく頷き俺の腕の中に収まり、柔らかな感触が当たる。
俺は何とも言えぬ表情のまま、魔王城へと帰還するのだった。
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