11話 世界の果て
人間界と魔界とを隔てる境界線。
――果ての山脈。
人々が見上げればどこからでも認識できるような、霧の掛かる巨大な世界の壁だ。
俺とステラはその頂上付近までやって来ていた。
「見晴らしが良いな、ここは」
人間界を見下ろすように視線をやる。
眼下に広がる樹海の遥か奥、切れ目の草原辺りに小さな明かりが灯される辺境の村が見えた。
魔王が持つ遠視でのみ、視認が可能な位置ではある。だが、魔王からして見ればこの距離でさえ村を補足できていたのか。
そうなると、あの村の住人は随分と危ない橋を渡り続けていることになるな。
「初めて、このような場所に来ました。あちら側に見えるもの全てが人間の世界、なのですね」
「ああ。だが、普通の人間は来られないぞ。強力な魔物が樹海を徘徊しているからな」
「魔王様は……かつて、ここを踏破して魔界へ渡ったのですか?」
「そうだな。踏破には何日掛けたか分からない。今は、一晩すら掛からないが」
そう答え、抱き上げていたステラを地に降ろした。
彼女がよろめかせたのを見て、一度その背を支えつつ地に横たえる。
「……ありがとうございます」
「大丈夫か? ここは空気が極端に薄い上に、瘴気も濃い」
「ええ。すぐに慣れます」
ステラは何度か深呼吸を行うようにして、息を整える。
以前にこの壁を乗り越えた時も、頂上付近はただ居るだけで厳しかったという覚えはある。
が、今の俺はなんとも感じないようだった。
瘴気による影響が魔王には効かない、というのが一番の理由であろうか。
「――もう大丈夫です。魔王様」
しばらく休憩を挟んだ後、ステラは小さく呟いた。
「どこでも良いのですか?」
「そうだな。この位置ならば、まだ随分と向こうへ行かなければ魔界へは入れない」
流石にこれ以上迂闊に人間界には近寄らない方がいいだろう。
ここは瘴気が濃く、魔王の存在感は中和されているように思うが……あまり近付きすぎて痕跡を遺したくはない。
それに、ここで駄目だと言うなら少し樹海へ近付いた程度でも同じことだ。
俺が答えればステラは一人で立ち上がり、周囲をきょろきょろ見渡すように目を配る。
やがて何かを見つけたか、彼女はその場所へと歩を進めた。
と、いってもすぐ近く。
付近でもっとも平面に近い場所を探していたのだろう、彼女はそこまで歩き足を止めると、俺の方を振り返る。
「では、お待ち下さい」
そう言い、彼女はその身から青く淡い光を生み出した。
それらは胸を中心に両手にかけて強い輝きを発すれば、やがて地面へと光子が刻まれていく。
足元に描かれるのは、複雑な形の魔法陣だ。
刻み終えると、魔法陣が一際輝き辺りを照らす。
「これが必要な準備か?」
彼女は肯定し、魔法陣から一歩後退する。
「魔王様。陣の上にお立ち下さい」
「ああ」
俺は頷くと、退いた彼女の代わりに魔法陣の中心に立つ。
すると、そこから青い光子が纏わりつくように俺の周囲へ展開された。
見れば、小さく繊細な力の気配を感じ取ることができる。練り上げられた術式は複雑なものと見えるが、俺にはどうにも理解出来る代物ではなさそうだ。
「俺はどうすればいい?」
「そのまま、立っていて頂ければ。強いて言えば――強く、意識を保って下さい」
「……分かった。なら、いつでも開始してくれ」
俺が何かをする、ということはないらしい。
魔法の全てを彼女に委ねているため、俺の役割は素体として全うすることだけなのだろう。
目を閉じ、暗闇の世界へと身を落とす。
瞼の上から感じる輝きと、僅かな温かさだけが身体に伝わっている。
「では――始めます」
たっぷりと長い余韻の後。
彼女の詠唱が、言葉となって耳を駆け抜けた。
――ズキン。
瞬間、身体の中心に剣を刺し込まれたような激痛が走った。
「……ガ――ッ」
痛い。
脳天が中心から削られる。目玉が重圧に耐えきれず破裂する。身体の穴という穴から流れ出る血液が吹き出し、喉が焼け死ぬような熱を帯びている。
――ズキン。
心臓が何者かに鷲掴みにされている。それは無邪気な悪戯をするように何度も、何度も、何度も、何度も、心臓を握り潰す。
「があ……あぁ、――ああああああああぁ!」
それは、痛みに耐える――次元の話ではなかった。
身体をゆっくりと真っ二つに裂かれる感覚が今まであったか。全身を無数の毒針で刺し貫かれ、沸騰する熱さを感じたことは今まであったか。
後悔した。
二つ返事で耐えるとほざいた己を恨んだ――だが遅い。
全身に掛かる負荷は、もう止まらない。
――ガン。さきほどから何か、重たい何かが、俺を砕いている。頭の天辺から割り砕いて中身を取り出すように、何かが俺を叩いている。木の実が割れるように、俺の中身が零れ落ちていく。
目を開けると、視界は赤い。何も見えず、赤い血みどろの色だけが俺を映す――痛い。
痛い。
何故俺がこんな目に。俺は世界を救おうとしただけだ。
俺はお前達を守るために魔王を打ち倒したではないか。
俺は何故お前達に殺される。何故俺は痛みに耐える。
「――あぁああああああ!」
――ズキン。
振るわれた大槌が、俺の背骨をぐちゃぐちゃに砕いていく。
俺はもう、人の身体を為していなかった。すり潰された肉団子のように潰れ、染み出した液体が山に吸われて赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く染まって染まって毒を撒く。
――ふいに。
それが、止んだ。
「……俺、は……?」
産声を上げるような、声。
痛みはない。真っ赤だった視界が真っ白になっている。
手足の感覚はなく、どころか何も感じない。
俺は死んだのか?
まさか、こんなところで。
だが、そういうこともあるのだろう。
アレほどの痛みを受けたのだ。耐え切れない未来を想像していなかったが、そうか。
魔王の身体と言えども、限界はあったか。
「――さ――――――ま」
かすかに声が聞こえる。
その方向を見やる。
何も見えないが、手足の感覚が戻っていた。
俺は何を考えるでもなく、自然とその方へ手を伸ばす。
がしりと、それを掴む感触があった。
「――魔王様」
視界が開く。
そこには、俺を呼ぶ彼女の姿。
彼女の顔が、すぐそこに見える。
俺は、どうやら……彼女の胸に抱かれていたようだ。
「……俺は。死んでいないのか」
「はい。魔王様は、耐え切りましたよ」
「そうか。無様な姿を、見せてしまったな」
挽肉になって潰れ、死んではいなかった。
さきほどまでの痛みは、嘘のように消えている。
ぼろぼろと涙を流す彼女の雫が、俺の肌に落ちる。
その感触さえ明瞭に感じられるのだ。
夢ではないのだろう。
「なあ……ステラ」
「はい。魔王様」
俺は、彼女の両手で強く握り込まれるものを見た。
そこにあったものは、酷く細く、小さく、そしてか弱く見えるもの。
彼女の手に握られた小さな手。
それを辿ると、こちらから伸ばされているのだと分かった。
小さな手。細い腕。
俺の手の感触はソレと同じ。
「俺は今、ステラからどう見える」
「ええと。そう、ですね。非常に答えにくいものですが……」
「言ってくれ」
空いた片方の手で、俺は自らの額を覆う。
袖を通す衣服に随分な緩みが見える。
――ああ、随分と小さくなったものだ。
「今の魔王様は……私より、小柄になられております」
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