10話 慣れないこと
「――お待たせしまし、魔王、さ、ま……?」
翌日。
太陽が落ち、夜が訪れ、書庫の一件から丁度一日が経過したであろう頃合い。
階下へ降りてきた彼女は、ぽかんと口を開いたまま固まった。
その視線は他の何でもなく、俺へと向けられている。
「戻ったか、ステラ。すまない……だが、想定外だ」
「そのお姿は……一体?」
「いや。その……なんだ。想定外だ」
「魔王様?」
一歩、一歩と近付いてくる彼女の足元で、びたんと何かが爆ぜる。それは食料の備蓄である動物の肉片であった。
ここは魔王城の厨房。
俺は、大量の肉と野菜と汁を頭から被っている。
何故か?
全くもって分からない。想定外だ。
「そろそろステラが戻る頃かと思い、温かいものをと鍋を煮込んでいた。だが肉を入れた瞬間、爆発した。何故だ?」
「………………………………」
彼女はしばらく呆けたように黙した後、目線を下に落とした。びたびたと跳ねる赤色の肉を指先二本でつまむと、その表情が納得の色を見せる。
「なるほど」
「……ステラ?」
「魔王様。この肉は熱を与えると爆発します」
「予想していない答えだったな」
「申し訳ありません。調理法を書き留めて置くべきでした」
「いや、ステラが悪いわけではないが。俺が稀代の料理下手というわけでもなかったらしい」
鍋で食材を煮込むだけで厨房を汁だらけにする男だと、思わず自分を見下げ果てるところだった。
どうやら特殊な調理が必要な食材であったようだ。
人間界ではそんな奇天烈な肉を見たことがなかったが……。
「ちなみに、どう調理する?」
「じっくりことこと。低温で長時間煮込みます」
「なるほど」
俺は爆発した肉の一片を床から取った。
「すまない。だが無駄にはしない。爆発させてしまったものは俺が全て食べる」
「魔王様!?」
「ステラには別に美味いのを作ろう」
「あの、魔王様!? 何を拾っているのですか、流石に一度落ちてしまったものは、魔王様、魔王様!」
「捨ててしまうのはな。食材に頭が上がらん」
「魔王様、けれどお身体に触ります、お願いですから拾うのをおやめください、魔王様」
◇
「慣れないことはすべきではなかったな……」
しばらくの後、俺は深い反省を行っていた。
厨房の悲惨な現場は誠心誠意綺麗にし、それでもと食材を胃に収めようと錯乱した俺はステラに叩かれた。
まさか連日叩かれるとは思うまい。
結局、俺が台無しにしてしまった食材は廃棄。
無事だったものを活用し改めて鍋を作ってくれたステラに対し、俺はどう顔向けしていいのか分からなかった。
「お気持ちは嬉しかったですよ。それに、味付けは悪いものではありませんでした」
「……世辞は良い。俺はステラを余計に疲労させただけだ」
「普通は、魔王様が下の者に料理は振る舞いませんよ」
「お前を下の者と思ったことはないぞ」
「まあ」
口元に手を当て、ステラは微笑む。
「では下の者には振る舞わないと?」
「……いないだろう。だがステラにだけ振る舞って、その者に振る舞わないなど、意地の悪い真似はしない」
「なるほど。魔王様ならそう仰ると思いましたが」
「なら何故聞いたんだ……」
「ふと、興味本位です」
と、そこまでを口にしたステラであったが、微笑むのをそこで止める。
一度瞬きをした後、ぱちりと開いた翡翠の瞳が俺を射抜いた。
「――準備は、出来ております」
「ああ。その準備というのは、ステラの籠もっていた部屋で行う必要はあるか?」
「魔王様さえ居れば、どこでも出来ます」
「そうか。なるべく、人間界に位置する土地で行う方が良いと思っていたからな」
条件の一つ、勇者が生まれる世界。
俺が立てた予測でしかないが、可能であるのならば赴いた方が良い。しかし、場所は人里である必要はないだろう。
魔界と繋がる地で、果ての山脈辺りであれば人間は生息していない。
「――魔王様。魂魄と肉体の両方を裂くということは、想像を絶する痛みを伴うでしょう。それでも、良いですか?」
「ああ、構わない」
痛みは散々に受けてきた。
だから慣れたと言うつもりは毛頭無いが、耐えなければ未来はない。俺がそう答えれば、彼女は深呼吸を一つ。
細くしなやかな両手で、俺の手を握ってくる。
「術式展開の際は、どうか気持ちを強く保って下さい。さきほどのように乱心してはいけませんよ」
「いや……それは本当にすまない。貧乏性が災いした」
「ふふ。ええ、ですが私は心配しておりません。魔王様ならばきっと、耐えられます」
握る彼女の手は、俺にも分かるほど震えている。
それを強く握り返すようにしてやると、ステラははっとした顔で頭を下げる。
「申し訳ありません……私は、魔王様が、死んでしまうなど……」
「俺を心配してくれているのだろう。大丈夫だ、俺は死んだりしないさ」
俺は、一度の死を奇跡的に乗り越えたのだ。
来ると分かっている痛みなら、耐え切って見せよう。
「では、行くか」
俺は彼女の手を取ったまま立ち上がる。
「目的地までは少々飛ぶ。抱き上げて運ぶが、良いか?」
「――はい。よろしく、お願いします」
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