9話 一人の夜

 誰も居ない時間。

 そんな時間は、実は俺にとっては初めてだった。


「……そうか」


 俺がこの城を根城とした時でさえ、常にステラが傍に居たから気が付かなかったことだ。


 俺が何をしている時でも、城のどこかで彼女は何かをしている。気が付けば隣で掃除をしている。いい匂いがすると思えば、厨房で料理をしている。

 外には干された洗濯物が見える。よく物の配置が変わっている。

 呼び掛ければ、そこへ居なくとも必ずやってくる。


 随分と贅沢な暮らしを過ごしていたらしい。

 入口の門から外に出て、夜風に触れながらふと思う。


 今、ステラは城に大量にある空き部屋の奥側一室を使っている。

 だから今だけは傍にいるという気配を感じない。


 準備が終わるまでは、呼び掛けても来ないだろう。

 ……わざわざ試すことはしないが。


「意外と、達成はしているな」


 ――束の間の休息とは分かっている。

 だが、今世界はこれ以上なく平和だ。


 俺が争いを見ていないだけなのかもしれないが。

 この世界には、実質的に魔王も勇者も存在しない。規格外の化物に脅かされたりはしない。


 それは、俺が勇者として魔王を討伐せんと旅をしている時に願ったことだった。

 その時――俺の想像の中で、隣に居るのはステラではなかったけれど。


「……マグリッド。お前は何故裏切った?」


 彼は誠実な騎士だった。

 どこまでも真っ直ぐに生きる壮年の男で、好感が持てる存在であった。率先して魔物と正面からぶつかり合う果敢な立ち振舞いに、何度勇気を貰ったか分からない。

 一回り大きな彼の深い知識と知恵がなければ、旅を続けてはいられなかっただろう。彼は、俺達の旅に居なくてはならない存在だった。


 恨むなら恨めと言い、俺を袈裟斬りにした男の顔は凄絶で。

 今でも強く覚えている。


「ルナーリエ。お前は、俺を殺すことに意はあったのか?」


 彼女は、心優しき少女だった。

 旅に出る前は教会で迷える子を導く、お手本のような聖女であった。俺達と共に各地を回った時も、その清浄な心は澄んだままだったと記憶している。

 誰かが傷付けば自ら率先して助け、自分が傷付くことも厭わずに誰かの盾となれる。俺の傷を癒やしてくれた時、何度泣きながら心配されたことか。

 その言葉が嘘であったとは思えない。


「サラ。お前は……国が納得しないと、そう叫んだな」


 サラは唯一、俺と幼馴染の女であった。幼少期から勝気な性格を発揮し、剣の道を歩む俺ともよく喧嘩もしていた腐れ縁だ。

 殴り合いでは俺が勝ったが、そこに魔法が絡むと完膚なきまでに叩きのめされた。


 魔王討伐の旅へ出た時、彼女は自ら志願して付いてきた。

 俺に手柄を一人占めされたくないのだと言っていたが――手柄も何もあったものか。名誉はあったかもしれないが、見返りなどないに等しい過酷な旅だったのだから。

 そんな理由を本心に付いてくる奴などいない。彼女だって、願っていたのだろう。

 そんな女が、何故?


「……本意ではないのだろう。だが、真意はもう分からんか」


 ふぅと深い息を吐く。


 見上げた夜空の遥か向こう。

 同じ空を抱く向こうの世界に、彼らは――いるのだろうか。


 俺のように、〝英雄〟となっている可能性は高い。

 或いは、生きているのならばそれも良いだろう。

 ああ、俺にたった一回の相談でもあれば、納得の末に死んでやることだって許せたのかもしれないのに。


「流石に、それは嘘か。俺はそこまで小綺麗な嘘は吐けそうにない」


 結局の所、そうはならなかった。

 俺は騙されて誘き出されて、魔王よりも強いからという理由で大軍勢に囲まれて押し潰された。

 仮に本気を出して抵抗しても、あの数ではどうにもならなかっただろう。その時彼らは、俺の傍にはいなかった。

 ……それが答えである。


「――だが、それでも平和だ」


 俺が望んだ、魔王を倒した末の平和は、こうして生まれた。

 そんな、何にも脅かされぬ穏やかな日々を送るため、俺は戦おうと誓ったのだ。

 あらゆる力を俺が持つことで叶ったのなら、まあいいではないかとも思う。


「……冷静、だな。時間が経ったからか? それとも、俺がもう人間ではないからか? 怒りは、あるが――純粋な疑問が勝るとはな」


 空から視線を外し、目を閉じる。


 風が吹いている。今日は夜風が冷たい。

 そろそろ、雨が凍り付き始めても不思議ではないだろう。

 明日には更に凍える一日となりそうだ。


「そうだな。ステラが戻る明日の夜は、鍋にしようか」


 料理も得意とは呼べないが、鍋の類は野営でよくやった。

 彼女のように繊細な事はできないが、食える物にはなるだろう。

 俺は一人呟きつつ、踵を返して城へと戻っていく。


 思い馳せる過去への旅路は、既に頭の中から消えていた。

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