16話 旅立ちと別れの朝
旅立ちの朝はすぐにやってきた。
太陽の陽が地平線から顔を出した頃、俺とステラと城の門の入口に立ち、正面のアーサーを見送る。
「しかし、良いのか。果ての山脈までは俺が遺してしまう残滓が気になるが、手前までなら運ぶことは出来たのだぞ」
「いや、大丈夫だよ」
アーサーは腰の細剣を引き抜き、言った。
「戦いも慣れないといけないしな」
――なるべく軽装を、と革鎧と布地で身を包んだ装備。
背負った大きな鞄をそのままに、彼は踊るような剣戟を宙に見舞う。
細剣を選んだのは体格に合わせてのことだった。
刺突だけではなく、両刃による斬撃も可能な片手剣。魔力の伝導率も悪くはないため、大物相手にも魔力強化前提であれば立ち回れる。
片腕にシールドも検討したが、若干取り回しが悪くなるとのことで採用はしていない。
「それに……やっぱり魔王に送らせる勇者ってどうなんだって気がする」
「魔王城から出発する時点で、その言い訳はどうかと思うが」
彼は軽快に笑い、俺はやれやれと首を振った。
まあ良いか。
先日の内に彼と俺とで数手打ち合ったが、俺が良く目にした――俺の剣技はほぼ再現されていた。
その実力があれば、こと戦闘に於いてその辺りの魔物に遅れは取らないだろう。
黒い獣クラスの敵とやり合うには装備が物足りないが、何も戦う必要まではない。逃げるくらいは素の実力で充分だ。
「アーサー様。取り出しやすい位置に手製の携行食を用意しております。こちらは数日しか保たないのでお早めに食べて下さいね」
「お、おお……それは楽しみだ。ありがとう、ステラ」
「薬類も対応する病毒に合わせ、使用法を記した手帳も付けておりますから心配要りません。それから」
「いや、うん、ありがとう! 大丈夫、そんな母親みたいな見送られ方は……違くないか?」
「ふふ。私が名前を付けてしまったのですから、そう言われてしまっても不思議ではありませんね」
それは本当に申し訳ないことをした。
俺達は納得してそれぞれ名乗ることにしたが、ステラとしては気が気ではなかったらしい。
元々遠慮していた所を俺が押してしまったため、反省はしている。
ただ、俺達が自分で付ける名前より絶対に良かったのだ。
許してくれ。
意地悪くそう告げられ、アーサーもばつの悪い顔で苦笑した。
「それじゃ、たまに倒しにくるよ」
「ああ。たまに倒されるとしよう」
俺と彼ならではの挨拶。
共に暫しの別れを告げ、彼は瓦礫のまだ残る道を歩いて去っていく。段々と小さくなる背中を見て、俺は自分が村から旅立った時の事を思い出す。
ああ、そういうこともあったな、と。
彼にとっては、それがこの場面だった。
成長の過程は飛ばしているものの、目にする全てが初めての旅。共にする仲間がいないことだけ俺と違うが、きっと楽しいはずだ。
そこに俺が割って送るのは、無粋であろう。
踏破できるというのであれば、急ぐ旅ではないのだから。
「――お前は、後悔のないように精一杯生きてくれ」
既に俺の声が届かぬ背に、そう残して。
「魔王様は、後悔されているのですか?」
「……沢山あるさ。今の俺だからこう言えるのかもしれないが」
「でも私は、精一杯生きていると思いますよ」
ステラは微笑み、その言葉を俺に向けてくれる。
まぁ、そうだな。それは否定しない。
俺はいつでも適当に生きてきたつもりはないのだから。
沢山の後悔はあったが、恐らくはどうしようもなかったこと。当時の俺は、出来る限りを尽くしていた。
「もうアーサーの背も見えないし、戻ろうか。やるべきことは多く残っているのだし」
「はい、魔王様」
「――なあ、ステラ」
俺は一つ、気になっていたことを告げる。
「勇者はアーサー様なのに、俺は魔王様なのか?」
「……あー、ええと……その。なんというか、ですね」
珍しく、彼女は頬を赤らめるようにして俺から視線を外した。横顔が髪で隠れ、表情は窺えない。
けれども、横からはみ出た長い耳の先が朱に染まっていた。
どのような顔をしているか、見るまでもなく想像ができてしまう。
「じ、自分で付けてしまった……という意識が、まだ強いのです」
「アーサーも同じだろう」
「そ、そうなのですが! ……お呼びして欲しいですか?」
「なんと」
まさかそう切り返されるとは。
予想外だ。まるで俺が呼んでくれと懇願している構図になっている。
――いや、そうか。
別に、それでも良いか。それが良いのだろう。
俺は呼んで欲しいのだ。
他でもない彼女に、俺の名を。
魔王という肩書ではなく、彼女がくれた俺だけの物を。
「呼んでくれ」
俺が素直に答えれば。
彼女はびく、と肩を震わせて。
それから、隠れていた表情がゆっくりと露わになる。
俺を直視し、羞恥で紅潮した顔。
その頬が少しずつ緩んでいき、やがて小さな口が開く。
「はい――アルマ様」
大輪が咲くような笑顔を見せ、ステラは俺の名を告げた。
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