第19話「赤い宝石の湖」

「川って……ここ森じゃねえか」


 デ子に案内されて首が取り残されたという場所へ急いだ。

 まだ夜だ。

 霧も深いが、デ子の案内でなんなく歩いていくことができた。

 そこは街の外の、やや離れた場所にある森の中だった。

 上下に何度も隆起している不思議な地形の森だが、そのせいか見たこともないような植物や樹木が多い。

 珍味ないかな、珍味。


「――」


 と、不意にデ子が俺に寄ってきて服の袖を引っ張った。だからいちいち仕草が女らしすぎるんだよ。

 デ子に促された方を見ると、そこには――


「川……?」


 形容するなら、『ちろちろ』、という感じだ。

 かろうじて、という前置きを駆使してなお、それが川であるかは怪しい。


「これ……川?」


 なんか申し訳程度に樹木の隙間から漏れ出た水が、すげえがんばってなんとか流れを形成しているような、そんなレベルである。

 俺が問うと、デ子がまた手を取って手のひらに文字を書いていった。


「前は、もっと、川っぽかった。すぐなくなると思って、待ってたけど、なかなか途切れない。これくらいなら、飛び越えても大丈夫かと思ったけど、これが川だったら、すごく痛い。――わかったぞ! お前バカだなッ!?」


 ああごめんごめん、つい声がね?


「いやでもバカだなお前ッ!!」


 これが川かぁ……。

 デュラハンが川を越えたときの苦痛ってのがどんなもんだか知らないけど、これ、川かぁ……。

 まあいいや。さっさと渡って首取ってこよ。めんどくさくなってきた。


「じゃ、行ってくる。お前らそこで待ってろよ」


 サトウたちに言って、俺はその『たぶん川』(命名)を飛び越えた。


◆◆◆

 

 『たぶん川』を越えてしばらく歩くと、ついに頭らしきものを見つけた。

 それは、数日放置されていたとは思えないほど綺麗な何かだった。

 生首がおいてあるという光景はアレだが、顔が――美しかった。

 絶世の美女とは、きっとこの顔を持つ者のことを言うのだろう。

 ほんのわずかに桜色の混じった、光沢のある銀髪。

 汚れ一つない白い肌。

 綺麗という言葉の似合う、鋭い目鼻立ち。

 

「デ子?」

「……はい」


 どうやら身体の情報は頭の方にも伝わっているらしい。

 俺の声にその首は恥ずかしげに頬を染めて答えた。

 首の切断面は、黒いもやがかかって見えない。

 また、何日も放置されてなお汚れのないところを見ると、なんらかの魔法的なプロテクトが掛かっているのかもしれない。


「デ子……」

「は、はい……」


 髪と同じ光沢のある桜銀の瞳が、俺の方をちらちらと窺うように見上げている。


「お前美人だな!」


 俺は率直な感想を述べた。

 すると、


「えっ? あ、あのっ、その……あ、ありがとうございます」


 褒められたことが意外だったのか、デ子は顔を赤くしてしどろもどろになりながら礼を述べてきた。

 その間に俺はデ子に近づいて、その首を抱きあげる。


「あ、あの、気持ち悪くないですか?」

「え? なんで?」

「だって、わたしこんな生首の状態で……」

「全然? だってデ子超綺麗じゃん。あいや、顔がうんぬん以前に、こう、衛生的に? 俺の実家周辺って腐った野郎どももいっぱいいたからそういうのも慣れてはいるんだけど、デ子はあいつらに比べると綺麗過ぎて涙が出てくるレベル」

「あ、そ、そうなんですか。特殊な出身のお方で――」

「うん、まあそんなとこ。てかお前首置いていくの次からやめとけよぉ。次もまた俺がいるとはかぎらないからな」

「はい……。でも、どうしても目に焼き付けておきたい光景があって、つい」

「あ、そうだ、それなんだったの? 気になるんだけど」

「向こうに、『赤い宝石の湖』が」

「赤い宝石の湖?」

「見てくだされば、わかると思います」


 言われ、デ子が視線である方向を促した。

 デ子の首があった場所のさらに奥。森の深層だ。


「そんなに遠くありませんので、見ていくといいと思います」

「よし、行こう」


 俺はデ子の促しにしたがって、その赤い宝石の湖とやらを見に行くことにした。


◆◆◆


 赤い宝石の湖。

 たしかに。

 たしかに、そうだった。


「すげえな……」


 きらきらと輝く、ワインレッドの宝石のような湖があった。

 月明かりを受けて、水面をきらきらと不思議な光沢に輝かせている。

 それを見て俺はあることに気づいた。


「もしかしてこれ、デ子がたらいに入れてた――」

「あれはまた別の場所に漏れ出たものです。主流はここですが、私の身体は、その、ここまで来られないので……」

「ああ、そういやあのたぶん川にビビってたんだったな」

「たぶん川?」

「あの川ならぬ川の名前。ちょろっと飛び越えるだけじゃねえか」

「い、痛いんですよ!? あれが川だったとき、すっごく痛いんですっ」

「ああ、わかったわかった」


 俺は胸元に抱えている首がもぞもぞ動くのを制して、まだ赤い宝石の湖を見ていた。


「これ、食えたりするかな」

「食う? 飲むでは?」

「冷静なツッコミはできるんだな。ドジっ子のくせに」

「ド、ドジっ子じゃありませんっ」


 徐々にデ子も調子が出てきた。

 まあいいや。

 俺は経験上、珍味に好かれる性質だ。

 サトウとタマに出会って、少しそう思い始めている。

 というわけで、今回もそんな俺の中の星が、デ子を俺に差し向けたのかもしれない。

 

「飲んでみよう」

「えっ!? 本当に飲むんですか?」

「ああ、俺は物怖じしない男」

「男らしいですね……」


 そこは素直に「馬鹿ですね」って言っていいところな。

 自分でツッコむのもあれだけど、まだデ子には遠慮がある。

 実家にいるメイドどもはノータイムで「死ねばいいと思います」という。なのに家出すると泣きながら探しにくるから、あまのじゃくにもほどがある。

 ああいや、また話がそれた。


 俺はデ子を抱えたまま赤い宝石の湖に近づいて、片手でその水面をすくった。

 普通の水よりは、少し粘りがある。

 手にまとわりつくわけではないが、不思議な重みがあった。

 俺は輝く赤い液体を、意を決して口に含む。


「……」

「ど、どうですか?」

「……トマト?」


 近い。

 が、鼻に抜ける甘みは、なんとも上品な味だ。

 果実酒にも近い。

 爽やかで、かといって薄すぎず、適度にコクと甘みを感じさせる。

 あとのど越しが良い。これは水では出せないものだ。

 

「飲み物ってより、ソースって感じかなぁ」


 穀物類に掛けたらいい味付けになるかもしれない。

 パンに染み込ませたりしても、たぶんかなりうまいだろう。


「パスタなんかいいかもな」

「ぱすた?」

「簡単に言うと、小麦で作った麺のことだ。それに好みの味をつけて食べる」

「ふんふん」


 デ子はなんだか興味津々だ。


「食べてみる?」

「食べさせてくれるんですかっ」

「いいよ。一応この宝石ソース見つけられたのデ子のおかげだし」

「た、食べたいです! 人間の食べるもの食べたいです!」

「お前も首さえくっついてれば普通の人間――むしろ普通の人間の中でも特に容姿的には優れた人間なんだけどな」

「っ!」


 またデ子は顔を真っ赤に染めた。

 結構わかりやすくておもしろい。

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