第71話 運命なんてくだらないから②

 両親からの呼び出しは十中八九くだらない、どうでもいい内容である。

 少なくともナオミにとってはそう。予想の範疇を越えることもほとんどない。

 おそらくセレーヌへの真の渡航目的を知り、説教するためか、あるいは説教した上で別の結婚話でも持ち掛けるつもりかもしれない。

 前者なら適当に受け流す。後者なら断固として、何が何でも断ってやる。

 言伝してくれたレッドグレイヴ夫人には悪いけれど、素直に帰国早々実家へ訪問する気がナオミはさらさらなかった。

 両親の相手をするよりも家庭教師の仕事を再開することの方がよほど大事。

 長期に渡る休暇であったにも拘らず、代理の家庭教師を続投するでもなくナオミを待っていてくれた生徒やその家族に報いることこそ最優先すべき。ナオミはすぐに呼び出しに応じなかった。しかし、それは長くは続かなかった。






 白地に淡い桃色の薔薇模様の長椅子、揃いの柄の窓のカーテン。

 向かい合う同じ長椅子の間にあるローテーブル、壁際の飾り棚は濃い色から薄い色の木材の物へ変わっていた。

 近づきつつある春に向けて、大々的に模様替えを行ったガーランド家の応接室。

 春めいた家具調度品に囲まれた中、ナオミは父エブニゼルと義母イヴリンと対峙していた。


 しばらく無視を決め込むつもりだったのに。

 朝一番にアパートへ迎えの馬車をわざわざ寄こすなんて!

 今日の仕事が午後からで本当によかった。これでいつものごとくくだらない用件だったら承知しないんだから。


 ところが、その日、両親と並んで応接室の長椅子に腰かける者がいた。なんとクインシーだった。


 まさか、クインシーが両親にナオミのセレーヌ渡航の理由を教えたのか。

 すっかり忘れていたけれど、考えてみればエヴニゼルとクインシーは旧友関係。一部始終でないにしろ、今回の件を黙秘してくれているとは限らなかったわけで……、とはいえ、少なからず落胆を覚えた。


「ナオミさん、帰国次第早急に屋敷にいらしてとお願いしたのに……、どうしてすぐに来てくれなかったの??ずっとお待ちしていたのに」

「まあまあ、Mrs.イヴリン。彼女にも都合があるというものです」


 放っておいたら、にこやかに、ねちねちと嫌味を言い続けそうなイヴリンをクインシーがやんわりと制す。庇ってくれたのか、それとも──??


「Miss.ガールに話があるのは私でね。内容が内容だけに、ご両親の前で話しておきたかった。単刀直入に伝えよう。貴女に息子のルードラの妻になって欲しいのです」

「…………」


 クインシーがこの場にいる時点で予感はしていた。

 黙り込んだナオミにかまわず、クインシーは滔々と理由を語り始める。


「セレーヌでの綿工場との契約を機に、あの国にもデクスター商会の支社を作ろうと思いましてね。その支社を数年間、全面的にルードに任せる予定でいます。貴女にはそんな彼を支えて欲しいのです」


 クインシーの横ではエヴニゼルが嬉しそうに話に聞き入り、対照的にイヴリンはなぜか渋い顔つきだ。


「Mr.デクスター。お話自体は大変嬉しく思います。滅多にない良縁でしょう。ですけど……、ルードラさんとナオミさんの関係は一度カストリ新聞に書かれ、騒動を起こしていました。やっと騒動が落ち着いたのに婚約したことで再び注目浴びたりなどしたら……、今度こそふたりの出自を言及されてしまうのではありませんこと……??」

「私とエヴニゼルで協力し合い、情報統制を徹底させます。前回は突然のことで対処できませんでしたが、今回は婚約決定時点で各情報機関にしますのでご安心を」

「そう仰るのでしたら、私も反対する理由はもうありません。あのような醜聞スキャンダルは我がガーランド社の信用にかかってきますし、私たち夫婦やパーシヴァルに害が及びますので」


 自分たちの保身ばかりのイヴリンには最早呆れも怒りもしない。あくまで彼女の中でナオミは家族ではなく、どこまでも他人でしかないのだ。(他人扱いするのなら、貴女に長年預けている独身年金返して欲しいとは思うけれど)


 結婚、ね。


 すっかり冷めてしまった紅茶に口をつけ、思案する。


 もしも、本当にルードと婚約し、結婚したら。


 当然ナオミも彼と共にセレーヌへ心置きなく移住できる。

 なるほど。将来はあの国で余生過ごしたい自分には願ったり叶ったりだ。

 シモーヌたちにも気兼ねなくいつでも会いに行ける。パーシヴァルやレッドグレイヴ夫人と離れてしまうのは少し寂しいけれど、休暇の時期にでも会いに行けばいい。


 肝心のルードについては──、うん、まあ……、憎からずは思っている。たぶん。

 これから先の人生を共に過ごしたとして特に嫌だとも思わない、筈。たぶん。


 今ならこの結婚話、受け入れようと思えば受け入れられる。

 なのに、釈然としない自分がいるのも確か。


「納得できない、と言った様子ですわね」


 顔に出したつもりはないが、それとも同じ女の勘??とやらでか、イヴリンが笑顔で追及してくる。目が笑っていない分、警戒心は高まっていく。


「いい加減素直になったらどうなんですの?何度も言いましたけど、こんないいお話後にも先にもなくってよ??」


 つい一か月か二か月前、醜聞のせいとはいえ今更婚約したいなんて言っても認めないとか言ってた癖に。あからさまな掌返し、矛盾をした発言を言及してやろうかと思ったが、やめた。代わりに釈然としない理由が見えてきた。


 前回の結婚話はルード自身が持ち掛けてきた。

 だが、今回はルードではなくクインシーが持ち掛けてきた。本人の意思を確認した上でだとしても──


「お断りします」

「つっ……!だからっ、どうしてなのよっっ?!」


 両手でテーブルを叩きつけ、イヴリンが弾かれたように立ち上がった。

 すましたドーリーフェイスは破裂しそうに真っ赤、小さな唇はわなわなと震え、今にも喚き散らしかねない。


「家庭教師の私を必要としてくれる方が一人でもいらっしゃる以上、この国を離れることはできません」

「そんなのっ、家庭教師なんていくらでも代わりがっ」

「そう仰られると予想していましたよ、Missガール」


 イヴリンを遮り、クインシーが言葉を挟む。


「己の仕事に誇りを持っていらっしゃること、よく存じ上げています。我が娘セイラへの教育にも大変真摯に取り組んでくれています。そんな貴女から仕事を取り上げるのは酷だとも。ですから、ルードとの結婚後もこれまで通り仕事を続けていただいてかまいません」


 年齢に見合わない華やかさと、年相応の落ち着きを含むクインシーの微笑み。

 思い起こせば実父のエヴニゼルよりも彼の方が、否、彼を含め、(パーシヴァルは除くが)ガーランド家よりもデクスター家の面々の方がずっとナオミに深い理解を寄せてくれている。それでも。


「Mr.デクスターの申し出はとてもありがたく思います。ですが……、彼……、私が仕事を辞めないとなりますと、Mr.デクスターJr.一人セレーヌへ赴かせることになりませんか??それでは妻として彼を支える役目を充分果たせないと思います」


 仕事を辞めて彼と結婚し、セレーヌで暮らす。仕事を続けるために結婚は断る。

 仕事と結婚両方取りたいなんて自分本位で都合が良過ぎる。

 義父になるかもしれない相手クインシーが許しても、そこまで甘えてしまうのは良心が痛む。せめて、本人の口からであれば──、それこそ甘えでしかない。


「やはり……、大変申し訳ありません。このお話はお断りさせていただきます」


 両親が、特にイヴリンから痛いほどの強い非難の眼差しが突き刺さってくる。

 それを避けるのと、早くこの場から逃げ出したい思いからスッと長椅子から腰を上げる。


「このあと仕事がありますし、そろそろ失礼します」

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