第70話 運命なんてくだらないから①

(1)


 よく晴れた空が灰色の古城を、広いバルコニーに立つ二人を美しく輝かせる。

 階下の国民たちの祝福の歓声に手を振り、婚礼衣装に身を包む二人は満ち足りた笑顔で囁き合う。


『ようやく悲願が達成されそうだわ』

『ええ、本当に』


 要所に控える衛兵や侍従の目が光る。

 それでも、二人のひそやかなおしゃべりは続く。


『まさかあのとき、貴方まで命を落とすなんて思わなかった』

『申し訳ありません。窓から落下した際の打ち所が悪く……』

『いいえ、もう過ぎたこと。でも、いいの。やっと、やっと見つけたんだもの。──私たちのを託すに値する男女を』


 揃いの金の髪の輝きが二人の表情をうまいこと隠す。

 やむことを知らない歓声が内緒話を掻き消していく。

 今や夫となった騎士の耳に唇を寄せ、キャサリンはくすくすと笑う。


『これまで何人もの男女に願いを託しても成就には至らなかったのに』

『しかたないですよ。姫は願いを託す男女は皆、互いの想いを成就させるには身分、血筋、境遇等の障害抱えた者ばかり選ぶのですから』

『だって……、そう易々と成就してしまっては私、いいえ、私たちが味わった無念は晴れないじゃない??障害を越えて見事結ばれるからこそ、自分たちの姿を重ねられる。違う??』

『いいえ、姫の仰る通りです。ただ……、その』


 口籠る騎士に『なあに??素直に言ってちょうだい』とキャサリンは詰め寄っていく。


『まだ、完全なる成就には至っていないようです』


 残念そうに騎士がつぶやくと民衆の歓声も古城も掻き消え、堅牢で黴臭い石造りの城の中へと変わった。

 キャサリンは婚礼衣装から血塗れの寝間着、騎士も同様に血塗れで首が変な方向へ曲がってしまっている。

 変わり果てた互いの姿に動揺するでもなく、キャサリンは苦々しげに吐き捨てる。


『また……、また……、また上手くいかないのっ?!どうして?!』

『姫、落ち着いてください』

『だって!』

『外的な障害は粗方解決しました。残るは……』

『なに??』



 残るは──







「はぁぁああああ?!?!」


 ほぼ怒声と言っていい叫び声を上げ、飛び起きる。

 直後、ドンドン!と壁を叩く音にハッと我に返り、肩を竦める。それでも混乱は到底収まらない。眠気なんて起きたと同時に消えている。

 寝具に顔を押しつけ、大きなため息と共に声なき声で叫ぶ。これが叫ばずにいられようか!


 自分とルードは夢の中の彼らの生まれ変わりでも何でもなく。

 彼らが自分たちの願望を肩代わりさせたいがためだけに、適当(かどうかは知らない。少なくともナオミには適当に思えた)に成就しづらそうな関係の男女を選び、思わせぶりな夢を見せ続けていたに過ぎなかった、だなんて。


「なにそれ。なんなの」


 また隣室から苦情が出るのを気にしつつ、枕をぼすぼす、拳で殴りつける。

 ここは本国へ戻る船の中だし、このくらいの音なら汽笛や船の駆動音でごまかせる、と思う。


 夢の中の二人はどこまでも自分たち本意、人の気も知らずいい気なものだ。

 彼らは自分たち(というか姫が)が求める条件に添いさえすれば誰でも良いかもしれない。でも、趣味の悪い賭け事の対象にされているみたいで気分が悪い。

 どうしてわたしたちが貴女たちのために結ばれてあげなくてはならないの!……なんて、以前のナオミならもっと激しく憤慨したのに。


 夢の中の二人にムカムカする反面、残りの仕事のためにまだセレーヌに残っているルードを案じる。同じ夢を見てなければいい、と。


 キャサリン姫の生まれ変わりだからじゃない。ナオミ自身が好きだとエメリッヒ家の夜会の日、彼はきっぱりと言い切ったけれど、ずっと長い間姫の生まれ変わりを待ち続けてきたのだ。少なからず衝撃ショックを受けるだろう。

 簡単に動じない、褪めた性格のようで彼は繊細で傷つきやすい。亡霊のくせに余計なことをしでかしてくれたものである。


 一向に収まりそうもない腹の虫だが、たった一人で船の客室にいる以上話せる相手もいない。カッカッする頭じゃ到底眠れないが、結局再びベッドに潜るしかなく。

 最悪の寝つきのまま、ナオミは一夜を過ごす羽目に陥ったのだった。








(2)


 船上で数日過ごし、その後ナオミは無事に本国のこの国へ帰還。

 更に二日ほどかけ、自宅アパートへ帰宅した。


 赤煉瓦に白サッシの大きな格子窓の二階建て。

 白や様々な多色に溢れたセレーヌと違い、赤か黄色の煉瓦造りが中心の、この国ではありきたりの建物にセレーヌで感じたのとは別の懐かしさが込み上げる。

 ゆっくりと玄関扉に近づき、ドアノッカーに触れる──、触れる直前、突然の強風が吹きすさぶと。視界に灰色の何かが飛んできて、ナオミの顔面に直撃した。


「いったぁ?!」


 顔に張りついたそれを、べりっと引き剥がす。


「新聞……、しかもカストリ紙?!」


 カストリ紙だとすぐにわかったのは、鼻を伸ばしたふたりの男にしなだれかかる、下品な顔つきでキスをねだる女の大きな挿絵が目に飛び込んできたからだ。

 帰国早々、下品なものを見た、最悪、と投げ捨ててやろうかと思ったが、品性を疑いかねない行動は慎まねば。そうかと言ってこれを持って玄関を潜るのも抵抗がある。

 どうしたものか、と、嫌そうにちらっとだけ、あの絵の記事に目を向け──、瞠目する。


『エメリッヒ家の美貌の令嬢、淑女にあるまじき淫行の数々』

『暇さえあれば男漁りに勤しむ放蕩ぶり!』


 挿絵も酷いが見出しはもっと酷い。

 となると、内容は目を通さずとも推しはかるべし。

 新聞の日付はここ二、三日前みたいだし、しばらくはカストリ記者に張りつかれて大人しくなるかも。父娘共々。


「そんなことはどうでもいいとして、いい加減入らなきゃ」


 もう一度、ドアノッカーに手を伸ばし、今度こそ扉を叩く。

 扉を開けてくれた家政婦に続き、出迎えてくれたレッドグレイヴ夫人の顔を見るなり、ホッとする。


「おかえりなさい、ナオミさん」

「ただいま帰りました」

「あのね、ナオミさん。お疲れのところ、ものすごく申し訳ないのですけど……」

「はい??」


 首を傾げるナオミに、夫人は珍しく歯切れの悪い態度で続けた。


「まだつい数日前に……、ご両親からの伝言を預かったの」

「……何て言ってましたか」

「セレーヌより帰国次第、実家を訪ねるように──、と」

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