第69話 嘘から出るのは真実か方便か④

 シモーヌの夫とナオミたちの間に重苦しい沈黙が訪れる。

 ただならぬ空気は室内全体に行き渡り、大人から幼い子供、果てはシモーヌまで口を閉ざし、三人の動向を不安げに見守り始めていた。

 彼の無愛想さの理由──、ひそかにナオミたちの訪問の意図を疑っていたのだろう。そしてティーバッグを目にして疑惑を核心に変えた。

 その証拠に、内心焦るナオミたちに問い重ねる。


「ティーバッグに使ってる綿紗ガーゼ、うちの工場の綿じゃないか??」


 やはりばれてしまった。

 テーブルの下、膝に置いた掌が自然と強張っていく。


「ええ、おっしゃる通りです。こちらのティーバッグの綿紗はそちらの商会で生産された物を使用しました」


 覚悟を決めたのか、正直に打ち明けた方が良いと判断したのか。

 ルードはあっさりと認めた。

 シモーヌの夫は相変わらず渋い顔つきのままカップを置き、姿勢を正すと、初めてまっすぐ二人に向き合った。


「妙だと思ったんだよ。だいたいずっと会ってなかった知人が突然連絡寄こす時は大抵裏で何か企んでいる」

「お、おい……、企んでるなんてさすがに失礼なんじゃ」

「でも当たらずも遠からずっていうとこじゃないかね??例えば、うちの工場の綿を使う交換条件でこのティーバッグ紅茶を大量に買わせようとか」

「半分正解ですが、半分違います。それから、ナオミさんがマダム・シモーヌとお会いしたかった気持ちに嘘はないことだけは信じてください」

「ああ、信じるとも信じるとも。お嬢様の顔見りゃ一目瞭然さ。でも、ムッシュー。あんたの言い分は何が違って正解だい??おれは賢い人間じゃない。一からきちんと説明を……」

「ねえあなた!いい機会じゃない!!ティーバッグの素材をうちの工場で作らせてほしいってお願いしましょうよ!?」

「はあっ?!」


 素っ頓狂に叫び、絶句するシモーヌの夫共々、ナオミとルードも絶句した。

 急に話に割り込んできただけでなく、妙案を思いついたとばかりにシモーヌは声高にまくしたてる。


「図々しいのは充分なくらい承知の上でムッシュー・デクスターにお願いがあります!」

「こらシモーヌ!何勝手に」

「あなたは少し黙って」

「シモーヌ!!」

「あなたが営業下手だからでしょ??いくら質のいい製品モノ作ってたって肝心の仕事が減っていく一方だったら意味ないじゃないの」


 口調こそ柔和だが、離す内容はなかなかに辛辣。

 図星だったらしく再び言葉を失う夫に代わり、シモーヌは畳みかける。


「失礼しました、ムッシュー、お嬢さま。うちの人、仕事はすごく真面目だけど頑固で偏屈なせいで基本的に昔から馴染みの取引しか応じないのよ。お陰で年々仕事が減ってきてしまって……、困ってたんです。年若い従業員も雇っているっていうのに」

「…………」


 いつの間にか夫ではなくシモーヌが交渉を持ち掛けてきている、気がする。

 こちらから交渉する手間は省けそう、ではあるけれど。

 ほんとうやぁねぇと、ひらひら、掌を軽く振り、主婦同士の井戸端会議めいたシモーヌの話し振りの横で、夫は唇を真一文字に引き結ぶ。妻の言葉に同意するでも反論を唱えるでもない。どちらかと言えば反対側だろうが、だんまりを決め込まれるのが一番困る。


「せっかくの団欒の雰囲気を壊すようで大変申し訳ありませんが──、僕から少し、説明させてください」


 背筋を伸ばし、ルードは夫妻を真っ直ぐ見据え、これまでの経緯を語り出す。

 これまで幾度となく繰り返された説明をナオミが同時に通訳する。日常会話は問題なくとも、仕事の交渉で言外の意図まで伝えるには心許ない。


 綿紗の輸送費の全額負担、機械設備費修理費等の一部負担。

 下請け金額の値段を掲示すると、夫妻の目の色が明らかに変わり、同席する人々の間でどよめきが巻き起こる。


「あなた!こんな良いお話、後にも先にもないと思うわ!」

「あ、ああ、でも……、ちょっと、だいぶ……、話がうますぎやしないか……。俺んとこみたいな、田舎の個人商会への条件にしちゃ、破格過ぎる」

「あのね……、すぐ尻込みするんだから!」


 もどかしさゆえにシモーヌは夫の肩をばしん!と叩いた。

 結構な強い響きに続き、いててて……と夫は嫌そうに顔を顰める。

 なんだろう、この光景。夫婦の関係性に見覚えがあるような……。


「ナオミお嬢さまの将来の旦那様になる方なんですよ?!悪い話を持ってくる筈ないでしょ!」


 半分違って半分正解。

『将来の旦那様』という言葉がちくり、ちくちく胸に刺さる。

 取引に嘘は一つもないけれど、彼との関係は……。


「その条件……、本当に嘘はないだろうな??」

「ええ、もちろんです」


 歯切れ悪そうに問い、ルードの答えに口の中でもごもご。

 言葉になる寸前のつぶやきをぶつぶつ言ったあと、シモーヌの夫は徐にルードに頭を下げた。


「うちで良いんだったら……、ティーバッグ用の綿紗を作らせてほしい」


 シモーヌの夫は頭を下げながら、「こいつシモーヌもそれとなく言ってたが、実はここ数年経営難で……、俺は逆に下手に上手い話に乗って騙されるのが怖かった」と正直に打ち明けた。


「いいえ、お気になさらず。ナオミさんの縁故とはいえ、僕は初対面の見知らぬ他人です。最初から全幅の信頼を抱ける相手ではないでしょう。おまけに見た目も人とちが……」

「そんなことは……、気にしちゃいない」


 珍しく自虐に走るルードをナオミが諫める前にシモーヌの夫が遮り、シモーヌも慈愛に満ちた顔で微笑む。


「私たちがそんなこと人種の違い気にする人間だったらナオミお嬢さまはこの土地で育ってないでしょ??」


 目から鱗が落ちたかのような顔で口を噤んだルードの腕を、そっと肘でつつく。

 見下ろしてくる黒に近い濃緑の瞳を軽く睨んでみせる。


「私が将来この土地に戻りたい気持ち、理解できましたか??」

「……ええ、身に染みてよく理解しました」


 ルードが苦笑いした直後、どっと大笑いが上がった。

 当然シモーヌも笑い、ずっと仏頂面だった夫までも声を立てて笑っている。


 彼ら彼女らが笑う理由はよくわからないが、悪い意味で笑っている訳じゃないのは伝わってくる。


 とにもかくにも、取引は無事成立。

 近日中に二人の本国への帰国が決定した。


 二人が帰国次第、クインシーは真っ先にエメリッヒ家との婚約話を断るだろう。

 セレーヌから離れてしまえば、ナオミも婚約者を演じる必要はなくなる。ルードとは雇用主兼異性の友人という関係に戻る。そして、これまでの日常に戻る──、戻れる、のだろうか。

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