第68話 嘘から出るのは真実か方便か③

 筒状の銀製の紅茶缶がルードからシモーヌの夫へと渡される。

 夫はぶっきらぼうに「どうも……」と一応の礼を告げると、そのままシモーヌへ流れるように缶を手渡す。


 シモーヌは呆れた目で夫を一瞥すると、「まぁ……、私たちのために??うれしい!早速いただきましょう!」と打って変わって笑顔で軽く手を合わせ。

 そわそわと椅子から腰を浮かせてテーブルを見回し、「そうそう!」と何かを思い出したようにつぶやく。


「実はね、二杯目のお茶用にマカロン・ダミアンを用意してあるんですよ」

「本当?!」


『マカロン・ダミアン』という名に、ナオミはつい勢い込む。

 ルードがぎょっと振り向いてきたが、知ったことじゃない。マカロン・ダミアンは幼い頃の大好物だったのだから。

 とはいえ、我ながら子供っぽかったかも。なんだか恥ずかしくなり、小さく咳払いしてごまかす。


「ありがとうシモーヌ。随分と昔のことなのに覚えていてくれて……」

「忘れるわけないじゃないですか!一杯目はマドレーヌ、二杯目は軽く食べられるマカロン・ダミアン。お嬢様とのお茶の時間の定番でしたもの。じゃあ準備してきますねぇ」

「シモーヌ」


 台所へ向かおうとするシモーヌをナオミが呼び止める。


「全員分のカップを温めたら、ティーポットには熱湯だけ用意してもらえないかしら??」


 シモーヌの顔に大きな疑問符がいくつも浮かび、拡がっていく。

 実際に目に見える訳ではなく、あくまで喩えだけれど。


「缶の中はただの茶葉が入ってる訳じゃないの。カップ一杯分の分量の茶葉をガーゼに小分けしてあって」

「その茶葉入りガーゼはティーバッグと言って、熱湯を注いだカップの中で直接紅茶を抽出させるためのものなんです」


 ナオミの説明の上からルードがさりげなく付け足してくる。

 まだ説明途中だったのに……、と横目で睨んで文句を言いたかったが、やめておく。些細なことで怒るのは得策ではない。


「あらとっても画期的!」

「たしかにポットで蒸らして淹れる方が茶葉が拡がり、より深い風味に仕上がりますが、ティーバッグでも充分おいしく飲んでいただけます。家事労働の時間短縮しつつ紅茶の風味も損なわない……、これがティーバッグの利点です」

「手間も減らせて味も大きくは変わらないなんて便利だわ。楽しみ!」


 張り切った様子で台所へ下がっていくシモーヌとは対照的に、我関せずと彼女の夫は隣の客人と談笑していた。ティーバッグの説明を傍で聴いていた他の客人たちも、シモーヌの夫と話す男性も、ルードとナオミをちら、ちら、と盗み見し、気になっている風だったのに。肝心の興味を抱いて欲しい人がこれでは……。


 一抹の不安を抱えつつ、シモーヌが戻るのをしばらく待つ。

 不安や思惑(という程不穏ではないが)を悟られぬよう、話しかけてくる客人ととりとめのない世間話を交わしていると、全員分のカップとティーポット、小皿、砂時計、マカロン・ダミアン入りの大皿をワゴンで運びながらシモーヌが戻ってきた。


「ナオミお嬢様の仰った通り、お湯だけ用意しましたよ」

「ありがとう。ティーバッグでの淹れ方をみなさんに説明してもよろしくて??」


 シモーヌと、それから彼女の夫へ視線をそっと視線を送ってみせる。


「ええ!もちろんですとも」


 予想通り即答するシモーヌに対し、二、三拍遅れて夫は「どうぞ、お好きに……」とぼそっと告げる。渋々といった反応だが、あえて気にしないでおこう。


「いいですか??まずは──」


 ルードがカップ一客一客に湯を注ぎ、後につづいてナオミがティーバッグを一包ずつカップへ浸す。砂時計をひっくり返し、砂が四分の三近く落ちたら最初に浸したティーバッグを軽く振り、順番に同じことを繰り返す。

 すべてのカップが濃い紅色で満たされていく。ナオミが頼む前にシモーヌが客人たちの前へカップを運んでいく。


 再び席に腰を落ち着けたナオミとルードの前に、大皿から取り分けたマカロン・ダミアンの小皿が並ぶ。

 一口大のクッキーにも見えるそれを摘まみ上げ、そっとかじりつく。

 最初は表面がカリッと焼けた食感が、のちにねっとりとした柔らかさへと変わり、ほのかな蜂蜜とオレンジピール、アーモンドの香りが口の中へ溶け込んでいく。


「素朴な味わいですが、蜂蜜やオレンジの香りが紅茶によく合いますね」


 思い出と違わぬ味に懐かしさを含め、静かに感動していると、ルードが二つ目を口へ運んでいた。


「食感も軽いですし、これなら毎日でも食べたいくらいです」

「でしょう??本国のヴィクトリアンサンドイッチも好きですけど、セレーヌの焼き菓子の方が私は……、より好みなのです」

「あぁ、分かる気がします」


 ルードの指先が三つ目を摘まんだことから、本当に気に入ってくれたことが伺え、満更でもない気持ちになってくる。

 複雑な血筋や境遇は元より、お互いに某文豪の作品が好きじゃなかったり、クリケットが得意だったり、食の好みが似ていたり──、以前なら気に留めるどころか鬱陶しく思えた共通点が今は少し、嬉しく感じてしまう。


 己の大きな心境の変化が気恥ずかしくなってきた。強引に頭を切り替え、ルードから他の客人の様子をそれとなく窺ってみる。


 おそるおそるといった体でカップに口をつけるなり、「あんな簡単な淹れ方なのにほんとうに美味しい……」とつぶやく者。

「ねー、もう一杯のみたーい」とねだり、母親らしき女性に叱られている幼児。その隣で「簡単に淹れられるんだしシモーヌさんにお願いすればいいんじゃないか。俺もできればもう一杯くらい欲しい」と父親らしき男性……等々。


 次々と上がってくる感想に頬が緩みかけ、きゅっと唇の両端を引き締めていると、「よかった」と小さな安堵のつぶやき。声につられて振り返れば、ホッとしたようなルードの横顔が。

 ナオミ同様、表に出さなかっただけでルードも不安を抱えていたのだろう。こんなところまで似ているなんて。


「だいじょうぶ」


 ルードにのみ聴こえる声でささやき、にんまりと微笑む。

 一瞬のみ間の抜けた顔を見せたものの、彼もまた、おそらくナオミが向けたのを同じ顔で微笑んでみせる。べ、別に真似しなくてもいいのに……。


「ひとつ、訊きたいことがあるんだが」


 二人の間に流れた穏やかな空気が、不機嫌な低い声によって瞬く間に霧散していく。

 声の主ことシモーヌの夫は、声と同じくらい不機嫌な表情を浮かべて紅茶を飲み干すと、更に顔を険しくさせ、二人に向かって問う。


「このティーバッグってののガーゼは、どこの綿を使ったんだ??」

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