第67話 嘘から出るのは方便か真実か②


 数日後。


 真冬のセレーヌ首都の空は本国と同じ灰色の曇り空だが、南部地方の田舎へ向かうにつれ、徐々に青空が見えてくる。よく晴れた空を馬車の小窓越しに眺めれば、懐かしさが込み上げてくる。

 自分にとっての故郷と呼べる地へ、ようやく帰郷できる。感慨深さで胸がいっぱいだ。


「楽しみですね」

「すみません。懐かしくてつい」


 感慨に浸るナオミを気遣ってか、ずっと無言だったルードの柔らかな声に我に返る。

 いけない、いけない。

『ティーバッグ紅茶に興味関心を引かせる』という本分を忘れてはならない。気を引き締めなきゃ。などと決意を新たにした矢先、ルードが表情を綻ばせてつぶやく。


「実は僕も楽しみなんです」

「どうして」

「ナオミさんがどんな場所で生まれ育ったのか、知ることができますから。それに」


 ふふっと悪戯っぽく笑うと、ルードはからかうように言う。


「幼い頃の貴女の話も聴けるかもしれませんしね」

「ちょっと!私も人のこと言えてませんけども!あくまでお仕事ですわよ??ルードラさん」


 わざと婚約者ぶった言い方で窘めてみる。やっとどもりも赤面もせず、スラっと自然に名前呼びができるようになったのだ。ここぞと有効活用してやろう。


「ええ、心得ています」


 ところが、ルードもルードで呼ばれ慣れてきたので余裕の表情。

 なによ、ちょっと前まで変な風に動揺してた癖に!

 ほんの少しだけ身体を窓側へずらし、隣のルードからさりげなく距離を取る。我ながら子供じみた精一杯の抵抗。抵抗ついでに再び視線を窓の外へ。


 車道の道幅が狭くなりつつある。

 古い石畳の道こそ共通だが煉瓦造りの建物が主の本国と違い、セレーヌは白や茶、灰色の石造りの古い建物が主だ。地方の田舎へ行けば行くほどそれは顕著になってくる。加えて、窓越しに通り過ぎる各家の鎧戸は赤や青、黄などなど色あざやかでかわいらしい色で塗装されている。


 なつかしい。

 幼い当時も、乳母ナニーを伴い散歩で外へ出る度、一軒ずつ違う鎧戸の色を指差してはひとつひとつ確認し、はしゃいでいた。


「おそらく目的地はもうすぐです」

「どうしてわかるんですか」

「私が住んでいた頃も今も、村の景観がほとんど変わってません。ぼんやりと思い出しましたが、乳母の家に何度か遊びに行った覚えがあります。その乳母の家ですけど、目と鼻の先まで近づいています」


 ナオミの言った通り、五分もしないうちに馬車は止まった。

 先に降りたルードが後に続くナオミに手を差し出す。差し出された手に一瞬躊躇しかけるも、おずおずと手を差し出す。

 すると、どちらからともなくふっと視線がかち合う。お互いに照れ笑いし、ルードのエスコートでナオミも地面へ降り立った。


 いくつか連なる建物の内、ナオミたちが目的とする家は他よりも大きく、鎧窓の数も多い。

 セレーヌでも比較的暖かい地域とはいえ、寒さのためか他の家は鎧戸を閉めきっているが、この家の鎧戸は玄関扉のものも含め、すべて解放されている。

 いつでも客人ナオミを受け入れる気でいると示すように。


 玄関前に立ち、ドアノッカーを叩こうとして──、やめる。

 ドアノッカーを握るより先に扉が開く気配を感じたからだ。


ナオミお嬢様マドモアゼル・ナオミ!おひさしぶりです、もう二度とお会いできないと思っていたからうれしい!」


 扉が開いた瞬間、聞き覚えのあるセレーヌ訛りの共通語と、背の高い細身の中年女性が感極まった様子でナオミの前に飛び出してきた。


「もっとお顔をよく見せて??会わない間にこんなにおきれいになって……」

「シ、シモーヌ……」


 乳母ことシモーヌはナオミの頬を両手で包み込み、ナオミが言葉を続ける間もなく彼女を抱きしめ、何度も頬にキスをしてくる。

 いきなりの熱い歓迎ぶりにナオミも、見守るルードも成す術がない。


「お前、マドモアゼルが困っているじゃないか」


 玄関前の騒ぎを聞きつけたらしい、いかめしい顔つきの初老男性がシモーヌの後ろからぬっと顔を覗かせてきた。シモーヌに対する口ぶりから彼女の夫かもしれない。


「マドモアゼルはもう小さな子供じゃないんだ。あちらの国の紳士淑女は知り合い程度の関係で気軽に抱擁やキスを交わす習慣はないらしいし、馴れ馴れしいと思われるぞ」

「あら、なんて嫌なこと言う人なのかしら。ごめんなさいねぇ、この人、ちょっと頭固いのよ」


 あっけらかんと笑いながらも、シモーヌはようやくナオミから離れてくれた。

 解放されて内心ホッとしつつ、二十年弱ぶりに再会した乳母にナオミも嬉しさがじわじわと込み上げてくる。

 加齢による多少の変化はあれど、淡い栗毛のまとめ髪も真夏の空に似た青い瞳も、溌溂とした性格も変わっていない。


「私もシモーヌとまた会うことができて大変うれしく思っています」

「お嬢様ったら!ここでは堅苦しくしなくてもいいのよ。そこの貴方もね」


 急に水を向けられたにも拘らず、ルードは戸惑うことなく、「ええ、ありがとうございます」とお得意のよそゆきのさわやかな笑顔で応える。その笑顔、なんか腹立つ……と思いながら、ナオミはすました顔でルードの隣へそっと移動した。


「シモーヌ。紹介が遅れました。こちらは私の、婚約者であり、紅茶商のルードラ・デクスターさんです」


 うん、照れずに卒なく紹介できて本当によかった。


「あらまぁ、こんな素敵な方が……」


 ナオミ以上に取り澄ました微笑みを浮かべるルードを、シモーヌはうっとりした目で見つめた。明らかにインダスの血が混じった容姿なのに、まるで気にしてなさそうな態度に、ナオミは嫉妬よりも安堵が強くなる。

 少なくともシモーヌが彼を差別することはなさそうだ……と信じたい。


「年甲斐もなくポーッとして……、マドモアゼルに失礼だろう」

「なに言ってるの、お嬢様の良いお人をそんな目でなんて見ません!失礼ね!それとも妬いてるの??」


 意地悪く夫を煽るシモーヌに、「そんなわけないだろ」と、夫も夫で冷たい目で言い返す。

 険悪なようで犬も食わない夫婦喧嘩を目の前で繰り広げられても……、どうしたものか。思わずルードと視線を交わし合い、苦笑を漏らす。


「ほらほら、いつまでも玄関で立ち話してないで、お二人を早く中へ案内するんだ。外は寒いんだし、風邪でも引かせるわけにいかないだろ」

「あらやだ、私ったらいけない!お嬢様にお会いできたことが嬉しすぎてつい!さあさ、おふたりとも中へ入ってくださいな。今日はね、お嬢様にお会いしたいって色んな人が集まってくれたんですよ」


 早く早くと玄関扉の前で手招くシモーヌに、そんなにたくさんの人と関わった記憶はないのだけど、いささか不安を覚えつつ。彼女の言葉に甘え、ルードと共にナオミは玄関の扉を潜る。


 一〇帖程の居間の中心、大きなテーブル一脚を老若男女問わず、少なくとも十名弱で囲む一席にルード共々案内される。

 ナオミの隣に当然のように座るシモーヌと思い出話交えて語らっている内に、手紙が途絶えた理由が判明した。


「え、お義母様イヴリンが」

「奥様直々に『お嬢様への手紙を送ってこないで欲しい』って連絡があって……。そんなこと言われちゃねぇ、送りたくても送れなかったんですよ!」

「そうだったの……」

「そりゃ、いつまでもセレーヌでの暮らし引きずらせないためじゃないか??」


 憤りを隠しきれないシモーヌに彼女の夫は冷静な一言を繰り出した。


「あんたはいつも水を差すことばっかり言うねぇ!お嬢様、ごめんなさいねぇ。この人、工場の経営者のせいかよくも悪くも現実的な言い様しかしなくってねぇ」

「経営者どうこう関係ないだろうよ」

「ちなみに何を作る工場なんですか??差し支えなければお聞きしても??」


 待ち構えていたとばかりに、それでいてごく自然にルードがシモーヌの夫に訊ねる。

 夫はちらとルードを見やると、「綿製品だよ。と言っても、自分含めて二十人いるかいないかのちっさい商会さ」と自嘲気味に笑った。


 ルードの予想、『件の綿を扱う商会=乳母の夫』がほぼ確定した。おもわず横目でルードと視線を交わし合う。言うなら今しかない。


「実は、今日みなさんのためにルードの商会で今後販売予定の紅茶をお持ちしました。よろしければ二杯目に飲んでみませんか??」

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