第64話 思わぬ再会②
(1)
「フロントに預け物があるので、先にロビーで座って待っててください」と言われ、食堂と同じく、全体的に白で統一されたロビーの一角へ。
華奢で繊細な脚、天板の縁に金の草花を施した象牙のローテーブル、白地に淡いバラ模様の三人掛けソファーの席へと腰を下ろす。
程なくしてフロントから戻ってきたルードが、少し
「それは??」
「現在のティーバッグの品質と酷似、もしくはある程度近い
筒から出した数枚に渡る一覧表を机上に広げてルードは続ける。
「ナオミさんがセレーヌ入りするまでの間に、何社か有力候補の商会とは定期的に連絡を取っています」
「ご自分で??」
「もちろん」
何か問題でも??と訝しむルードにナオミの口角がぐっと引き下がる。
なんだ、セレーヌの言葉を話せるじゃない。だったら、別にわざわざ自分が通訳する必要なんてないのでは??
「仕事上の簡単な会話ができる程度です。本格的な交渉となると僕のセレーヌ語では少々拙く、厳しい気がします。恥ずかしながらセレーヌ語は少し苦手で……、こんなことならセレーヌ語をもっとしっかり勉強しておけばよかった」
カフェ・オ・レといい、セレーヌ語といい、ルードにも苦手があるのがおもしろ……、もとい、感慨深い。珍しく恐縮するルードを新鮮な気持ちで思わずしげしげと眺めてしまう。
「今からでも遅くありませんよ。勉強はいつから始めても遅くない。セレーヌ語でしたら教えて差し上げます」
「……貴女にはいつも助けられてばかりいる」
「いえ、私が好きでしたいだけですから。それよりも話を戻しましょう」
ルードの表情がさっと切り替わり、机上の一覧表の社名のひとつを指で指し示す。
ナオミたちの本国でも名を聞く商会だ。
「この商会が扱う綿とティーバッグ用の綿は同じ産出地で
「では、できるだけ早く取引の約束を」
「取引の日時でしたらもう決まっています。通訳が到着次第すぐにでも、と事前に先方と決めていたので」
「ちょっと待って。私が到着したのは昨日ですけど」
「ナオミさんを部屋に送り届けた後、電話で話し合いました」
「……」
ルードが真面目に仕事をしている間、自分は呑気にも眠りこけていたなんて。
まぬけすぎて情けない。羞恥と自己嫌悪に陥りかけるも今は気にしている場合じゃない。
「それで、取引の日時は
「
「
思ったよりもすぐだった。
「本当は今日にでも、と思いましたが、到着早々だとナオミさんも船旅の疲れが抜けきっていないでしょうし」
「……お気遣い痛み入れます」
そりゃあ、夕方から翌日の朝まで前後不覚で爆睡していたら、遠慮もしたくなるだろう。
「その代わり、明日からの予定は少し詰めていきますから、覚悟の程よろしくお願いします」
「ええ、かまいませんけども。言い方が大袈裟な気が」
「一覧の商会ほぼ全て、有力候補以外も昨日の内に連絡しましたから」
「は??」
机上から一覧表をひったくり、改めて商会の数を確認。その数二十近く。
「……ちょっと節操ないんじゃない??」
「銃は撃てる弾の数があるだけ撃つべきかと」
開いた口が塞がらない。
しかし、割と早い段階にて、ナオミはルードの意見に賛同せざるを得なくなっていった。
(2)
翌日、約束の時間より少し早めに二人は目的の商会本部へと赴いた。
その商会は規模も大きく首都郊外に数か所、
会長直々に取引に応じ、終始丁寧且つにこやかな様子で商談は進み──、うまくいくかと思いきや。
『他の社員と要相談の上、後日連絡致します』
このような言葉を言われた場合、色好い返事はあまり期待しない方が良かったりする。ルードも『おそらく今回は望みは薄いでしょう』と軽く苦笑を漏らしていた。
事実、更に翌日、謝罪文と共に取引を断る電報がホテルへと届いた。
最初からそう上手く行くほど世の中甘くない。
断られたのはまだ一社目。さっさと二社目以降との取引に動くのが建設的。
ナオミが言わずとも、ルードはすぐに次の候補の商会と取引の約束を取りつけた。二日と置かず、二人は再び取引に向かう。
しかし、二社目との取引も断られ。
めげずに三社目、四社目……と続くもうまくいかない。
下請け金も色をつけ、申請中のティーバッグの特許が認可され次第、増額を提示。
決して条件自体は悪くない筈なのに。
ナオミがセレーヌ入りして半月以上経過した今もまだ契約は成立していない。
断られる度にルードと話し合いを重ね、次に臨みつつ、確実に己の中で何かが削り取られていく気がしてならない。
最近では首都近郊の商会の他、地方の小さな商会にまで足を運んでいるが、却ってそちらの方が厳しい対応が返ってきやすかった。
首都近郊だろうと地方だろうと、取引の約束を交わすまではすんなりいく。
しかし、地方へ行けば行くほど取引以前の問題がぶつかってくる。
ナオミたちの本国でもそうであるように、セレーヌでも人種の壁は厚い。
首都などの都市部、港街など多様な人種が集まる場所ならともかく、寂れた下町や農村部となるとインダスの血が色濃いルードの容姿は悪い意味で目を引く。
取り引き交渉の場に置いても、ルードとは一度も目を合わせず、終始ナオミの方ばかり見て話す者、逆にルードの方をちらちら見ながら、長々と言い訳を述べつつ断り文句を告げる者……、など、あからさまな反応ばかり返ってくる。
一度など、ルードの姿を一目見た途端に有無を言わさず『帰ってください。この話はなかったことに』とつっけんどんに追い返されたことも。
本国内であれば、デクスター商会は国内有数の紅茶商。ゆえにここまで露骨に失礼な対応をされることはない。
当のルードは『慣れているので気にしてません』と笑っていたが、ナオミの
幼い頃、セレーヌの田舎でのびのびと過ごせていたのは自由な気質の国だからじゃない。父を始め、周囲の大人がそのような環境を作ってくれていたから。
懐かしく穏やかな日々は幼さゆえの無知と思い出補正が作り出していた。
セレーヌも本国も本質はそんなに変わらないのだと。
長らく抱いていた望郷の想いはは幻想に近かかった。
思い知った瞬間は強い
クインシーはおそらく人種の壁を見越した上で、ルードに一任させたに違いない。
だがしかし──、最初に話合って以降、定位置と化したロビーの席、机上の一覧表の商会名には半分近く横線が引いてある。
「次の交渉先ですが、南部の──」
「待って、そこは」
ナオミが六歳まで過ごした村の近くじゃないか。
「生まれ育った場所が近いから上手くいくって思ってるんだったら、随分おめでたいねぇ」
本国の言葉で、冷や水を浴びせるがごとき嘲笑が耳の奥まで突き刺さってきた。
誰、と、多分に抗議を含めて振り返り、ルードも不審と不快も露わに周囲を見回している。
まさかエメリッヒ商会の手の者、とかじゃないといいけれど──、疑惑と不安が湧き起こるナオミの肩を、誰かがくいっと強く掴んできた。
少々乱暴な振る舞いにルードが立ち上がりかけ、中途半端な姿勢で固まる。ナオミも肩を掴む人物の、大いに呆れ返った切れ長の真っ黒な瞳を見つめたまま、数瞬呆然となった。
「な、なんであんたが!ここにいるのよ?!」
セレーヌ入りしてから二度目、ルードにぶつけた時よりもずっと尖った声で、ナオミはマダム・ドラゴン向けて盛大に叫んでいた。
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