第62話 思わぬ再会①

(1)


 数日後。

 ナオミが乗船した船は海峡を越え、セレーヌ最北端の港へと無事到着した。


 曇天の濁った灰色雲の下、海中から陸地にまで広がる石造りの要塞が船を出迎え、信号灯は鈍く輝いて見える。

 鈍い輝き放つ信号灯を仰ぎ見、要塞の白と海の青の対比コントラストに目を奪われながら、ナオミはトランク一つで桟橋へ降り立った。


 信号灯等の輝きに気を取られ、海風に危うく吹き飛ばされかけた帽子を慌てて押さえつける。ぼんやりとしている場合じゃない。次の予定はすでに組まれているし、時間も限られている。桟橋を下りたらなるべく急いで港を出なければ。


 商船に荷を積み込む作業者たち、これから出発する船に乗船する者たち、もしくは見送る者たちの喧騒が消波ブロックに打ち寄せる波の音をも掻き消していく。様々な人種、身分、職業……、彼らの間で交わされる言語も様々な響きを持つ。

 それらを背に感じつつ、ナオミはスリや置き引きに細心の注意を払い、客船乗り場の出入口へ向かう。


 順番や列を定められ、係員の監視の目が行き届いた乗降船口ならいざ知らず、桟橋から降りた後のことはほぼ自己責任。貴族や貴族に近しい上流階級なら専用馬車に乗り込むまで警護がつくだろうが、生憎ただの女の一人旅。女が一人で旅する上での危険は承知の上。船上でも充分すぎるくらい自衛を行ってきた。


 これから乗車する、港からセレーヌ首都や郊外の街々へ走る汽車内でも同様に……、いけるだろうか。


『Missガールの到着時間に合わせ、先にセレーヌ入りしていた商会の者を迎えに来させます。そこからは彼と汽車へ乗り、行動を共にしてください』


 正直な話、初対面の男性としばらく行動共にするのは少々、否、かなり気が重い。

 あくまで仕事だし、クインシーのことなので分別持つ紳士を派遣していると信じてはいるけれど。


 その社員がルードなら良かったのに。

 思った瞬間に恥ずべき願望だとすぐに打ち消した。公私混同も甚だしい!

 などと己に恥じ入る一方、私的感情はさておきルードの方が断然仕事上の応対しやすいのに──、これもまた私情に値する、かも。


 トランクを持っていない方の手で軽く頬をつねる。甘ったれた感情を抱いた罰だ。

 当のルードは現在、セレーヌどころか本国にさえいない。

 年明け早々、クインシーの指示でインダスへ出張に出たという。

 本国からインダスへ一旦出向したなら半年近くは戻れないだろう。だから甘えは捨てなきゃ。


 城壁のように(実際城壁なのだが)港を囲う高い石壁が近づきつつある……、ということは、出入口はもうすぐ。目の前に壁と一体化させた堅牢な石門が見えてきた。


 歴史の重みを感じさせる、四角い白石を積み上げたアーチ型の石門を潜り抜けると、足元には同じ白い石造りの大階段が拡がっていた。

 大階段は市民の憩いの場らしく、段差や踊り場に腰を下ろし、おしゃべりに興じる者、鳩に餌をやる者、食事したり飲酒を楽しむ者などが集まっている。


 それらを横目にナオミは階段を足早に降りていく。最後段差から駅舎まで続く同じ石造りの歩道へ一歩踏み出る。指定の待ち合わせ場所、駅舎の出入り口前の金時計へ視線を巡らせ──、ナオミの頬が、口元が強張った。


 六フィート約182㎝近い長身に濃い黒髪。浅黒い肌。

 遠目からでも端正だと見て取れる彫りの深い顔立ち。


 立ち止まりそうな足を叱咤し、前へ前へ、近づくごとに疑心は確信へと変わり。

 ナオミの靴は高い音を立て、呆然とした様子で金時計の下で待つルードの元へ、足早に向かっていく。


「ナオミさん?!」

「なんで貴方がここにいるのよ?!」


 揃っての本国の言葉での叫びは雑踏の中でも一際高く響き渡った。

 それは周囲の誰もが振り返って二度見、三度見する程の騒がしさであった。







(2)


 その場で言いたいことは山のようにあったけれど、汽車の発車時間を考え、互いに言葉を無理やり飲み込み乗車する。

 汽車は比較的新しい物のようで、床板に軋みも目立った傷もなく、赤いベロア地の座席の毛羽立ちや日焼けもない。窓硝子もあまり煤で汚れていない。


 指定の席に腰を下ろし、ナオミのトランクを荷台へ上げるルードをちらちら見やった後、所在なさげに窓の外を眺める。眺めたところで見えるのはプラットホームを行き交う人々の姿や汽車が吐き出す黒煙くらいだが。


「いったいどういうことなの。ちゃんと説明してください」


 ルードが隣に座ったところで憤然と、小声で詰め寄る。十中八九しれっと開き直る気がするが、それでも問いつめずにはいられない。しかし、ルードはナオミの予想とは違った反応を示した。


「僕の方が知りたいくらいですよ。父から年明け早々セレーヌへの渡航命じられ、近いうちに通訳を寄こすと訊いてはいましたが」

「え、でも、Mr.デクスターは貴方をインダスに出向させたと」

「なぜそんな話になってるんですか……」


 徐に頭を抱えるルードが嘘をついているとは到底思えない。


「私は……、ティーバッグ生産向け綿コットンの交渉のため、Mr.デクスター直々に現地へ派遣した商会社員の通訳を依頼されたのです。でも、まさか、その社員が貴方だったなんて」

「一杯食わされたましたね。……あぁ、でも、ナオミさんでよかったかもしれない」

「どうして??」

「ある程度勝手知ったるだけでなく、充分に、いえ、十二分に信頼できる方ですから」


 そんな風に言われては怒る気なんて失せてしまう。

 急に照れくさくなり、そっぽを向いて再び視線は窓の外へ……、向けながら、ぽつり、漏らす。


「……私も貴方で良かったと思います」

「え??」

「これから一定以上の時間過ごすのに、全く初対面の方よりそれこそ勝手知ったる方の方が女性として安心できるという意味です、けどっ!……あ」


 そうだ。

 たしかこの後、郊外に手配したホテルへ向かう予定となっている。通訳が男性だと考えられていた場合、部屋を一室しか予約していない可能性が。

 もしそうだったら非常に困る。いくら信頼できるといっても、夫婦でもない男女が同室だなんて大問題だ。


「ちなみに、部屋はそれぞれに各一室宛がっています。ご安心を」

「……私、まだ何も言ってませんけど」

「もろに顔に出てましたよ」

「……あらそう」


 面白くないのと気まずさとで、ナオミは三度、車窓の外へ視線を向ける。

 折り良く汽笛が鳴り渡り、汽車はゆっくりと走り出した。

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