第58話 ヤドリギの下に立っていいのは③

(1)


 重厚な玄関扉が開く音を背に、クリシュナの後に続く。

 後ろを振り返りたい。否、断固として振り返りたくない。またもや相反する想いで胸がいっぱいだ。


「ごきげんよう、ルードラ様。お会いできて本当に嬉しくてよ!執事さんは本日二度目ね」


 しかし、ナオミの小さな葛藤を嘲笑うかのようにキャロラインの華やいだ声が追い打ちをかけてくる。

 その場で足を止め、会話に耳をそばだてたい。否、聞き耳立てるなど下品な真似なんて!


 新たに生まれた葛藤を振り切ると、速足のクリシュナに合わせてナオミも先を急ぐ。けれど、玄関ホールから離れてさえキャロラインの声はよく響いてきた。

 ルードやセバスチャンの話し声も聞こえてはくるが、内容まではっきり聞き取れない。対してキャロラインの声は一言一句はっきり聞き取れ、話の内容はナオミに筒抜けだった。


「今日はデクスター家の皆様宛てに聖誕祭のプレゼントを用意しましたの。ねぇ、執事さん、聖誕祭ツリーの下に置いていただけません??それから、ルードラ様の小さな義妹リトル・レディにはお土産を持ってきました。ご本人に直接お渡ししたいですし、ぜひともお会いしたいわ」


 案内された部屋に入る直前で足を止める。

 詳しい内情は知る由もないが、キャロラインの態度は少々強引が過ぎやしないか。


「あら……、ヤドリギの花がこんなにたくさん咲いてるわ。ねぇ、ルードラ様」


 キャロラインの声に甘ったるい響きがいや増していく。

 ヤドリギの下でのくちづけを求めているのがありありと伝わってきて、全身の血が一気に沸き立つ。爪先から頭頂部へ濁流のように駆け上っていく。


「先生。部屋を暖めていますし、早く着替えを」


 クリシュナのナオミを急かす声に、ハッと我に返った。

 無意識の内に玄関ホールへ引き返そうとしていた、らしい。

 心配そうなクリシュナの表情に居たたまれなくなり、目の前の扉を開ける。


 急いで向かったため気づかなかったが、本棚に囲まれ、古い紙の臭いに包まれた室内、中央の簡素なテーブルセットは見覚えがある。少し前に顔の怪我をルードに手当てされた時の部屋。あの時と違うのは、テーブルの上にあるのは救急箱ではなく女物の衣服。


「これ以上身体が冷えてはいけませんから」


 自分で着替えるからと断る隙すら与えず、クリシュナはナオミの髪をほどき、髪を乾かし、手早く衣服を脱がしていく。


「え、ちょっと」

「ご用意したのはティーガウンですからご安心ください!」


 コルセットまで外されそうになり、さすがに止めようとしたが、よくわからない自信に満ち溢れた笑顔に返す言葉がない。

 すっかり諦め、ナオミはされるがまま大人しくクリシュナに着替えさせられるのを許すことにした。


「ところでシュナさん」

「はい、なんでしょう??」


 着替えが終わり、今度は椅子に座らされ。

 念入りに髪に櫛を通されながら、ナオミは訊ねた。


「このティーガウンは元々屋敷にあった物なの??」


 ティーガウンは従来のドレスと違い、午後のお茶の時間をコルセットなしでも過ごせるようゆったりとした意匠デザインで作られている──、とはいえ、余りにナオミの体型に合いすぎている。

 いくら身体の曲線が出なくとも、例えば身丈、袖の長さなど誰かの借り物なら少なからず合わない部分があってもおかしくはない。特にナオミはこの国の女性の平均より若干背は低く、その割に胸回りは豊かでなかなか既製品で体型に合う物が見つからない。

 しかも、この濃い玉虫色の生地は東方島国製の厚地の反物、反物全体に刺繍された菊の模様、部分絞りもの国独自の手法。輸入した反物を使用した特注品オーダーメイドに間違いない。


「いいえ??このティーガウンは、もしもガーランド先生がお屋敷専属になられた場合のためにと、ルードラ様がお作りになられたのです」


 待って。なにそれこわい。


 勝手にドレスを作られていたことも怖いけれど、いつ寸法サイズを知られたのか。もちろん彼自身が直接調べた訳ではないだろうけども……。


「ね、ねえ、どうやって私の寸法を調べたの」

「ガーランド家御用達の仕立て屋を旦那様とルードラ様もご利用になっていたらしくてですね、先生??」


 先走る癖は今も尚健在なのね……。


 櫛を持ったままきょとんとするクリシュナを尻目に、ナオミは頭を抱えた。

 頭を抱えつつ、怖いと感じつつ、やはり嫌悪感は込み上げてこない。慣れきってしまっただけかもしれないが──、慣れって怖い。

 ナオミの髪を再び梳きながら、クリシュナが怒ったようにひとりごちる。


「それにしてもルードラ様もあのご令嬢は何をお考えなのでしょう……」

「貴女は本当に何も知らされて……、ないの??」

「はい。私は先程初めて知りました。これは絶対に何が何でもセバスチャン様に問いつめなきゃ!……あ、はい!」

「Miss.ガール、シュナ。入ってもかまわないかい??」


 クインシーの呼びかけにクリシュナは身体を扉の方へ向け、ナオミはさっと立ち上がる。


「ええ、かまいません。どうぞお入りになってください」






(2)


「失礼するよ」との一声ののち、クインシーが部屋に入ってきた。


「おぉ、この部屋は暖かいね!ついさっきまで私がいた部屋は極寒だったから」

「旦那様。趣味のお部屋の暖炉をまた使われなかったのですか??」

「いや、三十分に満たない滞在のために使うのもねぇ。あとの火消しをするハリッシュに悪いじゃないか」

「お風邪を召しては元も子もありませんよ」

「うん、そうだなぁ。次からは気をつけるよ。そうそう、Miss.ガールとシュナに少し話があってお邪魔したんだ。ルードとキャロライン嬢のことなんだがね」


 途端にクリシュナの表情が再び険しくなり、ナオミの胸もどくん!と一際大きく高鳴った。ルードとキャロラインの間に何があったとしても、ナオミはデクスター家の家庭教師に過ぎないのに。


「今から話す内容は他言無用で」

「……承知しましたわ」

「ありがとうございます。では話の続きを。先日、我が商会のティー・クリッパーが海賊船に襲撃されてね。茶葉と共に積んでいた、ティーバッグに使う綿コットンまで失った。更なる詳細は伏せるけれど、なぜか代替えの綿が我が商会に手に入り辛い状況に陥っていてね。エメリッヒ氏が彼の商会傘下の綿工場を仲介料なしで紹介してくれると。だが、それにはルードとキャロライン嬢との婚約が条件でね……」


 別に二人が婚約しようが何しようが、解雇されない限りはナオミに何ら影響を及ぼしたりしない。

 エメリッヒ家は新興成金だが、確かな商才で事業拡大を次々成功させている。結びつきが深まれば、今回以降もデクスター商会にとって大きな利益をもたらすだろう。


 いいじゃないの。全然悪くない話だと思う。


 家の事情が絡んでいてもキャロラインはすでにルードに夢中だ。

 雪が降りしきる寒い中、二度も自ら屋敷に足を運び、ヤドリギの下でのくちづけを求めるくらいには。

 少々自己中心的なきらいはあるかもしれないけど、美しさと若さゆえだろうし。


「失礼を承知でおたずねしますが、Mr.デクスターこのお話は乗り気では……、ないのですか」


『も』と言ったはいいが、ルードの口からはっきり乗り気でないと聞いてもいない。

 ひょっとしたら、キャロラインの求めに応じ、ヤドリギの下で──、想像しかけた瞬間、またも全身の血が沸騰し、熱さと激しさで皮膚を突き破りそうな錯覚さえ覚えた。さっきまで二人の婚約は悪い話じゃないと思ったくせに、どういう風の吹き回しなのか。


 未知の感情は自分自身への呆れも容易く飲み込んでいく。

 どちらかと言えば醜いものだろうに、肚も胸も頭もマグマのごとき激情が噴き上がりそうだ。


 はからずも身の内に生まれてしまった激情を、普段よりも冷めきった体で必死に押しとどめるナオミの問いに、クインシーは苦悩を隠しきれない目で微笑み、答える。


「一人の父親の立場で考えるなら、ルードの気持ちを最優先したい。商会の最高責任者の立場で考えるなら、この婚約は喜ぶべきことでしょう。ただ……」


 クインシーは口元に拳を軽く当て、少し考え込む。

 唐突に発生した短くない沈黙は、ナオミの激情を冷ますだけの時間をくれた。


「あくまで私の勘と言いますか……、エメリッヒ氏もキャロライン嬢もどうも信用に置けないのです」

「じゃ、じゃあ旦那様!そのお話はお断りに……」

「いや、断りも引き受けもしない。保留という形で引っ張り、彼らの魂胆を暴こうと考えている」

「待ってください。それでは綿の取引きが」


 商会にとっては綿の取り引きが最重要事項。

 曖昧な態度は却って逆効果にしかならないのでは。


「そこでですね、Miss.ガーランドに私から頼み事……、というよりもある計画に 協力をお願いしたいのです」

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